少年は高校を辞めて15歳で韓国に渡り、K-POPのスターになった

    グローバルボーイズグループ「PENTAGON」ユウトの物語

    不動の地位を築いた「TWICE」、2019年ブレイク間違いなしと言われる「IZ*ONE」。中高生に人気のK-POPガールズグループにはそれぞれ日本人メンバーが在籍している。

    だが、K-POPグループに所属するのは女性だけではない。

    GLAYのTERUがメジャーデビュー曲「COSMO」を手掛けたグローバルボーイズグループ「PENTAGON」のユウトもその一人。

    少年はなぜK-POPに惹かれ、いかにしてデビュ―したのか。これまでの軌跡を振り返ってもらった。

    K-POPにはまり続けた少年時代

    ユウトこと安達祐人が、K-POPに興味を持ったのは小学4年生の頃。

    姉と一緒に見たテレビに映っていたのは東方神起、少女時代といったグループだった。歌唱力、シンクロするダンス、ルックス。その全てに魅了された。

    「もともとは音楽に興味はなかったんです。音楽も聞かないタイプで、野球やサッカーと運動ばかりしてました。でもK-POPを最初に聞いた時、引き込まれてしまい、その後はどんどんはまっていきました」

    中学生になると、完全にK-POPファン。仲間と一緒にK-POPのダンスを踊り、その映像をネットにアップした。

    SHINeeの曲『LUCIFER』が中でもお気に入り。憧れはグループのテミンだった。

    YouTubeでこの動画を見る

    youtube.com

    SHINee『LUCIFER』

    K-POPへの思いは募り、中学2年の頃、韓国の事務所が日本で開いたグローバルオーディションに応募した。けれど、幼かったことから「また大きくなったら受けに来てください」と言われ、落選した。

    それでも思いは止まらない。

    中学校では朝に設けられた読書の時間で韓国語をずっと勉強。K-POPの動画を見ながら、ダンスを真似た。

    周囲も認める大のK-POP好き。中学の卒業文集の寄せ書きには「大スターになってくれ」と書かれた。

    高校を中退して韓国へ

    高校1年生の時、再びチャンスは訪れる。

    現在の事務所が日本で開催したグローバルオーディションに応募し、見事合格した。ただしレッスンのために韓国で暮らす必要があった。

    高校を中退すると語るユウトを両親は何度も引き止めた。

    「『高校を卒業してから、やることをやってから行きなさい』って言われたんです。けれど、やることをやらず夢を逃すのは後悔すると思って。若い頃から韓国に行った方が慣れるだろうし、大きくなってから行くと年齢の関係でデビューできない可能性もあったので、なるべく早めに行きたかった」

    「K-POPのアーティストに、その時日本人がいなかったのも大きかったです。今はTWICE先輩とかいますけど、その時点ではまだ誰一人いなかった。日本人としての第一人者になりたいというのもありました。全然実力も足りなかったんですけど」

    高校を辞めることへの抵抗感はなかった。

    「高校に行ってもこのままだと後悔するかなと思っていました。勉強するのは全然いいんですけど、やりたいことは小学校の時に見つけていたので」

    確固たる覚悟を前に、両親も最後は納得。高校1年の冬、韓国へ渡ることになった。

    韓国に行くと、練習生として事務所が用意した寮で他の練習生との共同生活が始まった。そこには韓国だけでなく中国の練習生もいた。

    韓国で最初の壁となったのは食べ物。

    「実は辛いものが苦手なんです。だから、ご飯が食べられずに…。食べ物が一番大変でしたね。今はもう5年目なので食べられますけど、食べていくうちにだんだん慣れていく感じでした」

    言葉は渡韓前に勉強はしていたものの、本場の韓国の発音で聞き取れない部分もあったので、当初は翻訳機などを使い会話していた。

    「韓国の友達は日本に興味を持っていて、お互いの国の文化を話しながら、打ち解けていきました。お互いの国の言葉とかを言い合ったり」

    毎日12時間の厳しいレッスン

    練習生はプロになるため、レッスンをこなす。基本は朝の10時から夜の10時まで。実に12時間に及ぶ厳しいものだった。

    「自分は学校にも行ってなかったので、ずっと会社の中でトレーニングをしていました。2時間は韓国語の勉強で、1時間はボーカルレッスン。残りは全部ダンスです」

    「週に1度『評価』というのがあって、偉い人が来て自分たちの実力を見るんです。その準備をしなくてはいけなくて、基本ずっとダンス漬けでした」

    入ったばかりのユウトのダンスの実力は下の方。体力的には大丈夫だったが、今までやったことのなかった歌いながらダンスなどレベルの高さについていけなかった。

    「落ちこぼれているなという感じはありました。ダンスを踊りながらも、自分に足りてない部分を感じていて。でも。ダンスが最初から踊れなかったことが、むしろ刺激になって、余計に頑張れました」

    強い意思をもって渡った韓国。それでもまだ15歳。時には家族に会えない寂しさもこみ上げた。

    年に1、2度実家の長野に帰省。再び韓国に戻る時、長野駅のホームで両親と別れると、空港に向かう新幹線の中でずっと泣いた。

    けれど、自分は高校を辞めて、今この場にいる。一番に考えたのは、デビューして家族に恩返ししたいという気持ちだった。

    韓国に渡って1年経つと、聞き取りができるようになり、自分の意見を述べたりコミュニケーションはスムーズになった。

    ダンスのレベルも上がって、自信もついてきた。ただ厳しさは変わらずだった。

    「練習することは全然大変じゃなかったんですけど、先生方が本当に厳しかった。ダンスとボーカルは絶対にうまくなきゃダメだぞと。会社からのプレッシャーもきつくて、遊ばず練習みたいな雰囲気もずっとありました」

    厳しい時を支えた祖父の手紙

    自分が休んでいると、他の練習生が練習に取り組む姿が目に入る。それを見て、小さな部屋で再びダンスの練習に励む。互いに刺激し合いながら練習を続けた。

    求められるのは努力する姿ではなく、結果。どれだけ徹夜をして練習しても、評価の点数が低ければ、練習生を辞めることになる。

    「練習生から落ちる子は友達にもいました。別れるのは辛いですね。言っちゃえば家族。ずっと朝から夜まで練習してきた友達なので。でも、それがあってこそ強くなれたんじゃないかなと思っています。別れもあれば、また新しい練習生が入ってきて。後輩も増えてきたりしていたので」

    韓国では練習生の期間というのは決まっていない。ユウトと同じ「PENTAGON」のジンホは練習生の期間が8年にも及ぶ。

    いつ叶うともしれない夢を追うため、ひたすら厳しい練習に取り組まなければ行けなかった

    「ダメだなと思った時ももちろんありました。でも、やっぱり諦めちゃいけないと思って。自分は全部を捨てて韓国に来ているので」

    練習生の頃、ユウトの祖父が亡くなった。それでも韓国で練習に打ち込み続けた。

    「ユウトがやりたいことをやっていれば、おじいちゃんは幸せだから」と手紙をくれた優しい祖父。

    辛くなると手紙を読み返し泣いた。そして気持ちを奮い立たせた。

    手に入れたデビューへのきっかけ

    練習生になって3年半。「PENTAGON MAKER」というリアリティー番組への出演を打診された。

    練習生であったPENTAGONが実力を競い合い、勝ち残ったメンバーがグループとしてデビューできるという企画だった。

    「選ばれたと聞いた時にはやっと来たかという感じでした。嬉しいよりも、やっぱり試されてるんだなと思いました。ストレートにデビューできる人もいる中で、一回サバイバル番組で実力を見てからなんだと。絶対そこで結果を残さないと落とされる。逆に良い結果を出したら絶対デビューできるので、命懸けでやりました」

    自身の夢を懸けて臨んだ番組。そこには厳しさだけでなく、嬉しさもあった。

    これまでは事務所の方の前でしか踊ることのなかったダンスを、ステージで、ファンの前で踊ることができた。

    番組に出演したことで事務所にユウト宛のファンレターが届き始めた。手紙には韓国のファンからの様々な応援の言葉が書かれていた。

    「<韓国に来てくれてありがとう>という言葉が大きかったですね。違う国から来た人間として。受け入れられている感じ。壁を壊したっていうわけじゃないですけど、文化と文化を超えた感じがして」

    結果として番組に生き残り、「PENTAGON」としてデビューすることになる。ただ確信は最後の最後までもてず、心配だったという。

    「ファイナルステージで、1位を取れないと一人抜けるというものがあって。ステージが終わった後もずっと震えていました。ファンの目の前で思いっきり、自分の持てる力を全部出したにも関わらず、まだどこかで落とされるという思いもあって。達成感は全然なくて」

    デビューできると聞いた後は泣いていたという。ずっと。1日中、ずっと。

    デビューして、やっと親孝行できた瞬間なのでは?。そう聞くと「それはでも、まだまだ」と首を振る。

    憧れの人との出会い

    韓国でメジャーデビューしてから2年が経った。韓国に渡った時はデビューすることが目標だったが、今は違う。

    「1位を取るとか、賞をもらうとかも全然ありがたいんですけど、やっぱり自分たちの音楽でどれだけ人々に、沢山の人に伝えられるかっていうのが、一番の目標です。アーティストと言えばPENTAGONと言われるようになりたいですね」

    以前、K-POPを夢見るきっかけとなったSHINeeのテミンの楽屋を訪れ、憧れていたと伝えたことがある。

    「テミン先輩に挨拶をしてSHINeeのCDにサインしていただいたんですけど、そのときに『頑張ってね、また会いましょう』ってメッセージをくれて、めちゃ泣きそうになりました」

    「今もまだファンなので、背中を追って頑張ってます。その後はまだ会えてないんですけど、もっと頑張って今後は堂々と会いたいです。ご飯とか行きたいです、一緒に」

    日本でのメジャーデビューと責任

    YouTubeでこの動画を見る

    youtube.com

    メジャーデビューシングル「COSMO」

    今年2月13日には、日本メジャーデビューシングル「COSMO」をリリースした。

    「メジャーデビューをするので、沢山の方に聞いてほしいです。『PENTAGON』のメンバーは、一人一人本当にユニークなので、そこに注目してもらいたいです」

    自身の注目ポイントに挙げたのはラップ。「一番の魅力は低音のラップです。曲中に”ユウトだ”というフレーズのあと僕のパートもあるので、ぜひその部分に注目してください」という。

    日本デビューについては責任も感じている。

    「日本で活動すると、日本人という存在が大きくなってくると思うんです。自分たちのグループをどれだけ日本の方に届けられるか、伝えられるかが大事だと思っています」

    ユウトがかつていた事務所の寮には、今日本人の練習生がいる。その姿に、かつての自分を重ねる。

    「練習生の頃に自分が抱えてた不安やプレッシャーを、今彼らも背負っていると思う。なので、そんな気軽に、こうやったらデビューできるよ、みたいなアドバイスはできないんですけど、練習したこと以上のことをしていかないと、とは伝えています」

    そして、自分と同じようにK-POPに夢を持つ人がいれば、韓国に渡ってほしいという。

    「夢があるなら、挑んでほしいですね。K-POPのアーティストになりたい方がいれば、絶対に。やらずに後悔するより、やって後悔したほうが絶対いいので。諦めずに。韓国語も本当に韓国が好きな子であれば、頑張れると思う。辛いものを食べなくても韓国では生きていけるので、辛いものが苦手でも大丈夫です(笑)」