サッカー・イラン代表が国歌斉唱をボイコットした。
カタールで開かれているサッカーW杯のイングランド戦前、国歌斉唱のためイラン代表の選手らが並んだ。しかし国歌の演奏が始まっても、選手らは口を横一文字に結んだまま、沈黙を続けた。
イラン国営放送は中継を一時中断し、場面を切り替えたという。
「勇気ある姿だ」と国歌斉唱時の様子を紹介するツイート
22歳の女性が「ヒジャブの付け方が不適切」と当局に連行され、死亡した。
イラン西部サケズ在住の女性マフサ・アミニさん(22)が9月13日、家族とともにテヘランを訪問中、国民の行動を監視する道徳警察に「ヒジャブ(スカーフ)の付け方が不適切」と連行された。
アミニさんは署内で倒れ、病院に搬送されたが16日に死去した。「連行される車の中で警察に暴行を受けていた」との証言が報じられ、政府側は暴行を否定したものの、イラン各地で瞬く間に抗議の声が上がった。
W杯での国歌斉唱拒否につながった、イランでの抗議デモの始まりだった。
アミ二さんの死から2カ月経っても抗議デモの勢いは衰えておらず、16000人以上が拘束された。
ノルウェーの人権団体「イラン・ヒューマン・ライツ」(IHR)によると、イランで続くデモで、これまでに少なくとも326人が死亡したという。うち43人が子供、25人が女性という。
また、著名な俳優などを含む1万6000人以上が拘束された。死刑判決を受けたデモ参加者もおり、各国から抗議が相次いでいる。
なぜ、それでも抗議デモが続くのか。
一つは、保守派が占めるイラン政府への反感だ。
イランでは1978年に始まった革命で国王を追放し、その後はイスラム教シーア派の宗教指導者が国家元首となる、「イスラム共和国」という独特の政治体制を構築した。
義務のヒジャブへの反発
イラン政府は女性に、髪を隠して体型が分からないようにする服装をするよう求めてきた。
世界のイスラム教徒の女性の多くは、ヒジャブで髪を覆う。しかし、それはあくまで慣習として、あるいは自らの意思で行っていることだ。
イランでは、これが法律上の義務だ。日本人女性がイランに観光に行っても、ヒジャブをしなければいけない。外せば警察の「指導」を受けることになる。
こんな状況に、多くの女性が「どうして、自分の生き方を宗教者や政府に決められなければいけないのか」という不満を抱いていた。
実際にテヘラン市内を歩くと、形だけはヒジャブをしているものの、後ろにずらしている女性も珍しくない。
イランには、ヒジャブを浅く被るほど、その人の現政権支持率も低いというジョークがあるほどだ。
もう一つの火種〜民族問題
デモが収まらないもう一つの理由がある。少数民族、少数宗教の信者に対する差別や抑圧への抗議という色彩を帯びているのだ。
イランはペルシャ人が人口の半分程度。アゼリ人、クルド人、バルーチ人、アラブ人など様々な民族が暮らす。
宗教面でも、イスラム教シーア派だけでなく、イスラム教スンニ派、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教、バハイ教などを信じる人々がいる。
外から見える「ペルシャ人のシーア派国家イラン」というイメージと異なり、イランは多民族・多宗教社会だ。
亡くなったアミニさんは、イラン西部に多い少数民族クルド人だ。クルド人の多くはイスラム教スンニ派で、伝統や生活習慣、母語もペルシャ人とは異なる。
アミニさんの出身地サケズなどイラン西部では、抗議デモが特に激しい。
イラン政府は、こうしたデモの背後に、自治や分離を求めるクルド人政治勢力がいるとみて鎮圧に乗り出している。
さらにイランは11月21日、イラク北部のクルド自治区にあるクルド人組織の拠点を、ミサイルと特攻ドローンで攻撃した。
ヒジャブは「不自由」の象徴に
イランでの抗議デモは今や、1人の女性の死に対する抗議の枠を超え、政府に対するさまざま反感と不満を示す場となっている。
ヒジャブは不自由の象徴として焼かれたり、脱ぎ捨てられたりしている。
デモは特定の組織が全国的に呼びかけて起きているものではなく、自然発生的に始まった。そしてデモ発生→政府側が弾圧→弾圧への抗議デモ、というかたちで、規模と地域的な広がりを持つようになった。
「交渉相手」がいない
交渉して「落としどころ」を求める相手がいない状況だけに、政府は対応に苦慮している。
そしてイランで大規模な抗議デモが広がるのは、これが初めてではない。
保守強硬派のアフマディネジャド氏が改革派の候補を破って再選された2009年大統領選では、選挙に不正があったとして各地で抗議デモが続き、政権側が鎮圧に乗り出した。
イランには、改革や自由の拡大などを求める世論が、確実に存在している。そこに再び、火が付いた状況だ。
イラン代表も多民族チーム
イラン代表もさまざまな民族から構成されているうえ、欧州リーグでプレーし、自由の空気を肌で知る選手が多い。
その1人が、FWサンダル・アズムン。
長くロシアリーグで活躍し、現在は独レバークーゼンに所属している。9月にインスタグラムで「簡単に人の命を奪うなど、恥を知れ。イランの女性に幸あれ」と書き込み、怒りを示した。
アズムンは少数民族のトルクメン人。トルクメン人の多くはイスラム教スンニ派を信じている。
イラン代表の主将「人々の望む方向に状況を」
主将のDFエフサン・ハジサフィは、長くドイツやギリシャでプレーしてきた。国歌斉唱では固く口を結んだまま、歌うことを拒否した。
歌うかどうかは「チームとして決める」と、事前に語っていたという。
試合前日の会見でハジサフィ主将は、母国で起きたデモ弾圧による犠牲者に哀悼の意を表し、政府のデモ弾圧を非難した。
「国の状況が良くなく、国民が幸せではない事実を受け入れなければならない」
「我々がここに来たのは懸命に闘ってゴールを決め、イランの人々に自分たちを捧げるためだ」
「人々の望む方向へ状況が変わり、みんなが幸せになれるのを願っている」
イラン代表の次戦は11月25日午後7時(日本時間)。ウエールズと闘う。