南北首脳会談はなぜ歴史的なのか? 背景を解説します

    北朝鮮の首脳が初めて韓国に足を踏み入れた南北首脳会談。その重要性は。

    朝鮮半島の分断を象徴してきた板門店で4月27日、「歴史的」と各メディアがそろって評価する南北首脳会談が始まった。

    この会談は、なぜ「歴史的」といわれ、重要視されているのか。

    そもそも、なぜ南北は分断しているのか

    韓国と北朝鮮はもともと、一つの国だった。

    1910年、日本が韓国(当時は大韓帝国)を併合し、植民地として支配を始めた。だが日本は1945年8月15日、ポツダム宣言を受諾して連合国側に降伏し、日本による朝鮮半島の植民統治の時代は終わった。

    このため8月15日は日本では「終戦記念日」だが、韓国では「光復節」と呼ばれる。日本の降伏とともに、朝鮮半島では北緯38度線を境に北側を旧ソビエト連邦(ロシア)、南側はアメリカが占領した。

    だがその後、日本やナチス・ドイツとの戦いでは手を組んでいた米ソが対立を深め、各地で主導権を争う「東西冷戦」と呼ばれる時代が来た。

    朝鮮半島でも、38度線の南側では、李承晩が資本主義の「大韓民国(韓国)」の建国を、北側では金日成が社会主義の「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」の建国を、あいついで宣言した。

    南北は戦い、多くの死者を出した

    だが1950年、南北両国は戦乱に包まれる。

    6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて南側に侵攻。中国やソ連からの支援を受ける北朝鮮と、米軍を中心とする国連軍の支援を受ける韓国との戦争は1953年まで続き、国土は南北とも荒廃した。朝鮮戦争だ。

    朝鮮戦争は「休戦協定」を結ぶかたちで戦闘が止まった。

    つまり今も、南北は「終戦」しておらず、国際法上は戦争状態にある。南北を分断する線を「軍事境界線」と呼ぶ理由も、ここにある。朝鮮半島で、戦争はまだ、終わっていないのだ。

    南北首脳の直接対話は、70年余でまだ3回目

    南北の首脳が直接、会談するのは、朝鮮半島の分断が始まって以降、これでまだ3度目にすぎない。

    最初は2000年6月、韓国の金大中大統領が北朝鮮を飛行機で訪問し、平壌で金正日総書記と会談した。金大中氏はこの功績などで、ノーベル平和賞を受賞した。

    2度目は2007年。盧武鉉大統領が金正日氏と会談した。

    2018年4月27日の会談では、金正恩氏が、北朝鮮の最高指導者としては初めて、軍事境界線を越えて韓国側に入った。

    北朝鮮の首脳が韓国領に足を踏み入れるのは史上初

    会談のポイントは

    会談のポイントは、まず核実験や弾道ミサイルの打ち上げを続けてきた、北朝鮮の核開発問題をどうするかだ。

    また、現在は朝鮮戦争の「休戦状態」にある南北両国で、戦争状態を終結させるための平和協定の締結をどうするかも課題だ。

    南北首脳会談ののちには、米トランプ大統領と金正恩氏の米朝首脳会談も控えており、米朝会談に向けた環境整備がどれくらい進むかも注目される。

    韓国国内で関心が高いのは、南北の分断によって引き起こされた離散家族の問題だ。

    朝鮮半島では、多くの家庭で家族が境界線の南北に離散。例えば母親が韓国にいて、息子が北朝鮮にいるため長年にわたり会うことが出来ないといった問題が続いており、離散家族は約1千万人にのぼるとみられる。

    南北の交流が拡大すれば、こうした人々が肉親と再会する機会も広がることになる。

    一方、北朝鮮は韓国、あるいや日米からの経済援助に主な関心がある。この点を巡る駆け引きが、今後も各国と続きそうだ。

    BuzzFeed JapanNews