リオ五輪体操男子団体で、日本が2004年アテネ大会以来12年ぶりとなる悲願の金メダルを獲得した。
アテネ五輪の日本チーム:6人
リオ五輪の日本チーム:5人
アテネのメンバーは冨田洋之、鹿島丈博、塚原直也、米田功、水鳥寿思、中野大輔の6人。
リオは内村航平、田中佑典、山室光史、白井健三、加藤凌平の5人だ。
2020年の東京大会では1チーム4人となる。2015年5月、国際体操連盟の評議会で決まった。
メダルへの期待
アテネ五輪では、体操男子団体の注目度は高くなかった。
かつては「お家芸」と呼ばれた体操も、団体はアトランタ10位、シドニー4位とメダルに縁がなかった。
キャプテンだった米田功が団体優勝を目標に掲げても、メディアの注目度は低かった。
「大会直前になると、テレビとか雑誌がメダル予想をするじゃないですか。あの森末(慎二)さんですら体操を入れてくれなくて」(「Number」907号での米田の発言)
一方で前回のロンドン五輪で銀、2015年の世界大会で中国を破り37年ぶりの団体金を獲得した今大会の体操男子団体への期待は大きく、メディアも金メダルの有力候補と報じていた。
アテネ五輪のエース:冨田洋之
リオ五輪のエース:内村航平
28年ぶりのメダル獲得となったアテネ五輪、チームのエースだったのが冨田洋之。
2003年の世界選手権では個人総合3位。「美しくなければ体操ではない」を信条とし、全6種目に強いオールラウンダーだった。
リオ五輪でのチームのエースは内村航平。2009年から世界選手権の個人総合6連覇中の絶対王者だ。
冨田、内村ともに体操の美しさには定評がある。最もエレガントな選手に贈られる「ロンジン・エレガンス賞」を冨田は2007年、内村は2011年に受賞している。
アテネ五輪最年少:中野大輔
リオ五輪最年少:白井健三
アテネ五輪でチーム最年少だったのが、当時21歳で唯一の大学生だった中野。
リオ五輪でのチーム最年少は19歳で中野と同じ大学生の白井だ。白井も中野も床運動が得意、チームのムードメーカーという共通点がある。
白井は今大会の結果で、日本体操史上最年少の金メダリストとなった。
アテネ五輪での水鳥寿思:選手
リオ五輪での水鳥寿思:監督
アテネ五輪のつり輪で見事な演技を見せ、チームの勝利に貢献した水鳥。リオ五輪では男子体操の監督としてチームを金メダルに導いた。
アテネ五輪最初の試練:床運動
リオ五輪最初の試練:あん馬
アテネ五輪で日本が最初に挑んだ競技が床運動だった。塚原の3回転宙返りが2回になるミスもあり、全体で7位と出遅れた。
リオ五輪でも最初に挑んだあん馬でつまづいた。山室がまさかの落下。全体で6位スタートとなった。
両大会ともに、他のメンバーがチームメイトのミスをカバー。このチームとしての戦いこそが、体操団体の醍醐味といえる。
アテネ五輪逆転のポイント:鉄棒
リオ五輪逆転勝利のポイント:鉄棒
リオ五輪、1位ロシアと1.3差で迎えた鉄棒。日本は加藤、内村、そして田中がミスなく完璧な演技を見せ、ロシアを抜いてトップに立った。
山室は「(田中)佑典の鉄棒が終わった時点で、泣きそうになった」と試合後に話している。
アテネ五輪でも勝負のポイントは鉄棒だった。最終種目として迎えた時、トップのルーマニアと0.063の2位だった。
1位のルーマニア、3位のアメリカが鉄棒で落下する中、日本は米田、鹿島がミスなく演技をし、エースの冨田に繋ぐ。
冨田はスーパーE難度のコールマンに成功、フィニッシュは伸身の新月面宙返り。
NHKの刈屋富士雄アナの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」
の名実況は今も語り草だ。
高校1年の夏、内村はこの体操男子の快挙をテレビで一人見ていた。
アテネでの日本の勝利を見て、鳥肌が立つような感動を覚えたという内村は、真剣に体操に取り組み、五輪を目指そうと考えた。
そして、個人で世界最高の選手となっても、アテネと同じように団体で金メダルを獲ることに何よりもこだわった。
「北京、ロンドンとメダルを獲ってきて一番重たい」
団体の金を手にする内村の言葉には、高校1年のあの夏に抱いた思いが込められている。
冨田が描いた栄光の架け橋は、内村へ。
そして、内村らの金メダルに感動した少年たちが、東京五輪へと体操日本の夢を繋いでいく。