「神よ、これを終わりにしてください」9・11最初の犠牲者が、テロと戦乱の20年に投げかけるもの。

    発生から20年となる米同時多発テロ。最初に死亡を確認されたのは、LGBTや貧しい人々に寄り添うことで知られた神父だった。消防隊員とともに現場に向かい、職に殉じた。神父の人生は、今を生きる私たちに何を示すのか。

    2001年9月11日、世界を震撼させる事件が起きた。国際テロ組織アルカイダの構成員らがハイジャックした旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービル北棟、南棟、そしてワシントンの米国防総省ビルに突っ込んだのだ。約3000人が犠牲となった。

    この事件で身元が確認された最初の犠牲者となったのは、カトリックの神父だった。マイカル・ジャッジ(1933−2001)という。

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    ニューヨーク市消防局チャプレンとして制服姿で微笑むマイカル・ジャッジ神父。2001年7月28日撮影。

    教義上は同性愛を認めないカトリックの世界に身を置く一方、LGBTQの人々の権利のために闘い、貧しい人々に寄り添う活動を続けていた。

    あの日、混乱する現場に向かい、傷つき混乱した人々に寄り添って祈るさなか、ビルの崩落に巻き込まれた。

    それから20年。マイカル神父の足跡を調べ続けたプロテスタント牧師の中村吉基さん(53)が、著書『マイカルの祈り: 9.11同時多発テロに殉じた神父の物語』にまとめ、上梓した。

    東京・代々木上原教会で主任牧師を務める中村さんは、マイカル神父の何に魅せられたのか。その目にうつる神父の生き様は、今の時代に何を語りかけるのか。

    (本人提供)

    中村吉基牧師

    アメリカでは、議会や軍、各地の警察や消防局などさまざまな公的機関に「チャプレン」という役職が存在する。その機関の精神的支柱となり、宗教の観点から職員の心理的ケアをしたり、メンターのような役割も果たしたりもする。

    ニューヨーク市消防局には2021年現在、キリスト教各派やユダヤ教など7人のチャプレンがいる。

    どんな現場にも駆けつけ人命を救う消防士は、アメリカで高い尊敬を集める職業だ。しかし危険を伴うだけに強いストレスにさらされ、時に殉職者も出る。

    仕事の重圧などに苦しむメンバーや殉職者の遺族、そして事件・事故の犠牲者や負傷者のために現場に駆けつけて祈りを捧げたり、寄り添ったりするのが、チャプレンの主な仕事だ。

    消防局チャプレンのマイカル・ジャッジ神父は1933年、ニューヨーク・ブルックリンで、アイルランド系カトリック移民の家庭に生まれた。10代のころからカトリックの神父になることを目指し、修道会に入った。

    やがてカトリック教会内での人間関係などに悩むようになり、アルコールに依存するようになった。アルコール依存の人々が助け合い、回復を目指すグループ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)の支援で酒を断ち、自らも様々な依存症の人々に寄り添うようになった。

    依存症や貧しい人々の支援活動を続ける傍ら、LGBTQの人々や、1980年代に大きな社会問題となったエイズ患者の差別にも立ち向かった。

    エイズは当時、「同性愛者の病気」とみなされ、患者を受け入れる教会はほとんどなかった。特にカトリックは教義上、同性愛を認めていない。

    マイカル神父は、LGBTQのカトリック信徒の団体「ディグニティ(尊厳)」に協力。さらに多くのエイズ患者を定期的に訪れ、抱きしめ、力づけ、共に祈った。

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    1980年、「ディグニティ」のバナーを掲げてニューヨークを行進する人々

    マイカル神父はこうした活動を通し、政財界やセレブにも知られる存在になっていった。しかし、相手が誰であっても態度を変えなかったという。

    ある夜、ホームレス2人に路上で無心された神父は「いい夜だね」と言って、2人をハンバーガー店に連れて行き、ともに食前の祈りを捧げて食を与えた。

    その足で高級ホテルで開かれたエイズ患者の慈善イベントに向かった神父は、「スーパーマン」で主演した俳優クリストファー・リーブに声をかけられた。

    ホームレスの2人に語りかけたのと同じ口調で、「いい夜だね」と返した。

    悲劇の前日にも「ともに力をあわせて」

    2001年9月10日、神父はニューヨーク市内の消防署で開かれたセレモニーに、チャプレンとしてジュリアーニ市長(当時)とともに出席した。

    神父は消防士らに説教した。

    「良い日も、悪い日もある。悲しい日も幸せな日もある。心が高揚する日も落ちこむ日もある。しかし、この仕事に退屈な日は、一日もありません」

    「神がお求めになるままに向かうのです。神がどこにお導きになるかは分からない。しかし神はあなた方を求めている。私たち全てを求めている。進むのです。互いを励まし合い、愛し合い、力を合わせて進み続けるのです」

    「これはとても、とても難しい仕事です。しかし、私たちはみんなこの仕事を愛している。素晴らしい職業だ。神を信じ、神を信頼して力をあわせれば、この署は、この地域は、ニューヨーク市は、神に祝福される。アーメン」

    その翌朝。

    AFP=時事

    2001年9月11日午前8時46分、世界貿易センタービル北棟にハイジャックされた飛行機が突っ込んだ。そして、南棟に2機目が迫った。

    世界貿易センタービルで爆発という一報を受けた神父は、ヘルメットを被り、消防士らとともに近くの消防署から駆けつけた。

    現場で顔を合わせたジュリアーニ市長に「私たちのために祈ってくれ」と声をかけられ、「いつも祈ってるよ」と微笑んだという。

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    2001年9月11日、現場で消火と救助活動を続ける消防士ら

    神父はビルに入っていった。

    ショックで動揺する人々を慰める姿。ひん死の負傷者や、炎に包まれる現場で殉職した消防士に最後の祈りを捧げる姿。逃げ場を失い上層階から落ちてきた人が地面にたたきつけられるたびに、悲しみを浮かべる姿。

    多くの人が、チャプレンとして現場で職務を果たす神父の姿を目撃している。「イエスよ、これを今すぐ終わりにしてください。神よ、これを終わりにしてください」と口に出して祈っていたという。

    間もなく、上から瓦礫が落ちてきた。神父は巻き込まれた。消防士らが救出したが、すでに天に召されていた。

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    世界貿易センタービルの現場で救助活動中に倒れた同僚を運ぶ消防隊員ら

    中村吉基さんがマイカル神父の存在を知ったのは、テロ事件直後の現地からの報道だった。記事には、神父が常に口にしていた4行の祈りが添えられていた。

    主よ、あなたが行かせたいところに連れて行ってください。

    あなたが会わせたい人に会わせてください。

    あなたが語りたいことを示してください。

    私があなたの道をさえぎることがありませんように。

    神父は9月10日の説教でも、ほぼ同じ内容を語っていた。

    中村さんにとって、ニューヨークは人生の転換点をもたらした地だ。

    高校1年生の頃に洗礼を受けクリスチャンとなった中村さんはやがて、自らがゲイであることを自覚するようになった。

    東京の農業専門紙で勤務していた1995年、ニューヨークを旅した。市内のある教会を訪れた時、日本人ガイドの言葉に衝撃を受けた。「ここはエイズ患者のお葬式をしている教会として有名です」。

    HIV感染は当時、現在のような療法が確立しておらず、多くの人が亡くなっていた。日本のゲイコミュニティでも、エイズは深刻な問題だった。そして、アメリカでも患者がほとんどの教会から排除されるという現実があったのだ。

    「ゲイでクリスチャンの私が自分がもし死んだら、どこの教会が葬儀をしてくれるのか」「隣人を愛して寄り添うことを説くのが、キリスト教じゃないのか」

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    世界貿易センタービル跡地に建った慰霊碑に刻まれた「チャプレン・マイカル・F・ジャッジ」の文字。神父の4行の祈りはカードになり、ニューヨークの消防士らに配られている。

    帰国してカバンを置くと、すぐにいろんな人に連絡を取り相談を始めた。やがて「エイズ患者やLGBTQの人々が集い、寄り添う教会が日本にあっていいじゃないか」と思うようになった。

    神学校に通い、2004年にLGBTQの街として知られる東京・新宿2丁目に教会を開いた。様々な立場の人々に寄り添い、共に生きるコミュニティーをつくるためだ。

    テロ事件の翌年から7回にわたりニューヨークに渡り、神父の足跡を訪ね歩いた。資料をまとめ、事件から20年を期に本を出した。

    マイカル・ジャッジ神父が生涯を通じて行い続け、示したこと。
    それは「共にあること」だと、中村さんは語る。

    エイズ患者。ハリウッドスター。ホームレス。LGBTQ。政治家。消防士。火事で焼け出された人。神父はすべての人々とフラットに語り合い、共にあった。

    「遺族の方の感情を刺激する言葉になるかもしれない。しかし、もしかしたらマイカル神父は、テロの実行犯すらも許していたかもしれないと、私は心の中では思っています」

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    2001年11月10日、マイカル・ジャッジ神父が使っていた白いヘルメットが、バチカンで教皇ヨハネ・パウロ二世に捧げられた。

    分断された世界

    オサマ・ビンラディン率いるアルカイダは、極端なイスラム教解釈を背景に、自らに従わない者の殺害をいとわず、世界を恐怖に陥れた。「我々につくか、神の敵になるか」の二分法だ。

    ブッシュ政権も世界を二分しようとした。事件直後に「テロとの戦い」を宣告。各国に「テロリストにつくか、我々につくか」と迫った。

    アフガニスタンとイラクを侵攻し、あっという間に征服した。

    国内では治安対策を名目に政府の権限を強化。ネットや携帯の通信記録などを世界規模で監視する情報網を築き上げた。

    しかしイラクは十分な民主化もままならないまま、テロと混乱に沈む。

    そして米軍が撤退したアフガニスタンでは2021年8月、一度は倒したはずのタリバンが、あっという間に復権した。

    AFP=時事

    アフガニスタン西部ヘラートで9月2日、女性の教育継続を求めるデモ参加者と向き合うタリバン構成員。

    テロの被害者や遺族は、こんな暴力と報復の連鎖を求めていたのか。アフガンやイラクの人々はどうか。

    9・11でビンラディンが葬ろうとしたもの。事件に動揺したブッシュ政権の「対テロ政策」で大きく損なわれたもの。そして今、必要なもの。

    それは、マイカル神父が人生を通じて示した「共にあること」。人種、民族、文化、性的指向、性自認、宗教、思想。貧富の差。あらゆる多様性を、あるがままに受け止め、互いを信頼し、愛し合う心なのかもしれない。

    Jason Nevader / WireImage

    消防署に飾られたマイカル神父の遺影

    参考資料:『マイカルの祈り: 9.11同時多発テロに殉じた神父の物語』(中村吉基、あめんどう

    『The Book of Mycal 』(Michael Daly, 2008)

    ニューヨークタイムズ、NPRなどの各記事


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