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あなたも 私も 生きるための伴走者になって

3月は自殺対策強化月間。3月3日に行われた熊本県弁護士会主催の自殺対策シンポジウム「子どもの自殺〜子どもの健やかな未来のために大人達にできること〜」に寄せたビデオメッセージの原稿です。

自殺対策シンポジウム「子どもの自殺~子どもの健やかな未来のために大人達にできること~」に、自殺しようとした経験がある者の一人として体験をお話ししたいと思います。

私は全身の筋肉が衰え体が動かせなくなる難病「筋ジストロフィー」を抱えながら生きています。

3歳頃の発病から徐々に病状が進行して、幼い頃は階段を昇ったり、座ったり立ち上がったりできていたのが、年を重ねるにつれ歩けなくなり、14歳で車いす生活になりました。

現在は常に人工呼吸器を使って、食事はお腹に開けた口(胃ろう)から管で栄養を入れて、二十四時間、生活動作の全てに介助を得ながら自宅で暮らしています。仕事は「岩崎航」というペンネームで詩やエッセイの執筆をしています。

私は17歳の時、自殺しようと思いました。

「なんで自分だけがこんな思いをするのか」

当時は通信制高校の3年生。月に数回、スクーリングで登校したり、年に数回、持病の診察で通院したり、電動車いすに乗って近所を散歩する以外、日常の外出もままなりませんでした。体の不自由さによる移動の困難があったからです。

通信制は自宅での自学自習だったこともあって、いつしか家に引きこもる日々が続いていました。1年のうちで家族以外の人と話していないという日が大半を占めるようになって、人との関わりがとても希薄になっていました。

そうした状況から、同世代の友達や知り合いの暮らしぶりを思って、自分と違って楽しい高校生活を送っているんだろうなとか、人と自分の境遇を比べて思いつめるようになりました。そうすると、本当に気持ちが沈んで暗くなりました。

人と比べている間は、本当に苦しかったです。日常のほんの些細なことにも悲しくなって、涙がこぼれてくるのです。「隣の芝生は青く見える」とも言いますが、そんな格言など何の力にも慰めにもなりません。

「なんで自分だけがこんな思いをするのか」

「みんなはいろんなことができるのに、自分はできない」

そういうふうにどんどん自分で自分を追い込んでいって、ついには、この病気の体を持ったまま生きていても将来はない、希望はないと思い込んでしまったのです。そのときにはじめて、自分で死のうと思いました。

「病のない状態にならなければ、未来に幸せはない。自分の人生が始まらない」という考えが自分をがんじがらめに縛っていました。「病を持っていることを含めての自分」と思えないことは、ありのままの自分を否定することですし、大変に辛いものです。そのことこそが、筋ジストロフィーよりも、私の生きる道を遮っていた最大の障害だったと思います。

自殺の原因の一つとして病苦が多いと聞きます。

だれでも、病気になったら「治したい」と思うのは人間の自然な感情だと思います。自分ですぐにはどうすることもできない辛い状況に置かれたとき、途方に暮れたり平気ではいられないのは当然です。

消えない灯火がある。生きたいという気持ち

自殺しようと思った日のことは鮮明に覚えています。

ある日の夕方。誰も見ていない自分の部屋でナイフを見つめました。

「いったい何のために僕はこの世に生まれてきたのかな……」そう思うと、ぽろぽろと涙がこぼれました。

でも、次の瞬間、「最後に、もう一度。死にものぐるいで生きてみよう」という激しい思いが湧き上がってきました。その思いは「このまま自分が死んでしまったら、自分はなんのために生きてきたんだろう」という問いでもありました。

命の奥底、存在の奥底から「自分はこんなに嘆き悲しんだり、涙ばかりこぼすために生まれてきたのではない。このままで死んでたまるか」という怒りみたいな思いが突き上げてきたことで、それがきっかけになって自殺するのをやめました。

〝死にたい〟と思う心から〝生きよう〟と思う心への変化がどうして起こったのか、私にもよく分かりません。たとえ一時、死んでしまいたいという気持ちに覆われていたとしても、その奥には消えない灯火として、生きたいという気持ちがあったのだと思います。

自殺を踏みとどまった後も、自分の気持ちがすっかり整理されたわけではなくて、葛藤し苦しみは続きましたが、その中で徐々に「病気を含めての自分なんだ。そのままの自分で人生を生きればいい」という心境に変わってきました。

そうすると、人と比べて嘆いて落ち込むことがなくなっていきました。病を含めての自分として生きるという気持ちが固まった時に、はじめて私は、自分の人生を生きはじめたのだと思います。

本当で言った言葉に、他者から本当で答えてもらう

その後、私は二十代の前半に体調の悪い時期が4年ほどありました。

ストレスが原因と思われる絶え間ない吐き気に襲われるようになってその苦しさにのみ込まれて、気力も何も出てこなくて、ただただ茫然と月日が流れていくのに身を任せていた時期でした。

今、思えば、こうした日々もいつ自殺に気持ちが傾いてもおかしくない瀬戸際にいたともいえます。

当時のある日、たまたま部屋で母にお茶を飲ませてもらいながら、とりとめのない会話をしていた時、話の流れでふいに私がぽそっと「ぼくにはもう夢も希望もないよ」って言ったことがありました。

別にその場で母に何か恨み言を言うつもりはなかったのですが、自分の正直な思いが呻きのようにこぼれたのでしょう。すると母が「お母さん悲しいな」って、ぽそっと言ったんです。そのたった一言の言葉が、何とも言いがたい痛切な響きだったのを覚えています。

私がその時点で生きることに「もう夢も希望もないよ」って言ったのは、私が心から思ったことです。その言葉に対して、「お母さんは悲しいな」って言ったというのは、そこには、子どもが生き生きと輝いて、生きがいをもって生きていってほしい、子どもが幸せであってほしいという気持ち、願いが込められていたと思うのです。

目の前で子どもが、生きがいを見いだせずに苦しんでいる。絶望のどん底で夢も希望もないと言っているのを見て、それを目の前にして「悲しい」って言ってくれる親のその言葉もまた、本当に心の底、命の底から思っている言葉なんだと感じました。

本当に心の底から相手を思ってかける言葉は「祈り」だといってよいと思います。そういう言葉を聞いて、その場では目に見える変化みたいなことは、起こりませんでしたが、その時、自分が本当に言った言葉に対して、他者から本当で答えてもらった経験は、自分の中の何かを動かしたのではないかと、私は思うのです。

絶望の中にいたような、どうにもできないような気持ちでいた時でも、そこから動き出す、抜け出していくきっかけのような、そういうものにもなった。

人と人とが本当の思いを交わすことは、互いの心を何かしら揺り動かしていくものではないでしょうか。

「受けとめてもらえた」「そのままを聞いてもらえた」という体験は、人を力づけるものだと思います。自分の奥底の思いをその一端でもよいから知っていてもらうこと、それだけでも人は支えられることがあります。

みんな生きていれば、心の中に言葉があるでしょう。自分の思いを誰かに話す、聞いてもらう、また、そういう話を聞くということは、人間にとって生きていく上で本当に大事な欠かせないことなのではないでしょうか。

自殺しようとまで追い込まれている子に、その周りにいる大人達はどうか、生きるための伴走者になってほしい。そして心からの本当の言葉をかけてほしいです。そして声を聞いて受けとめてほしいです。そこからすべてが始まると思います。

何とか、生き延びて ここで踏みとどまって

若い十代の子どもたちが自殺したという痛ましいニュースを度々聞きます。仙台でも相次いで中学生の子が亡くなって対策を考える動きがあります。

亡くなったその子にとっては、端からは想像もできない苦しみがあって、一人で抱え込んで耐えきれなくなってしまってのことで、悼むほかありません。

本当にどうにも逃げ場がなかったと思うのですけれども、それでもあえて私が声をかけるとしたら、『何とか踏みとどまって、どんな手段でもいいから、とにかく、お願いだから生きていてくれないか?』と声をかけたいです。

「生きるか死ぬか」で揺れ動いているのには、それほどまでに追い詰められるだけの理由があり、その個別の状況もわからない者が、こういうことを言うのは無責任かもしれません。私も自分で死のうと思った時はとても苦しかったです。重い暗闇に包まれていました。

けれでも、何とか踏みとどまって生きるということにして、今、自分が生きていて思うのは、生きたことで新たな苦労や苦しみを抱え込み、耐え難いこともいろいろあったのですが、一方で、本当に生きていて良かったと思うこともあったのです。

詩の創作という仕事に出会えたこと、知らない人と電話で話すのも恐がるほど内気だったのに、親しい友人もでき、多くの人との関わりに喜びを見いだせたこともそうでした。

こういう不自由な体で、人から見れば何もいいことがないのではないかと思われるかもしれません。死のうと思ったときより障害は重くなっています。それでも、あの時にぎりぎりのところで踏みとどまって生きることにして、本当に良かったと今、心から感じているのです。幸せは自分の心で決められるし、自分なりの捉え方で見つけられることを知りました。

今、たった一人で誰にも気付かれずに苦しみを抱えてもがいている人は、閉ざされた心境で、どうしても考えが狭くなって、縮こまって、この先いいことなんてないだろうとか、自分は生きていても仕方ないと思っているかもしれません。私もそうでした。

けれども、生きていると本当に何が起こるか分からないんですね。もちろん、悪いことも起こるかもしれません。もっと苦しいめに遭うかもしれません。

だけど、いいことにも出会う。素晴らしい人に出会うかもしれない。自分のことを本当に分かってくれて、そのままで自然に受け止めてくれるような人に出会えるかもしれません。

自分はこれがしたいとか、仕事に限らずこれをして生きていきたいという、生きがいのようなものが見つかるかもしれない。何か自分を新たに動かしてくれる出来事に出会うかもしれない。本当に「ああ、生きていて良かった」と思う瞬間も訪れる可能性があると思うのです。

だから、何とか生きていてほしいということを心から思いますし、心から伝えたいです。もし、私が死のうと思っていた17歳の時に、タイムマシンでもあって、もし戻ることができたなら、「先に何が起こるか分からないのだから、何とか、凌いで生き延びて。ここで踏みとどまってほしい」とお願いすると思うのです。今、本当に苦しんでいる若い人に向かって、何とか生きていてほしいと伝えたいです。

生き抜くという旗印は、一人一人が持っている

最後に私の生きる思いを綴った随筆を読んで体験談の結びとします。詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)からの一文です。


生き抜くという旗印


かつて僕は、自分で自分の命を絶とうと思ったことがある。

十七歳のときだった。

前途には何の希望もないように思えた。

家人のいない、ある午後、目の前にナイフがあった。

これですべてが楽になるのかなあと、ふと考えた。涙が止めどなく溢れた。


けれども、僕は「生きる」ことにした。

それは、嵐にこぎ出す、航海の始まりのようでもあった。

まもなく、座れなくなった。

おいしいご飯も食べられなくなった。

一年間に家の外に出たのが二回だけという年もあった。

人が怖くなったときもあった。

いったい自分が本当は、何を考えているのか分からなくなった。

青春時代を、抉りとられた。

母親を号泣させた。

父親と激突した。

若者らしく友達とバカ騒ぎをして過ごすということもできなかった。

やがて、ベッドで寝たきりの生活になった。

吐き気地獄で、気が狂いそうになった。

自分の若い人生を、余生だとしか考えられなくなった。

ずっと呼吸器を付けるようになった。

今まで恋愛とも無縁だった。

これらを、「生きる」ことで味わってきた。


あれからさらに二十年の歳月が経ち、僕は今、三十七歳になった。

病状は、一層進んだ。

あまりにも多くのことを喪った。

思うことはたくさんある。

僕は立って歩きたい。

風を切って走りたい。

箸で、自分で口からご飯を食べたい。

呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。


でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。

大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。生きることが辛いときも多い。

でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。

絶望のなかで見いだした希望、苦悶の先につかみ取った「今」が、自分にとって一番の時だ。そう心から思えていることは、幸福だと感じている。


授かった大切な命を、最後まで生き抜く。

そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けていく。

生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ、こころ温かくつながっていくことだと、そう信じている。

闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。


生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。

僕は、僕のこの旗をなびかせていく。


ご清聴ありがとうございました。

【参考】

岩崎航著 詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)

岩崎航著 エッセイ集『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)

シノドス『「自殺」を「生き抜く」。末井昭×岩崎航』

ヨミドクター『編集長インタビュー』[番外編]筋ジストロフィーを病む詩人、岩崎航さん(40)「岩崎航さん トークイベント詳報(下)40歳の挑戦 一人暮らしを」

厚生労働省:自殺対策強化月間「悩んでいるあなたへ 支えたいあなたへ」

【岩崎 航(いわさき・わたる)】詩人、エッセイスト

1976年、仙台市生まれ。筋ジストロフィーのため胃瘻と人工呼吸器を使用し24時間介助を得ながら暮らす。2013年に詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)、15年にエッセイ集『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)を刊行。自立生活実現への歩みをコラム連載(16年7月~17年3月/ヨミドクター「岩崎航の航海日誌」、17年5月~/note「続・岩崎航の航海日誌」)。16年、創作の日々がNHK「ETV特集」でドキュメンタリーとして全国放送された。公式ブログ「航のSKY NOTE」、Twitter @iwasakiwataru