なぜ米軍はアフガニスタンから撤退したのか? 9・11直前に暗殺された「英雄」の遺影

    あっけなく崩壊したアフガン政府。それでも撤退を続けた米国の真意は。なぜアフガン情勢は、全く安定しなかったのか。

    20年にわたり日本をはじめとする国際社会が支え続けたガニ政権があっけなく崩壊し、イスラム勢力タリバンが首都を再掌握したことで注目を集めるアフガニスタン。

    米軍はなぜアフガンから撤退するのか。アフガン政府はなぜ、もろくも崩れ去ったのか。

    (前編:タリバンとは何者か?なぜ復活したのか?アフガン政権崩壊の裏で何が起きたのか

    なぜ米軍はアフガンに攻め込んだのか

    「米軍が去れば、タリバンが勢力を強めるのは分かっていた。しかし、想像を遙かに上回る速さで事態が動いてしまった」

    アフガン駐留米軍の一員として現地に派遣された経験があるジェイク・オーチンクロス米下院議員ら複数の軍事・外交関係者はカブール陥落後、米CNNテレビの取材に口をそろえた。

    アフガニスタンは、中央政府による統治を全土に広げるのが難しい地理的条件にある。米軍の軍事力を持ってしても、山奥の谷間や洞くつに立てこもるゲリラと闘うのは容易ではない。さらにアフガン政府の腐敗と無力ぶりは、多くの人の目に明らかになっていた。

    それでは、そもそもなぜアメリカはアフガンに侵攻したのか。

    少なくとも「アフガン民衆の生活改善」や「アフガンの民主化」を狙ったものではなかった。

    AFP=時事

    ハイジャックされた飛行機による自爆攻撃を受けて倒壊するニューヨークの世界貿易センタービル

    米軍のアフガン作戦の発端は2001年9月11日、ニューヨークとワシントンなどアメリカ本土を襲った米同時多発テロ。

    計画したオサマ・ビンラディン率いる国際テロ組織アルカイダは、アフガンに根拠地をつくっていた。そのアフガンの広範囲を実効支配していたのがタリバン。米国政府は、タリバンがアルカイダと連携し、保護していたとみなした。

    AFP=時事

    1998年に撮影された、アフガンで馬に乗るオサマ・ビンラディン。タリバンの保護下にあった。

    アメリカ国内外の権益や米国人の生命をテロから保護するためには、アルカイダを壊滅させる必要がある。タリバンの支配地域に航空攻撃を手始めに侵攻し、抵抗するならタリバンを倒すしかない。

    こうした計算のもと、当時の米ブッシュ政権はアフガン攻撃に着手。「テロとの闘い」という米国の掲げた旗印の下、日本や欧州各国も結集。直接、間接に米軍の作戦を支援するようになった。

    タリバンを倒したあとに生まれる権力の空白を埋める受け皿となったのが、反タリバン勢力の「北部同盟」だ。同時多発テロ以前は国土の1−2割程度しか掌握できていなかったが、米軍の加勢で盛り返し、11月に首都カブールを奪還。タリバン政権を崩壊させた。

    日本を含む国際社会は北部同盟中心の新政権樹立を歓迎し、選挙の実施など民主化に向けたさまざまな支援を続けた。日本はこれまで、7000億円以上をアフガン支援に費やしている。

    しかし、アフガンの治安は安定せず、人々の生活もなかなか良くならなかった。

    治安の問題で大使館員やNGO職員ですら現地で活動が難しくなる状況が続いた。

    情勢は全く好転せず、長年にわたるアフガン支援で現地の人々から尊敬を集めていた中村哲医師も、2019年に殺害された。

    そのひつぎは、カブール空港でガニ大統領自らが担いだ。

    AFP=時事

    カブールの空港で、中村哲医師のひつぎを担ぐアフガニスタンのガニ大統領(手前右)と兵士ら(2019年12月)

    米軍はなぜ撤退するのか

    今回の米軍完全撤退に繋がるタリバンとの和平合意は、トランプ前政権時代の2020年3月に結ばれた

    20年近くにわたって巨額の費用を費やしながら続き、好転する見通しも立たない米軍のアフガン派遣に、トランプ氏は「我々の国民を帰国させるべきだ」と訴えた。

    2020年秋の大統領選でトランプ氏を破ったバイデン現大統領も、撤退路線を維持した。

    米国や国際社会が支援しても、アフガンの民主化や治安状況の改善は一向に進まない。バイデン氏はそんな状況に強い疑問を持ち、10年以上前から米軍の撤退を考えていた。

    ロイター通信によると、オバマ政権の副大統領に就任する直前のバイデン氏は2009年1月、カブールを訪問した。

    当時のカルザイ大統領に対し、夕食会の場でアフガン市民全員のための統治に着手しない限り、米政府の支援を失いかねないと指摘した。アフガン政府に広がる腐敗や無能力ぶりを警告したのだ。

    「米国はアフガン市民の死に無関心だ」と反論するカルザイ氏に対し、バイデン氏はナプキンを放り捨てて会食を打ち切ったという。

    AFP=時事

    2009年5月、ワシントンでオバマ大統領らと会見したカルザイ氏。後ろに副大統領だったバイデン氏が難しい顔をしている。バイデン氏はすでにカルザイ氏と決裂しており、米軍のアフガン駐留に冷ややかになっていた。

    バイデン政権は今、南シナ海などで続く中国の膨張や、ロシアへの対抗策に忙殺されている。

    テコ入れを20年続けても成果の上がらないアフガンに、資金と米兵の生命をこれ以上つぎ込めない。アフガン撤退はトランプ前大統領が敷いた路線だけに、議会で共和党も強くバイデン政権を攻撃できない。

    カルザイ氏との決裂から12年。大統領となったバイデン氏は、そういう冷徹な計算のもとに、撤退を実行したとみられる。

    しかし、米軍が完全撤退する前に、巨費を投じて支えてきたアフガン政府があっけなく崩壊する事態に、米国内では「失態」とする批判が強まっている。

    そして、撤退を巡り「私は就任の際、タリバンを軍事的に最強の状態にした前任者の取引を引き継いだ」というバイデン氏と、「アフガンから逃げ出した」とバイデン氏を非難するトランプ氏の責任のなすり合いが、すでに始まっている

    なぜアフガン政府は崩れ去ったのか

    2001年11月、米軍などの攻勢で、タリバンが首都カブールから撤退し、タリバン政権は崩壊した。その後発足した新生アフガニスタン政府は、タジク人やウズベク人、パシュトゥン人の反タリバン勢力などの軍閥の集合体「北部同盟」を基盤としている。

    政府の閣僚や主要ポストは、各軍閥の「親分」と、その子分達が占めていた。そこにアフガン復興のため、日本や米国をはじめとする各国の膨大な援助資金がなだれ込んだ。

    起きたのは、大規模な不正と腐敗だ。

    AFP=時事

    2018年4月、ヘラートで訓練を受けるアフガン政府軍兵士ら。ヘラートは3年後、あっけなくタリバンの手に落ちた。

    米軍は軍閥の民兵組織をまとめ直して訓練して兵器を与え、「アフガン政府軍」として再構築しようとした。これは軍閥の親分にとっては、自分の権益が奪われることを意味する。陰に陽に抵抗し、自派勢力の維持に努めた。

    さらに政府軍も警察も、実際には存在しない「幽霊兵士」「幽霊警察官」を抱えていた。職務を放棄して逃亡したり、最初から水増しされたりした書類上の人員に対して支払われる人件費などを、各地のボスや役人が、自らの懐に入れていたのだ。

    アメリカのアフガニスタン戦略を監視する「アフガニスタン復興特別監察官(SIGAR)」の米連邦議会への2021年報告によると、アメリカがアフガニスタンの治安維持のため拠出した資金の総額は880億ドル(約9兆6440億円)にのぼる。

    「それが適切な資金の使い方だったのかどうかは、究極的には地上戦の結果次第だ」としており、アメリカ政府自らが、「アフガン政府軍は張り子の虎」と認めたようなものだ。

    この報告書が見通したとおり、2021年5月に米軍と北太平洋条約機構(NATO)軍が正式にアフガンからの撤退を始め、それが本格化すると、アフガン政府軍は一方的に自壊していった。

    南西部ヘラートでは、周辺に君臨していた軍閥のボス、イスマイル・カーン氏がタリバン側に寝返ったとの報道もある。

    仕込まれていた罠

    そして、このアフガン政府の混乱ぶりには、20年前に仕掛けられた「罠」が奏功している可能性もある。

    タリバンが国土の大部分を実効支配していた20年前、アフガンで高い尊敬を集めていた反タリバン派指導者がいる。アハマド・シャー・マスード司令官だ。

    AFP=時事

    アハマド・シャー・マスード司令官(1953−2001)

    タジク人のマスード氏は、80年代はソ連軍と闘い、90年代半ばにタリバンが登場すると、反タリバンで結集した連合体「北部同盟」の主軸として活動した。

    高い戦闘指揮能力で「パンジシールの獅子」の異名を取った。軍事司令官としての面だけでなく、アフガンが平和を取り戻した後の民主化構想についても語り、勉強家で高潔な人柄も讃えられ、英雄視された。

    タリバン政権が崩壊して北部同盟が新政府の座につけば、将来の大統領候補になることは間違いない、と多くの人が期待していた。

    しかしマスード氏は2001年9月9日、アフガン北西部で暗殺された。

    「アラブのテレビ局記者」を名乗る男2人が取材に訪れ、隠し持っていた爆弾を作動させて自爆したのだ。

    アメリカで同時多発テロ事件が起きる2日前。この時、アフガンで起きた異変に気づく人は少なかった。

    アルカイダとタリバンには、9月11日に大規模テロをアメリカで決行する前に、目の上のたんこぶであるマスード氏を殺害し、アフガンでの反タリバン勢力の力を削ぐ狙いがあったとみられる。

    北部同盟は同時多発テロ事件後、米軍の加勢でタリバンを圧倒し、新政府の座に就いた。

    しかし、バランス感覚に優れ腐敗を嫌うカリスマ指導者マスード氏の姿は、遺影の中にしかなかった。

    新生アフガン政府は、ことあるごとにマスード氏の遺影を掲げてその栄光を語り、「マスードの後継者」として求心力を維持しようとした。

    マスード氏に匹敵する指導者は現れないまま、アフガン政府は20年後、瓦解した。

    AFP=時事

    2001年12月、カブールで、故マスード氏の肖像画を背に暫定行政機構議長(首相)への就任宣誓をするハミド・カルザイ氏(後の大統領)

    もしマスード氏が生きていたら、アフガニスタンはどうなっていたか。

    そう考えるアフガン人は少なくない。

    アメリカのバイデン大統領は8月16日、撤退についてテレビ演説し、自らの考えを明かした。何を語ったのか。

    続きます


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