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アドバンス・ケア・プラニング(人生会議)は、本当に人を幸せにするのか?

人生の最終段階を見据えてそれまでどう生きたいか、身近な人や医療者と語り合うアドバンスケアプランニング(ACP、人生会議)が、厚労省の啓発ポスター論争で話題となっています。ACPは本当に人を幸せに導くのか、緩和ケア医が根本的な問いに向き合いました。

※この話に登場する人物にモデルはいますが、仮名を使うなどご本人とわからないように詳細は変えて書いています。

厚生労働省は11月25日に、人生の最終段階を見据えてそれまでどう生きたいか、身近な人や医療者と繰り返し話し合っておく「アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning、ACP、人生会議)」の啓発のため、タレントの小籔千豊さんを起用したポスターを発表しました。

しかし、抗議の声を受けて、わずか1日でポスターを却下する騒動がありました。ポスターには、本当は自宅で最期を迎えたかったにもかかわらず、病院で最期を迎える無念が書かれていました。

その内容を読み、今まで自分が信じていた、「本人重視、本人ファースト」が、本当に大切なことなのか、改めて問い直したいと思います。

ホスピスからの退院

トシオさんとケイコさん夫婦に最初に会ったのは、僕のかつて勤務していたホスピスの一番大きな病室でした。

その後、だいぶん経ってから、ホスピスから自宅に戻りたいと強く願っていると、僕の診療所に連絡があったのです。まだ自分のクリニックを始めてから1年過ぎの暑い夏の頃でした。

「ここにいても退屈だ、何もない」と患者であるトシオさんは、僕と最初に会ったとき言いました。

看病の経験のないケイコさんは、本当は不安を感じていました。でも、本人の前では、家族は率直に不安を話すことができません。そのことを僕は長くホスピスで働いて分かりました。本人には本人の、家族には家族のそれぞれの考えと不安があるのです。

病室では、トシオさんの強気な表情と、それを支えようという優しさがにじみ出た柔和なケイコさんの表情がありました。ケイコさんは、「やっと家に帰れるのよ、良かったじゃない」と明るく話し、事前にクリニックで会ったときの、不安な表情はそこにはありませんでした。

在宅医療の素晴らしさ

病室で二人に会った3日後には退院し、僕はその日に自宅へ診察に行きました。

小さくても手入れが行き届いた庭、家の中に入ると、ケイコさんの選んだ、品の良いカントリー調の家具、そして所々に置かれた色鮮やかな小物、そしてやんちゃな犬が、トシオさんの帰りを喜んでいました。

トシオさんの部屋には、病室と同じような病人が使いやすい、しかも新品同様のピカピカなベッドがありました。

その本棚には、趣味の飛行機の模型が数多く並んでいました。トシオさんは心から満足そうな柔らかい表情をしており、病室の強気な表情とは全く違っていました。

トシオさんの部屋には、たくさんの色があり、物があり、そして風が通り匂いがあふれていました。僕は、なぜ二人が家に帰ろうと思ったのか、すぐに理解しました。

診察をしていても、トシオさんは体の不調を伝えるのではなく、「あの模型は、作るのに1年半はかかった。よくできているだろ。庭に植えてあるバラの花は、自分が手入れしているんだ」と、自分の自慢の家、部屋のことを話していました。

家に戻ってからのトシオさんは、驚くほどの回復でした。

僕は、きちんと痛み止めの麻薬を使い苦痛がないように心がけ、ケイコさんは、毎日の食事を通じてトシオさんを支えました。

「今日は食欲が落ちている夫に、病人に良いという本で読んだスープを作り、大好きだったにぎり寿司を半分に切ってみました。よく食べてくれました」

ケイコさんも、プロの医療者にも勝るケアの力を日々つけていました。トシオさんも「もうホスピスに戻ることはない。ずっとここにいたい。静かに眠れるし、妻の食事は最高だ」と喜んでいました。

やがて訪れる死がもたらすもの

しかし、よい日は長く続かず、ある日ベッドからトイレに行く途中、廊下でへたり込んでしまったトシオさんを、ケイコさんは助け起こすことができなくなりました。

僕と看護師とで家に向かい、ベッドまでトシオさんを担いで戻しました。その下着とスウエットは失禁で汚れていました。

トシオさんは、落ち込み黙り込んでしまいました。看護師がトシオさんの着替えをしている間に、僕は、別の部屋にケイコさんを呼び、トシオさんが聞こえないように話しました。

「今までは、よい日が続いていました。でも、ここからが本当の看病、介護です。つらいこともきっとあります。家で看病を続けていく気持ちはありますか?」

僕がそう尋ねると、ケイコさんは泣き崩れました。

「私だって、ずっとここで看てあげたい。でも動けなくなるとどうしたらよいのか分からない。本当はまたあのホスピスに入院させたい」

そう、気持ちを打ち明けました。庭に出て少し上を見ると、入院していたホスピスが見えるほど近い場所でした。

僕は意を決して、「僕も看護師も毎日のように来るようにしましょう。夜でも電話で連絡がとれますから、何かあれば一緒に対処しましょう」と安心させるように話しました。

そして、「本人が家で最期まで過ごすことをあれだけ望んでいたのですから、一緒に頑張りましょう」とケイコさんを慰め、そして説得したのです。

その日から、僕は毎日のように診察しました。動けなくなり、食事もほとんど食べなくなったトシオさんは、みるみる痩せてきて、以前のふくよかで強気な表情ではなくなってしまいました。目は落ちくぼみ、頬はこけ、笑うこともなくなりました。

トシオさんは、苦しむことなく亡くなりました。看護師が亡くなったトシオさんの顔と体を丁寧にケアしましたが、やはり亡くなった直後のトシオさんの様相は、この1週間で随分と変わってしまいました。

それでも、ケイコさんは「本人が望んでいたようにしてやれて良かった」とトシオさんを亡くした悲しみよりも、添い遂げることができた満足がその時の表情にありました。

僕も看護師も「本人が望んだ、苦しみのない最期でしたよ」とケイコさんと握手をして、その家を去りました。僕は帰り道「よい看取りができた」と自分の仕事に、深い満足感を感じていました。

患者が亡くなってからも家族は生き続ける

トシオさんが亡くなってから1週間が過ぎた日に、僕はケイコさんに会いに、通い慣れた家に行きました。

ケイコさんは、「夫の思いをきちんと受け止め、家で過ごせて良かった。もっとみんなも在宅医療の良さを知って欲しい。信頼できる先生方と一緒に夫を送ってやれて良かった」と言いました。

でも、その直後に「でも、やっぱり怖かった。頭では分かっていても、体がついていかない」と表情は暗くなっていきました。

聞くと、食欲はなく、夜も眠れないようでした。

僕は、「今度クリニックに診察を受けに来て下さい」とケイコさんに言い残し、その日は帰りました。

直ぐにクリニックに来ると思っていたケイコさんから、何週間も連絡がありませんでした。僕は気になって、もう一度家まで行ってみました。インターホンを鳴らしても、返事はなく「また来ます。いかがお過ごしでしょうか」とメッセージを書きポストに入れて帰ってきました。

ケイコさんからのメール 「もう穏やかな気持ちで暮らすことができない」

数日して、ケイコさんからメールが来ました。こう書いてありました。

「先生には、本当にお世話になりました。夫が望んだように最期を家で見届けることができたことは本当に良かったことだったのでしょうか。夫が穏やかな最期を迎えたことと引き換えに、私には大きな苦しみが残りました」

「この家には、そして看病していたベッドがなくなった夫の部屋には、声が聞こえるくらい、彼の気配がまだあちこちに残っています」

「私は、夫と暮らし、そして夫が亡くなったこの家で、もう穏やかな気持ちで暮らすことができないのです。ここにいるだけでつらくなるのです。また、先生の顔を見ると、余計に夫との最後の日々を思い出しつらくなるのです」

「もうお目にかかることもないでしょう。このメールを最後の挨拶とさせてください」

僕は、大きなショックを受けました。

「アドバンスケアプランニング(ACP、人生会議)」を通じて、どんなときでも患者の意向を尊重し、繰り返し何度も本人の価値観、治療やケアの目標を話し合うことができれば、「よい看取り」、もっと言うなら「完璧な看取り」になると思っていた自分の確信が揺らぎました。

病院は死の恐怖を防ぐ

その後も、慎重に本人の意向や家族の意向を確かめながら望んだように最期まで家で過ごせたにも関わらず、その後の悲しみから立ち直れない家族に、何度も出会いました。

本当にアドバンス・ケア・プランニングは、患者と家族を、そして医療者を今よりもよい未来へ連れて行ってくれるのだろうか、僕はそう思うようになってきました。

人は誰でも、愛する人が目の前で死に向かって弱っていく姿を見続けることは、本質的につらく、怖いことなのです。時には、家族も目をそらしたくなるほど、異様な姿を見届けなくてはなりません。

緩和ケアやアドバンス・ケア・プランニングは、患者の苦痛を緩和することはでき、納得いく生と死を果たす助けはできたとしても、人の死に対する本能的な恐怖心を癒やすことはできないのです。

もともと、人の死の過程の苦しみを軽減し、周囲から異様な姿を隠し、家族の本能的な恐怖心を軽減するために、僕らの社会には病院があるのではないでしょうか。非日常的な空間で、愛する人の死に立ち会うことで、僕らは自分の日常生活を生き続けることができているのではないでしょうか。

亡くなる場所がどこであるかを本人の意向で決めることと同じくらい、大切にしなくてはならないことがあるのではないか。

自分の生活している空間で愛する人が死ぬことを経験して、なおそこで生きていく家族のつらさは、自分にはケアできないと悟ったのです。

もしかしたら、数日しかホスピスで過ごせなくても、家族の「それから」を、かつての僕は救えていたのかもしれない、そう思えるようになってきたのです。

アドバンス・ケア・プラニングの光と影

アドバンス・ケア・プラニングは、患者、家族、医療者の対話を通じて、患者の価値観を明らかにし、これからの治療やケアの目標を明確にするプロセスのことです(※1)。

さらに、厚生労働省が公表した、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(平成30年度版)では、本人の意志決定が基本とされ(※2)、日本でも本人重視の倫理感が強くなっています。

「本人ファースト」は、アドバンス・ケア・プランニングの光ともいえます。

本人と家族が、自分たちの将来について、よい話も悪い話も、生きる話も死ぬ話も対話できる世の中は、今よりも少しはよい社会になるのかもしれません。ただ、本人の我を通して、家族を黙らせるだけでは対話になりません。

対話は互いを傷つけることもある

また誰しも対話の重要性を語りますが、本質的に対話とは残酷なものです。

なぜなら、お互いの考えの似たところよりも、違うところ、相容れないところが表に出てくるからです。本人と家族の対話が進まないのは、話す機会がないからではなく、対話を通じてお互いを鋭く傷つけずに共存するための、知恵なのではないでしょうか。

僕は今まで、患者、家族の対話つまり人生会議の司会役になるのがよい立ち位置なんだろうと思っていました。

しかし、この話の通り、対話に参加した僕は、患者本人であるトシオさんの考えに強く影響を受けてしまい、ケイコさんの告白を聞くまで、本人の意向を重視したときの、負の一面に気が付かなかったのです。アドバンス・ケア・プランニングの影に気がつき、今まで「本人ファースト」を過信していたと、自分の信念を悔やみました。

患者と家族の対話に加わるというのは、医師である僕にとっては、安全な場所から正論を言い、両者を調停するような簡単なものではありません。

時には、自分の信念が引き裂かれることだってあります。アドバンス・ケア・プランニングを実践するというのは、そのくらい命がけのことなのです。自分が無事である保証はありません。

新しいアドバンスケアプランニングを探して

トシオさん、ケイコさんと会ってからもう5年が過ぎました。

今日も病気の苦しみに圧倒され、生きづらさに悩む患者と家族の診察を続けています。あれから僕も少しは医師として成長しました。患者本人の話をまずじっくり聞き出し、次に側で一番支えている家族の話を促し、それぞれの思いを聞いています。ここまでは以前と変わりません。

さっきまで「食欲がなくなってしまい、美味しいと思うものがない」と言う患者の診察をしていました。

僕は医学的に正しい説明や、治療の話はすぐにはしません。まず、「では料理を作っているのは誰ですか?」と尋ねました。すると、側で一番支えている家族が、「私が作ります」と答えました。そして次に、患者の食事を作る家族の悩みを尋ねました。

「どうやって食事を作ったら良いのかきっと困ってますよね?」と問いかけると、「何を作っても、どう調理してもうまくいきません」と答えます。

でも僕は、調理法や食材の工夫の話はすぐにはしません。さらに、それぞれの気持ちを聞いていったのです。

すると「作ってくれた料理を食べられない自分がつらい」と患者は告白し、「自分の力で元気にすることができない」と家族は本心を語りました。

その二人の気持ちをまず聞き出し、そして二人が一番救われる道を探します。

「それなら、しばらく点滴をして、食べられない分を補いましょう」と今日は答えました。

食事が食べられないほど衰弱したがん患者に点滴しても、患者も家族もはっきり実感できる効き目はないでしょう。それでも「家族の情に応えることができない」患者の気持ちと、「患者の苦悩を助けられない」家族の気持ちを同時に救うことが、点滴にはできるかもしれません。

患者と家族の人生会議に参加し、本人を重視し、家族との間を調停する司会ではなく、二人の気持ちを公平に聞き、患者も家族も同時に救い出せるーー。

そんな新たな道を示す知恵のある司会になることが、今の僕が目指している「新・アドバンス・ケア・プランニング」なのです。

【引用文】

1) 木澤義之 アドバンス・ケア・プランニング(ACP):今に至るまで 緩和ケア, 29(3), 195-199, 2019

2) 厚生労働省 人生の最終段階における医療の普及・啓発のあり方に関する検討会:「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン

【新城拓也(しんじょう・たくや)】しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。