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【リオ五輪】中村美里を下したケルメンディ、内戦に翻弄されたコソボの夢叶え金

国歌が流れ、涙があふれた

リオ五輪の柔道女子52キロ級は2013、2014年と世界選手権を連覇したコソボのマイリンダ・ケルメンディがイタリアのオディッテ・ジュフリダを下し、祖国に初の金メダルをもたらした。

準決勝で中村美里を下したケルメンディにとって、自身の、コーチの、そして、内戦と国際政治に翻弄されてきたコソボ国民の夢をかなえた瞬間だった。

コソボは旧ユーゴ内戦を経て、2008年2月にセルビアからの独立を宣言した。しかし、IOC(国際オリンピック委員会)への加盟が承認されたのは2014年12月だった。

この間、ケルメンディはコソボ代表として戦うことにこだわり続けてきた。

8歳で柔道と出会い、すぐにヨーロッパのジュニア大会で頭角を表した。独立宣言翌年の2009年には、世界ジュニア王者に輝いた。

故郷の町ペヤに戻った際、町の人から「戦争の時から良いことは何一つなかったけれど、優勝の一報はうれしかった。戦争で多くを失った悲しみを忘れさせてくれた」と言われたことが印象的だった、と毎日新聞の取材に答えている。

ジュニア王者に輝いた頃、コソボに五輪参加資格はなかった。アゼルバイジャンなど、いくつかの国から国籍変更の打診があった。大金を積まれたこともあった。

経済的に豊かではなかったケルメンディにとっては、魅力的な申し出だった。しかし、コーチであるドリトン・クカさんの説得、そして戦争で傷ついた祖国の希望になりたいと申し出を断り、コソボ代表であり続けることを望んだ。

2012年ロンドン五輪ではコソボ代表、または個人代表での出場を申請した。しかし、IOCに却下された。

ジャック・ロゲ会長は「彼女はアルバニアのパスポートを保持しており、この国の旗の下での参加なら認める」と申し出た。ケルメンディはこの案を受け入れ、アルバニア代表として出場した。

IOCに先立ち、IJF(国際柔道連盟)は2012年4月にはコソボの加盟を承認した。2013年8月、リオで開催された世界選手権では、コソボ代表として初優勝し、涙を流した。

だが、翌年8月のロシア世界選手権では、コソボ独立に反対するロシアがケルメンディの入国を拒否。アルバニアのパスポートで入国し、IJF名義で戦った。

ケルメンディは、この大会でも優勝した。表彰式ではIJFの旗が掲揚され、オリンピック賛歌が流れた。国際政治は、いつも彼女を翻弄した。

2014年12月、コソボは晴れてIOCに正式に加盟を承認された。リオ五輪には8人の選手を送っている。

コーチのクカさんは、バルセロナ五輪の際の旧ユーゴ代表の柔道選手。だが、民族対立の激化により出場機会を逃しており、五輪出場は2人の夢でもあった。

「これは何年も夢見ていたこと。コソボにとって歴史的な瞬間になる」

開会式前、ケルメンディはこう話していた。選手団入場では旗手を務めた。緊張の面持ちではあったが、喜びがにじんだ。

出場だけでなく、コソボの存在を世界に知らせるため、母国に希望を与えるためには、メダルがどうしても欲しかった。

勝利すればメダルが決まる五輪準決勝、相手は初対戦となる日本の中村。自身と同じく、世界選手権を制した強豪だ。

けして綺麗ではないが、泥臭く優勢勝ちで中村を下した。ケルメンディは両手で顔を抑えた。感情があふれた。

決勝では、イタリアのジュフリダに優勢勝ちした。勝利が告げられると、ジュフリダと抱き合った後、畳に顔をうずめた。

ケルメンディの勝利、コソボ初の金メダルはCNN、BCCなど世界の主要メディアが一斉に報じた。

表彰式の壇上で、ケルメンディは国旗の色と同じ鮮やかな青の服を着た。オリンピックでコソボの国歌が初めて流れると、金メダリストの目には熱い涙が浮かんだ。

「とっても幸せ。コソボの人、特に子供にとって私はヒーローに見えるでしょうね」

ケルメンディはレポーターにうれしさを語った後、こう続けた。

「紛争を経験しても、たとえ私たちのように小さく貧しい国に生まれても、もし何か夢を望めば、叶えることができる。オリンピック王者になることだって、ほかのことだって…」

ケルメンディは世界選手権を制した後も、ペヤにある小さな柔道場で練習をしている。故郷の人たちは彼女の帰郷が待ち遠しくて仕方ないだろう。

そして、金メダリストを見た子供たちの中から、次の五輪の英雄が生まれるはずだ。




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