大橋巨泉さん死去 最後のテレビ出演は盟友・永六輔さんとの「徹子の部屋」

    最後のテレビ出演は永さんと共演した「徹子の部屋」

    「11PM」「クイズダービー」などの人気番組の司会者として活躍し、がんで闘病していたタレントの大橋巨泉さんが12日午後9時29分、入院先の病院で急性呼吸不全のため死去していたことが20日、分かった。82歳だった。

    巨泉さんは東京都出身。早稲田大学在学中からジャズコンサートの司会者を務め、中退後はジャズ評論家、放送作家と活動の幅を広げた。

    「11PM」でテレビ司会者に。24時間テレビの初代司会者も務める

    1965年11月にスタートした日本テレビ系「11PM」は当初は報道局が作る少々硬い番組だった。

    番組ディレクターからアイディアを求められた放送作家の巨泉さんは、麻雀、競馬、ゴルフや釣りといったレジャー路線を提案。適任の司会者がいないことから、ディレクターからの勧めで巨泉さんがコーナー司会者となり、その後番組のメイン司会者となった。

    お色気から、当時日本テレビのディレクターだった矢追純一さんのUFO企画などバラエティーに富んだ内容だった番組では「巨泉・考えるシリーズ」として政治や社会問題も取り扱った。

    番組で放送した「世界の福祉特集」から生まれたのが現在も続く「24時間テレビ」。巨泉さんは1978年の第1回放送の司会者を務めた。

    出演したCMの人気で倒産危機を救ったことも

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    テレビの人気司会者となった巨泉さんはテレビCMにも登場する。

    1969年に出演した「パイロット エリートS」のCMでの言葉「はっぱふみふみ」は流行語にもなった。

    パイロット社は万年筆の売上減少で経営不振に陥っていたが、CM効果もあり「エリートS」はヒット商品に。経営再建の足がかりとなった。

    「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」と人気番組の司会者に

    もともと放送作家だった巨泉さんは新番組を作る際には企画、キャスティングから加わった。

    1976年から1992年まで16年続いた「クイズダービー」は、巨泉さんがカナダで見たクイズ番組を日本風にアレンジしたものだ。

    世界の物の値段を当てるクイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」は巨泉さんとレギュラー出演者の石坂浩二、ビートたけしとの軽妙なやり取りで人気を呼んだ。この2人の起用も巨泉さんたっての希望だった。

    番組ではナレーションを務めた小倉智昭も人気を呼んだ。テレビ東京のアナウンサー時代に巨泉さんがスカウトし、自身の競馬番組に起用。この際にフリーとなったことが現在の成功につながった。

    最後のテレビ出演は「徹子の部屋」

    1990年、56歳の時にセミリタイアを宣言。以後はオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、日本をそれぞれの気候のよい時期に回る「ひまわり生活」を送る。

    2001年7月の参院選に民主党(当時)から比例代表候補として立候補し、当選。しかし半年後、海上自衛隊のインド洋派遣をめぐる党の決定に反対して議員辞職した。

    2005年6月に胃がんの手術を受け、胃の半分を摘出。2013年11月には中咽頭がんになり、手術と放射線治療を繰り返した。

    最後のテレビ出演は今年2月4日放送の「徹子の部屋」。今月7日に83歳で亡くなった永六輔さんとの共演だった。

    巨泉さんと永さんはともに早稲田大学出身。放送作家、時にしゃべり手としてテレビの黎明期を支えた親友同士だった。

    所属事務所が20日、マスコミ各社にむけたファックスによれば、巨泉さんには永さんの訃報は、ショックの大きさを考え伝えられていなかったという。

    妻・寿々子さんの言葉にはモルヒネの誤投射の記述も

    ファックスでは、巨泉さんの妻である大橋寿々子さんの言葉も寄せられた。
    長らくがんと闘い続けた夫に対し「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に"アッパレ!"をあげて下さい」とコメントした。

    またファックスには

    先生から「死因は"急性呼吸不全"ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許し頂ければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。

    在宅介護の中で、誤投与があったとの記述もあった。

    巨泉さんの通夜・葬儀はすでに親族のみで済ませており、後日「大橋巨泉を偲ぶ会」を開く予定だ。

    巨泉さんの訃報を最初に報じたのは小倉智昭がメインキャスターを伝えるフジテレビ系情報番組の「とくダネ!」だった。

    番組内で恩人の死を伝えた小倉は「本当に僕の師匠で、恩人でもあった」と感謝を述べた。