東京オリンピックの聖火リレーが始まっている。国内外で、五輪・パラリンピック開催の是非を巡る議論が続く一方、開催と出場を心待ちにする選手たちがいる。
2016年の前回リオデジャネイロ五輪・パラリンピックで初めて出場した「難民選手団」だ。戦乱などで母国を追われ難民となった選手らでつくる選手団で、国旗ではなく五輪旗がはためくことになっている。
空手で東京五輪出場を目指すアーシフ・スルタニさん(25)は、アフガニスタン出身だ。
一度逃れたイランからも16歳の時に追われた。オーストラリアに渡って難民認定を受け、空手の本格的な修行を始めた。難民選手団の候補に選ばれ、東京を目指して日々、厳しいトレーニングを積んでいる。
アーシフさんはBuzzFeed Newsのオンライン取材に「空手は、僕に規律と誇りを与えてくれた。東京に行ける日を心待ちにしている」と語り、「ぜひ、難民の境遇にも関心を持ってほしい」と訴える。
混乱と迫害で追われた祖国
アーシフさんは、アフガニスタン北西部マザリシャリフ近郊で、1995年に生まれた。
幼い頃から、アフガニスタンでは混乱が続いていた。2001年に米軍が空爆を始め、国土の大半を実効支配していたタリバン政権が崩壊しても、安定からはほど遠かった。
アーシフさんは、アフガンの少数民族ハザラ人だ。ハザラ人は民族的にモンゴル系やトルコ系に近いといわれる。パシュトゥン人などアフガンのほかの民族とは見た目が異なり、日本人など東アジア人によく似ている。
ハザラ人はまた、イスラム教でも少数派のシーア派を信仰している。このため、イスラム教スンニ派の過激派アルカイダやイスラム国(IS)、そしてタリバンなどからは、同じイスラム教徒はいえども「背教者」とみなされ、排斥と攻撃の対象とされてきた。
こうした状況から、ハザラ人の多くは貧しい暮らしを余儀なくされ、首都カブールなどでは肉体労働などの仕事で食いつなぐ人が多い。
ブルース・リーを支えにいじめと闘う
アーシフさんが7歳の時、一家は隣国イランに逃れた。しかし、イランも決して、安住の地ではなかった。
UNHCRによると2018年現在、イランには約100万人の難民と、さらに難民としての法的手続きを受けていない推定150−200万人のアフガン人がいる。アーシフさん一家は当時、後者だった。
「不法滞在者」として国外追放されてもおかしくない不安定な立場。父親は農場の労働者として働いたが、社会保障は受けられず、生活は苦しかった。
当時のイラン政府は、こうした難民の子どもたちの就学を認めていなかった。学校に行くこともできないアーシフさんは「どうして僕たちだけ、ほかの子と違うの」と親や周囲に訴えたが、どうにもならなかった。
そして、見かけの違うハザラ人に対する差別は、イランでも激しかった。アーシフさんも地元の子どもたちにいじめられた。殴られたり、ツバを吐きかけられたりすることも珍しくなかったという。
心の支えになったのが、武道だった。
香港のスーパースター、ブルース・リーの映画を繰り返し見て、技をまねた。それは、差別といじめから身を守るためでもあった。
近くでカンフーの道場を見つけ、通い始めた。しかし、差別はそこにも忍び寄ってきた。数ヶ月後、道場主から「お前はハザラ人の難民だから」とそれ以上、稽古に通うことを断られた。
仕方なく、同じハザラ人難民の子どもたちと裏庭で稽古を続けた。
16歳のある日、アーシフさんはイランの治安部隊に拘束された。難民認定を受けていないため、家族と離ればなれになって1人、アフガニスタンに送還された。「不法滞在者」として追い出されたのだ。
久しぶりに見た祖国は、銃を持ったひげ面の男たちがあちこちにうろつき、暴力が支配していた。
「芯から恐怖を感じた。ここでは生きていけないと思った」
豪州で出会った「恐怖のない環境」と「励まし」
アーシフさんは1人でアフガニスタンを脱出し、インドネシアに向かった。ボートに乗り込み、庇護を求めてオーストラリアに渡ろうとした。
ボートは途中でエンジンが故障し、難破しそうになった。同乗していた約100人の人々はパニックを起こし、救命胴衣を求めて争った。「もう死ぬんだな」と思った。
エンジンはなんとか再始動し、オーストラリア領クリスマス島にたどり着いた。
アーシフさんは島の難民収容所に収容された。
そこで逆に、落ち着くことができた。「恐怖に包まれずに暮らせるのは、初めてのことだった」という。
収容所内にはトレーニング施設があり、腕立て伏せや腹筋をして身体を鍛え始めた。
すると、インストラクターが励ましてくれた。「誰かに励まされるというのも、生まれて初めての体験だった」という。
「だから、何も手にしていない難民だとしても、自分はひとりの人間であり、何かができるということを示したくなったんです」
それから豪州本土に渡り、18歳で初めて学校に通った。空手を学ぶ別のアフガン難民の青年に紹介され、道場で本格的な空手の稽古を始めることになった。
「僕は武道に救われた。そして空手が教えてくれたのは、打撃と蹴りだけではなかった。規律と、他者への敬意だ。それを、次の世代にも伝えていきたいと思っている」
東京オリンピック・パラリンピックは新型コロナの影響で1年延期された。
「2020年は世界全ての人々にとって困難な1年だった。オーストラリアでもロックダウンが続いた。しかし、外出したくてもできないという状況や、希望がすぐ叶わないことは、僕にとっては難民としてずっと経験したことでもあったのです」と語る。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などが支援する難民選手団は、受け入れ国による難民認定を受けたスポーツ選手が選考の対象となる。アーシフさんは現在、難民選手団の「候補」の段階で、国際五輪委員会(IOC)から奨学生としてトレーニング等への支援を受けている。
選手団の最終的な選考は近く行われ、東京五輪への出場者が決まる予定だ。
「日本には、まだ行ったことがありません。だから、五輪選手に選ばれて東京に行くことを心から楽しみにしています。僕は日本文化に深い敬意を持っていて、強い関心がある。だから、もし東京に行けて、コロナの影響が落ち着いていれば、日本で文化を学び、空手の母国日本で、空手についてもっと深く学びたい思っています」
「自ら難民となる人はいません。僕たちは戦乱などで全てを失い、家族や故郷と離ればなれになってしまったのです。お願いだから、それを知ってください。難民にとっては、人々の支援が全てです。私たちは、もう十分に苦しみました。そして、支えがなければ生きてけないのです」
「パンデミックによる五輪の延期は、史上初のことです。難民選手団は、人類の思いやりと、スポーツを通じた団結の力を示すために東京五輪に参加したいと思っています」
アーシフさんが見せたいのは、鍛え上げた自らの技だけではない。
「ぜひ五輪出場を果たし、僕たちが人権と自由のために闘う姿を、日本と世界全ての人々にお見せしたいと思っています」
難民選手団を支援する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は4月6日、紛争と迫害で故郷を逃れ、スポーツに希望を見いだして五輪を目指す難民の物語をドラマ仕立てにした動画「The Journey」を公開した。国連の「開発と平和のためのスポーツの国際デー」に合わせて公開したという。
この動画は、「学校に行く時も道場に行く時も、いつも、自分の足で走っていた」というアーシフさんをはじめとする難民選手のアドバイスを受けて制作されたという。