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難民のファルークは「フレディ・マーキュリー」として栄光をつかんだ

クイーンが好きならば、映画「ボヘミアン・ラプソディ」が好きならば、改めて知ってほしい。不世出のロックスター、フレディ・マーキュリー誕生の裏にあった悲劇と、自らの努力と才能で栄光をつかみ取った人生を。

没後27年になる英国の伝説的なロックシンガー、フレディ・マーキュリーとバンド・クイーンの姿を描いた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が、大ヒット上映中だ。

映画では、多くの人々が知らなかった事実が明らかにされる。

英国を代表するロックバンド・クイーンのフロントマンを務めたフレディは、英国生まれではない、ということだ。出生名も「ファルーク・バルサラ」という聞き慣れない響きの名前だった。

「ファルーク・バルサラ」という名で生まれたフレディ・マーキュリー

彼はアフリカ東岸の島で生まれ、少年時代に故郷を追われた難民だった。のちに「フレディ・マーキュリー」へと改名したのだ。

フレディが手にした栄光の裏には、難民としての苦難の歴史と、差別を跳ね返した努力があった。

ザンジバルに生まれ、インドの学校に

フレディ・マーキュリーは1946年9月5日、アフリカ東岸のインド洋に浮かぶ島ザンジバル(当時は英国の保護領。現タンザニア)で生まれた。

出生名は、ファルーク・バルサラ。両親はインド(当時は英国の植民統治下)出身のパルシーだった。「バルサラ」の姓は、一族の出身地がインド西部バルサード(現グジャラート州)であることにちなんでいる。

パルシーとは、もともと「ペルシャ人」を意味する言葉で、インドでは古代のペルシャ(現イラン)で栄えた宗教ゾロアスター教の信徒で、ペルシャのイスラム教化を逃れて移り住んだ人々を意味する。

インドでも少数派のパルシー

パルシーはいまも、ムンバイやグジャラート州などインド西部で少数派として暮らしている。英国統治時代に地位を高め、商業などに進出。インド最大の財閥タタ・グループの総帥ラタン・タタ氏の一族は、パルシーだ。

また、インド初代首相ネルーの娘インディラが、パルシーの政治家フェローズ・ガンディと結婚。インディラはその後、インディラ・ガンディと名乗り、父を継いでインドの首相となった。

グジャラート州では2002年、ヒンドゥー教の暴徒がイスラム教徒など少数派を襲う暴動が発生し、複数のパルシーが犠牲となっている。

父は職を求めインドからザンジバルへ

フレディ(ファルーク)の父ボミは、職を求めてザンジバルに渡り、植民政府の役人となった。そこでフレディが生まれたのだ。

英国統治下のインドからは、南アフリカ、ザンジバル、ケニア、ウガンダなど同じ英国統治下だったアフリカ東岸地域に多くの人々が移り住んだ。このため、今も東アフリカ各国には多くの印僑(インド系住民)がいる。

フレディは幼少期の大半を父の故郷インドにある全寮制学校で過ごした。

そこでリトル・リチャードなどの音楽に親しみながらピアノや歌唱に特異な才能を見せ、バンドを結成した。「フレディ」は、当時クラスメートに呼ばれていた、ニックネームだった。

一家を襲った革命と虐殺

フレディがザンジバルに戻った後に起きたのが、1964年のザンジバル革命だ。

ザンジバルは長い間、いまの中東オマーンから渡ったアラブ系の王(スルタン)による統治が、英国の保護下で続いてきたが、1963年に「ザンジバル王国」として独立を宣言した。

だが翌年、アフリカ系による革命が起き、スルタンは英国に亡命した。ザンジバルは対岸のタンガニーカと合併し、タンザニア連合共和国となった。

革命政府はアラブ系やインド系など少数派住民の資産を没収。少数派に対する虐殺事件が起きて、多くの人々が殺害された。生き延びた少数派はザンジバルを逃れた。

17歳で難民に

フレディもこの時、難民となり、両親や妹とともにロンドン郊外にたどり着いた。17歳の時だった。

両親は使用人として働いた。フレディはカレッジでデザインを学び、地元のブルースバンドに加わった。

差別に耐えてつかんだ栄光

フレディがこの頃、ヒースロー空港で、その南アジア系の容姿から「パキ(スタン)野郎」などと差別的な言葉を投げつけられながら耐えて働く姿が、映画「ボヘミアン・ラプソディ」にも描かれている。

フレディはその後、「smile」という名前のバンドで活躍していたブライアン・メイ(ギター)や、ロジャー・テイラー(ドラム)と知り合い、バンドに加入。名を「QUEEN(クイーン)」と変えて1970年7月18日に、最初のライブを行った。自らの名も「フレディ・マーキュリー」に公式に改名した。

フレディは1991年、AIDSで45歳の生涯を閉じた。ゾロアスター教の教義に従い、火葬された。

故郷を失う経験や、歯が4本多いことなどによる容姿へのコンプレックス、そして男性を愛することなど、多くの葛藤を抱えながらつくり、歌い上げた数々の名曲は、不滅の輝きを保つ。いまも多くの新しいファンを獲得し続けている。


ボヘミアン・ラプソディ予告篇

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