「スーパーで声をかけて…」トップアイドルのママ友づくりがアグレッシブすぎた

    石黒彩は、19歳でモーニング娘。としてデビューし、出産や育児を経て、今ではすっかり「ママタレント」としての地位を確立した。当初は、育児が思うようにいかず涙を流すこともあれば、子どもがいることを理由に仕事を断られることもあったという──。

    石黒彩、43歳。彼女はトップアイドルから突然母になった。19歳でモーニング娘。としてデビューし、出産や育児を経て、今ではすっかり「ママタレント」としての地位を確立した。当初は、育児が思うようにいかず涙を流すこともあれば、子どもがいることを理由に仕事を断られることもあったという──。

    Photo by Shin Ishimota

    孤独だった結婚当初

    ──「LOVEマシーン」がヒットした直後に卒業して、すぐにLUNA SEAの真矢さんと結婚されて、出産して……生活の変化についていけましたか?

    当時私は22歳で旦那は30歳。旦那さんも忙しい人だから、付き合っている時は事実婚でもいいんじゃないかと思っていたぐらいだったんですけど、子どもができているのとがわかったので、結婚を決めました。

    子どもの頃は「若いママになりたい」と漠然と夢みていたけど、あまりに急だったので、その変化についていけてなかった。

    私は19歳のときに札幌から東京に出てきて、アイドルしかやってこなかったから、一般常識も全然なかったんですよ。

    ガングロのギャルが、急に世田谷住まいのママになってしまった。母子手帳のもらい方すらわからなくて、旦那が私のかわりに受け取りに行ってくれたぐらいです。

    しかも、当時のモーニング娘。って、タレントさんにはあいさつ以外しちゃいけないルールがあったし、楽屋に入ったら携帯も禁止だったので、芸能界にもメンバーしか友だちがいなかったんです。世間も知らないし、友だちもいない。

    ──孤独……。

    そうですね。子どもは可愛いし旦那さんも好きだし、幸せといえば幸せだったんですけど、結婚するまでは自分のためだけに生きてきたから、すべてが奪われる感じがして……。

    ──奪われる、とは?

    赤ちゃんを1人で育ててると、椅子に座ることも、台所に行ってお茶を飲みに行くことすら厳しいんですよ。

    私は、仕事でもプライベートでも遅刻をしたこともなかったし、やるべきことは全部きっちりやる性格だったんですけど、子どもがいると思い通りに行くことのほうが少ない。

    例えば、3時に待ち合わせをして、そのために準備をしても、2時55分にトラブルが起きるんですよ。それを受け入れるまで時間がかかった。

    Photo by Shin Ishimota

    ──「ワンオペ育児」という言葉も当時はなかったですもんね。

    赤ちゃんって突然大声で泣くから、外に出るのが怖かった時期もありました。ミルクもあげたし、おむつもピカピカで、お風呂も入れたし……泣いてる理由がわからない。そうすると生活用品も買いに行けなくなっちゃう。

    泣き止まないから一日中抱っこしている日もあるし、夜に全然寝てくれなくて、家の周りをベビーカーで歩き回ることも多かったです。もう、私のほうが泣いちゃいながら。

    ママ友のナンパでワンオペ育児の闇から抜ける

    結婚後に野菜ソムリエの資格も取得。おせちも手作りする(Photo:Aya Ishiguro) / Via ameblo.jp

    ──つらい時期をどうやって乗り越えたんでしょうか?

    ひとつは、完璧主義をやめたことですね。つらいと言いつつ、過保護だったんだと思います。いつでも手をつないであげて、着替えも全部やってあげて、常に神経を研ぎ澄ませてました。

    ──過保護をやめたきっかけは?

    長女が1歳ぐらいのときに次女を妊娠したんですが、つわりが本当にひどくて、起き上がれなくなっちゃったんです。これまで、何でも手助けしていたのに、全然かまってあげられなくなってしまった。

    ──満身創痍。

    最初こそ、娘はギャンギャン泣いてたんですけど、私の状態に気がついたのか、ちょっと頑張るようになってきたんです。だんだんと無駄泣きがなくなって、自主性が出てきた。

    長女のたくましい姿を見て「今まで私はやりすぎてたんだ」と気がついて、2人目、3人目の子たちは過保護をやめました。命に関わらないレベルのことだったら、なるべく自由にやらせてあげる。そうすると、肩の力が抜けていきました。

    あと、ママ友ができたのも大きかったです。

    ──ママ友になったのは、一般の方ですか?

    そうです。私は近所の総合病院で出産したんですけど、入院中に通う授乳室で一緒になったママをスーパーで見かけて「一緒だったよね!?」って声をかけて。

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    ──石黒さんに声をかけられたら驚いちゃいそうですが。

    声をかけるのは、勇気がいりましたけど、たまたま彼女が、私のことを知らなかったみたいで。

    ──そんなことあるんですね。

    私がモーニング娘。として活動しているときは、彼女はすでに会社員で、忙しくてテレビや雑誌をチェックする余裕がなかったみたい。後で「石黒彩」の存在を知って驚いてました(笑)

    あともうひとり、スーパーでナンパしてママ友になりましたね。彼女も茶髪で肌が黒くて、着てる服のテイストがROXYっぽくて、私好みだった。「絶対に話があうぞ」と思って「友だちになってくれませんか?」って声をかけました。

    そのママ友2人は、子どもの月齢も近いから悩みも一緒で、困ったときは電話したり、一緒にご飯を食べたり、子ども同士で遊ばせて親は隙を見て交代で眠ったりしてました。

    友だちのおかげで育児の闇から抜けられました。

    「ダメなママ」でも大丈夫

    Photo by Shin Ishimota

    ──石黒さんが仕事に復帰したのは、2003年ですよね。なぜまた仕事をするようになったんですか?

    上の子が3歳、真ん中の子が1歳のときに復帰しました。子育てが少し落ち着いたタイミングでした。

    復帰しようと思ったのは、私が育児本に書いてあることを全然実践できなかったから、「ダメなママだっているぞ」っていうことを発信したくて。今みたいにSNSがなかったので、本を書こう、ブログをやろうと。

    ──「ダメなママ」とは?

    例えば育児本を読むと、「3時間毎に授乳しましょう」「お風呂も同じ時間に入れましょう」「夜に泣いたら母性をもって抱きしめてあげましょう」みたいな真面目なことしか書いてない。

    でも、実践するのは本当に難しい。赤ちゃんが寝るタイミングは毎日バラバラだし、深夜は私だって眠いし疲れるし、憂鬱な気分にもなる。育児本に書いてあることが全然できなくて、劣等感に苛まれてました。「私ってダメなママなのかな?」って。

    育児本の通りに子育てはできていないけど、子どもはちゃんと元気に大きくなる。「疲れたときはベビーシッターに預けて休もう」とか「お弁当は全部手作りじゃなくても大丈夫」ということを発信して、誰かの肩の荷をおろせればと思いました。

    頑張りすぎるより、ちょっと手を抜いたほうが、逆に子育ては楽しくなりますから。

    玄関でエナジードリンクを飲んで家に帰る

    ある日の食卓。5人家族の夕飯は品数も多い。(Photo:Aya Ishiguro) / Via ameblo.jp

    ──育児しながら仕事するのってかなりハードに見えますが、つらくなかったですか?

    とにかく仕事がしたかった。仕事は自分が「石黒彩」という個人に戻れる時間だし、家にいるほうが疲れるんですよ。

    ──家って、リラックスできる場所のイメージがありますが……。

    家にいるだけで、台所には洗い物が溜まっていくし、ゴミも出るから忙しいんですよ。ずっと「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」という状態になってます。

    仕事場は逆で、常に周りに人がいるから誰かに頼れるじゃないですか。メイクしてもらってるときは、座れますし。

    ──家にいると、座ることもままならない。

    そうそう。歌ったり踊ったりするのは別ですが、基本的に番組収録は家にいるより疲れません。お仕事がやすらぎの時間。仕事で元気をチャージして、家に帰ってます。

    家の前でエナジードリンクを一気飲みしてから、「ただいまー!」ってドアを開けることもありますよ(笑)

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    Tasty / Via youtube.com

    ──育児と仕事を両立しているとはいえ、復帰した当初は、受けられない仕事も多かったと聞きました。

    そうですね。子どもがいることで仕事を断られたりもしました。「ドラマ収録を近くでしてるから、子どもは連れてきてもいいけど、絶対に泣かせないでください」とかね。不可能じゃないですか。

    当時は「ママタレ」という言葉もまだ一般的ではなかったですし、育児に対する認識が共有されてなかったので、どう扱って良いのかわからなかったんだと思います。仕事の現場に家庭を持ち込むのは問題外、という空気がありましたね。

    Photo by Shin Ishimota

    ──そういう中で、どうやって育児と仕事を両立させたんですか。

    仕事を再開した当初はやっぱり大変だったんですけど、マネージャーさんが理解のある方でとても助けられました。番組収録の間に楽屋で子どもを見てもらったり、ロケバスの中で遊んでもらったり。シッターさんに頼ることも多かったです。 

    三船美佳ちゃんと共演したときに、初めて仕事現場に赤ちゃんを連れてるタレントさんに出会ったんですよ。お互いメイクしながら授乳したりして、「やっと仲間が増えた!」って思いました。

    ──いつぐらいでしょうか?

    3人目の子どもが生まれた時ぐらいだったので、2004年頃ですかね。

    だんだんと「ママタレ」という仕事も確立して、テレビで育児のことを話したり、講演をすることも増えてきて、空気が変わっていきました。

    オファーがあったときに「お子さんは一緒に来られますか? 控え室は和室にしますね」と言われてすごく感動したのを覚えています。

    世の中でも働きながら子育てをする人が一般的になってきたのが大きかったんだと思います。

    ──孤独な育児初期から比べると、社会もすごく変わりましたよね。

    そうそう。合わせて私も意識が変わりました。昔は、育児も家事も全部をきっちりこなさなきゃって思っていたんです。自分が仕事で家をあけるときは、寝ないで作り置きを用意したり、家も常に整った状態にしなきゃって思っていて。

    その切羽詰まった状態を見て、子どもから「ごはんはカップ麺でいいからママが笑っていて欲しい」「ママが楽しそうじゃないから、そんなに頑張らなくてもいい」って言われたこともあります。

    ──母親思い……!

    ある程度、子どもたちが大きくなったときに言われたんですけど、小さいときからずっと思ってたんじゃないかな。何度も過保護をやめようと思っても、ついつい肩に力が入ってしまってた。

    冷凍食品をお弁当に入れるのも全然いいと思います。むしろ子どもたちは喜びますよ。うちの子は、占いグラタンが好きでよくリクエストされました。だって、食べ終わったら底に占いがでてくるんですよ? 最高ですよね。

    キャラ弁を一生懸命作っていた時期もありましたけど、「キャラクターの顔にフォーク刺すのが気が引けるから……」と言われたこともあります。

    子どもを育てながら仕事をして、もうすぐ20年になりますけれど、気を抜いてもいいってことを伝えていきたいですね。育児や家事に100%労力をさける人もいれば、そうじゃない人もいるし、子どもだって親からの過保護を必ず求めているわけでもないですから。

    子どもたちはすっかり手がかからなくなって、長女はもう働いてます。ダメなママでも、忙しいママでも子どもたちはすくすく育つんです。