獲得賞金額はわずか3万円、世界772位のテニスコーチがつかんだフェデラーとの夢舞台

    ウィンブルドンの奇跡

    ウィンブルドン男子シングルス2回戦。センターコートを埋めた満員の観衆は世界ランキング772位の男を待ちわびていた。マーカス・ウィリス、25歳。本業はイギリス郊外で子供を教えるテニスコーチだ。


    ウィリスにとってテニスは一度あきらめた夢だった。

    10代のころにはウィンブルドン・ジュニアで3回戦に進むなど将来を期待されたが、その後は多くの怪我に悩まされてきた。


    今年のシングルスでの獲得賞金額はわずか3万円ほど。1レッスン30ポンド(約4100円)で教えるコーチ収入が選手収入を上回る。


    それでも生活は安定せず、現在も両親と一緒に住んでいる。過去には海外大会への旅費がなく借金もした。今年初めには膝を故障。先は見えなかった。


    恋人の言葉が運命を変える。

    ウィリスは4か月前、プロテニス選手の道をあきらめ、指導者になるためアメリカに向かおうと考えていた。そんな彼を思いとどまらせたのが恋人のジェニファー・ベイトだった。


    「あなたを信じてる。だからもう一度挑戦して。テニスにはそれだけの価値がある」


    ウィリスはアメリカ行きを取りやめ、もう一度テニスに向き合うことを決めた。

    予備予選から勝ち上がり、夢の舞台へ

    再びテニスへと打ち込んだウィリスは、ウィンブルドンの予備予選から6試合を勝ち上がって本戦出場を決める。


    1回戦の相手は世界54位のリカルダス・ベランキス(リトアニア)。試合会場の17番コートには家族や友人はもちろん、多くのファンが訪れ、立ち見客が出るほどの盛り上がりだった。


    声援を背景に、ウィリスは6-3、6-3、6-4でベランキスを破り、ワールドツアーでの初勝利を飾る。試合直後には観客席にいたベイトの元に駆け寄りキスを交わし、友人たちと抱き合って喜んだ。


    四大大会では1988年の全米オープンで世界923位のジャレッド・パーマー(アメリカ)が2回戦に進出して以来の快挙。


    世紀のジャイアントキリングを起こしたウィリスをメディアは「シンデレラ・ボーイ」と呼んだ。


    2回戦の相手はフェデラー。ウィリスの憧れの選手だ。そんなフェデラーもウィリスの快進撃を「長いテニスの歴史の中でも最高の物語の1つだ」と賞賛した。

    夢の舞台、憧れの人

    夢にまで見たウィンブルドンのセンターコート。夢見心地の表情を見せたウィリスだったが、大舞台への緊張もあったのか、第1セットはなすすべもなく0-6で落とす。


    第2セット、3-6と落とすも徐々に自分のプレーを取り戻し、初めてサービスゲームをキープすると、スタンドからはまるで勝利したかのようにスタンディングオーベーションが起こる。


    表情にも闘争心が見えてきた第3セットでは互角の展開があったものの、最終的には4-6で落とし、ストレートで破れた。


    にじむ悔しさ

    試合時間は1時間24分。結果は完敗。試合後、会場の観衆はスタンディングオーベーションでウィリスを称え、両親や恋人もその顔には笑みを浮かべている。


    ウィリス本人も拍手で観衆に答えたが、その顔には笑顔ではなく、悔しさがにじむ。そこにあったのは「おとぎ話」ではなく、現実だった。


    試合前には「トップ100入りを果たしたいし、今回のような大会を再び迎えたい。そのためには技術をかなり向上させることが必要だ」と語っていたウィリス。


    目標までの道のりは決して容易ではない。だが、センターコートを知ったいま、恋人の言葉がなくとも挑戦することをやめないはずだ。