「自動車事故は一部の人たち」はもう通じない。ある思いを胸に患者たちはラジオを手に取った

    病気には偏見がつきまとう。言えずにいた思いを、そのラジオは伝えた。すると、人々が集まり始めた。

    同じ悩みを持つ人と、一緒に笑いあえる場を作りたい、そういう思いで始まったラジオがある。

    2017年1月から始まった、月に一度、Youtubeで配信されるラジオでは、ある病気の当事者たちが主役だ。8月には30回目の収録を迎える。

    その名前は、「ぽつラジオ」。てんかんの当事者たちの悩みが赤裸々に語られ、新たな出会いを生み続ける番組だ。

    「普段はあまり病気を意識せずに働いている人も、マイクを前にすると話が止まらなくなる。その人の中にあった不安や引っかかりが排出されていく感じです。本人も、もやがかかっていたのが晴れたと言ってくれます」

    そうBuzzFeedの取材に語るのは、「ぽつラジオ」を主催する和島香太郎さん。

    自身も、当事者のひとりだ。番組タイトルの「ぽつ」とは、どんな意味なのか。

    「最初は、ポツリポツリと話し始めてほしい、と思って。ある民話で狐火が、ぽつらん、ぽつらんと灯ると聞いて。そうしたら、光の行列みたいなものがイメージできました。人の言葉みたいなものをラジオで一つ一つ届けることで、行列のように明かりが点って世の中に残ったらいいなって」

    病気に関する悩みを抱える人の心に明かりが灯り、安心できる居場所があると思ってもらえれば。

    そんな願いを「ぽつ」という言葉に込めたのだという。

    悩みが笑いに変わる瞬間

    ぽつラジオの人々を結びつけている「てんかん」は、実は身近な病気だ。

    日本神経学会によると、てんかんは、およそ100人に1人が発症するといわれている。日本には約100万人の患者がいると想定されている。

    症状は短時間でおさまるものの、意識を失って全身がけいれんしたり、理由のない恐怖感・不安感がわき起こったりと、多様な現れ方をする。

    適切な薬の服用でおよそ7割の患者が発作を抑制できる。毎日の服薬を欠かさず、生活のリズムを維持することによって、発作をコントロールして社会生活を送る人も多い。

    しかし、簡単にはてんかんだと明かせない事情がある。社会にある、偏見や差別だ。

    和島さんは14歳でてんかんを発症して、15歳で診断を受けた。病名を知って、最初はホッとしたという。

    「手が震えたり、全身が痙攣したりして、死ぬんじゃないかと思いました。なんの難病なんだろうと思っていたら、てんかんだと診断されました。とりあえず、死なずに済むと思いました」

    処方された薬で、発作は落ち着いた。てんかんであることは、友達には明かしていたが、親との間に微妙な距離感が生まれた。

    「僕は落ち込まなかったのですが、親は落ち込んでいたんです。そういう感じを見せないようにしていましたが、親からは、てんかんを隠すようにやんわりと促されていました」

    「友達が自分から遠ざかったりすることはありませんでした。ただ、いろんな人から話を聞いていくと、発作を目の当たりにした怖さから距離を取ろうとする人がいることも知りました。てんかんという病名を知らない人もいるし、自分だけがシリアスに感じているという、そのギャップを感じることがありました」

    てんかんを明かせなかった理由

    その「ギャップ」は、社会人になってから埋まることになる。フリーランスの映画監督として働く現場では、自らの病を明かすことはできなかった。

    「就職でてんかんという病名を口にしただけで落とされることを恐れている人もいますし、多分それは現実としてあるんだとは思っていて。個人同士の付き合いだとてんかんは問題になりにくいけど、対組織になったときに問題視されると感じています」

    「薬を飲んで、発作をコントロールしていて、健常な人と同じように働くことができますが、仕事を多く任せてもらううちに、限界のラインがきます。しかし、病気を伝えて、必要以上に仕事に制限をつけられるのは避けたいから、言えません」

    仕事が忙しくなるにつれて、普段と異なるてんかんの症状が出るようになった。精神的に追い込まれた、と和島さんは言う。

    「徹夜が続いた、撮影の中盤を過ぎた辺りぐらいから、視界がチカチカして点滅するような、あまり出ない症状が出て、大きな発作が起きる予感がありました。無事に最後までできるかなという不安が膨らんでいきました。スタッフにも気づかれないように振舞っていたんです」

    体調への不安が重なる中で、最も懸念していたことが仕事への影響だった。

    「限られた予算なので、発作で1日でも撮影ができなければ、撮れなくなるシーンが出て、作品が完成するかわからなくなってしまう。自分の不安よりも、何も知らずに働いてくれている人たちに申し訳ないという気持ちの方が強かった」

    てんかんと明かせば、仕事は思うようにできなくなるかもしれない。

    だが、てんかんと明かさずにいると、罪悪感に苛まれる。そうした葛藤のすえ、「自分一人で抱えるものが大きくなっていた」と語る。

    ラジオだから声で伝わる

    「ぽつラジオ」を始めるまでは、同じ病気の人と相談しようとは思いもしなかった。しかし、あることを機に、それができることを知った。

    「今から4年前くらい、32歳のときに、主治医を変えました。大きな発作があり、専門医に診てもらおうと思って。その専門医の方は、患者同士を繋いで、交流の場を大切にしてたんです」

    「その方を通じて、息子さんの病気に悩む親御さんから悩みの相談を受けました。それを機に、他の患者さんと相談できることに初めて気づいたんです。紹介を受けた人と、電話で話すようにもなりました」

    患者同士の交流に参加していくうちに、悩みが笑いに変わる瞬間に気がついた。感じたのが、ラジオの可能性だった。

    「病気の当事者同士であるある話をしていたら、笑い話に変わる瞬間の方が多くって。もし、これを患者さんが聞いて、笑っていいんだとか、同じ悩みを抱えている人がいるんだとか伝えることができたらと、ラジオなら、特殊な技術に頼らなくとも、声で感情が伝わるのではないか、と思ったんです」

    そうして、1人で始めたのが「ぽつラジオ」だった。

    「病気の私ではなく、私の病気。病気を枕詞にしないで」。初回のゲストはそういった。

    病気は自分の一部で全てではないという切実な言葉がラジオで伝わった。

    そうした声を届けると、「ぽつラジオ」に出演したい人が絶えず集まった。収録場所を提供してくれる人も、現れるようになった。

    「看護師さんが、出演したい患者さんを紹介してくれたり、友達の友達がてんかんだと教えてくれたり。ラジオを続けることで、思いを伝えたい患者さんと出会えるようになりました。てんかんの患者さんがすごく多くいて、みんな悩んでいたんだ、と感じています」

    居場所だけではなく、議論を発信する場として

    いまでは「ぽつラジオ」は、てんかんに関わる人々が安心できる、一つの居場所になっている。

    「病気を伝える必要があれば、伝えればいい。そうでなければ、伝えなくてもいい」

    和島さんは、普通に暮らしながらも、病気を抱え悩みを明かせない人たちの言葉を伝えたいと思っている。

    てんかんに対する偏見とどう向き合うか。患者同士の考え方に違いもあるなかで、どれだけ真剣に向き合っているのか。様々な思いが交錯するからこそ、当事者の声を発信して行きたいと思っている。

    「例えば、てんかん発作を原因とする自動車事故が起きるたびに、ほかの患者は真面目にやっている、一生懸命なのにと言う人がいる。専門医でも、です。しかし、事故が起きるたびに一部の人のせいだと言い続けていて、社会はもう信用してくれていないんじゃないかな」

    「少数だけれど、てんかん患者が突然死してしまうSUDEPなど、議論されにくい問題もあります。僕らが、そうした問題と向き合っていることを伝えなければ、社会は動かないかもしれない」

    世の中にはびこるイメージを変えることは難しい。だからこそ、自分の周囲から理解を得ていくことが大切だと、和島さんは考えている。

    「患者の周囲にいる人がてんかんの理解をしてくれて、患者の人たちが暮らしやすく楽になってくれたらいいな、と。それが少しずつ増えて、一人ひとりが過ごしやすくなるはず」

    「だからこそ、ぽつラジオではできるだけ患者ではない人にも参加してもらいたい。てんかんの患者さんとその上司にも出演してもらったこともあるんですよ」

    小さなコミュニティから暮らしやすい生活を作っていく。一人で悩み、苦しんでいた人たちも、周囲とつながれる可能性を「ぽつラジオ」は示す。

    てんかんで家族と出会い直していく

    和島さんには、目指していることがある。

    「やっぱり当事者って、自分の親とてんかんのことって話せないんですよ、家族だからこそ難しいんですけど、家族と話したいっていうのはあるから。いつかぽつラジオに、親に出てもらおうかって……」

    患者の周囲で、一番大切な理解者は親だ。親の考えが、てんかんの子どもの病気に対する考え方に影響すると、和島さんは考えている。

    「てんかんを隠せとか、みっともないと言ってしまうと、病気と向き合えなかったり、考えづらくなったりします。子どもの時から隠そうとしていると、社会に出たときに、どこかにひずみが起きてしまいます。親が、隠すつもりはないと子どもに伝えることが理想だと思っています」

    そんな思いから、7月号のぽつラジオ(「拝啓、父上様」)では、てんかんの当事者と家族がどう向き合えるかについて、ゲストと語り合った。

    次こそは、いつかゲストに、自分の親を迎えたいーー。そう、和島さんは思っている。

    「心配していることを子どもに察して欲しくない親はいっぱいいます。その人たちからの言葉も聞いてみたい。ぽつラジオで言葉にして楽になった人たちのように、親も少し楽になるかなって」

    「両親にも、僕がてんかんを発症した時の率直な言葉をちゃんと聞きたくて。それは知らない言葉だったりするから。あ、そういうこと思ってたんだと発見もある。ゲストの言葉なんですけど、『家族と出会い直していく』ことをしていきたい。そういう人って、たくさんいるはずですから」

    てんかんをきっかけに「家族と出会い直して」いきたい。

    病気は前向きにだって、捉えられるはずだ。そんな思いで、和島さんは今日もマイクに向かう。