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死亡「遠隔」診断 遠く離れていても心は届くのか?

医師は聖職者か労働者か?

医師の社会的役割

医師は人の生死の場に立ち会い、その上で診断書を書くことが医師法によって定められています。

自宅療養中の患者の臨終に際し、医師が遠方にいてすぐに立ち会えないのであれば、看護師が死亡を確認し、スマートフォン、タブレットなどを通じて、医師が死亡「遠隔」診断できるようにしようと、現在、厚生労働省で具体的な要件が議論されています。

今年度中には始まるというこの死亡「遠隔」診断を、現場の医師として自分のキャリアを振り返りながら考えてみようと思います。

ホスピスで働く医師の過労

私は現在、開業医として在宅医療の現場で働いており、ほぼ毎週患者の死に立ち会っています。医師になってから20年が過ぎ、ホスピスで働いていたときから数えれば、もう2000人以上の死に関わってきました。

人は死に至るまでに様々な病苦を体験します。私が関わる多くはがんの患者です。今、日本ではがんは死因の第1位となっています。私は、がん患者の苦痛を緩和する緩和ケアを専門としており、強い痛みを始めとするあらゆる苦痛と、心の悩みを緩和することに専念しています。

私がホスピスで働き始めたのは、今から15年前のことです。関西のホスピスに職を求めていたとき、ある病院で働く医師から誘いを受けました。その医師は私よりずっと年上で、たった一人でホスピスに入院する22人の患者、そして他の病棟に入院している緩和ケアの必要な患者の治療にあたっていました。

その医師は強い正義感と責任感で仕事は一切手を抜きませんでした。仕事量は多く、いつも仕事は深夜に及んでいたため、いつしか体調を壊し、ついに倒れてしまいました。医師を一人増員することが病院の上層部に認められ、私が就職することになったのです。

ホスピスでは一晩に3人も亡くなる時がありました。上司も最初は一人一人の患者、家族への礼儀を重んじ、その都度自宅から病院に行き、頭を垂れ、患者と付き添う家族にねぎらいの言葉をかけ、患者の体に聴診器をあて死亡診断をし、死亡診断書を発行していました。

そして、看護師による手厚い遺体の処置(エンゼルケア)が終わるのを待ち、さらに葬儀社の迎えを待ち、病院の外まで見送り、故人や家族と最後の別れをしていました。

私もこの一連の仕事が、当たり前の流れだと考えていましたし、治療を通じて苦楽をともにした、患者、家族に対する当然の礼儀だと信じていました。

しかし、この一連の仕事を医師の日常生活の目線から考え直しましょう。ホスピスで働き始めた頃、朝8時から夜の8時近くまで働くのが常でした。この時点で既に週60時間です。

夜中の呼び出しに応じたときは、もう家に帰るのを諦めてソファーに体を横たえ、わずかな時間仮眠を取り、そのまま次の日の朝を迎えて仕事を始めることもありました。

休日であれば、まだ幼かった子供を連れて一緒に遊びに行っているときでも、呼び出しに応じていました。「パパ、病院大丈夫?」といつでも子供は気遣ってくれました。時には、まだ遊びたがる子供たちを病院まで連れて行き、一連の仕事が終わるまで1時間程度、病棟で待たせることもありました。こうして私生活をなげうって家族も巻き込んで、患者の臨終に立ち会っていました。

勤務時間外の死亡診断を当直医に任せたら?

このように土日も半日は仕事をすることが普通だったので、恐らく週60〜70時間(月当たり時間外労働80〜120時間の過労死レベル)は働いていたのではないでしょうか。

当然、私も心身共に疲れてきました。そして、上司と話し合い、勤務時間外の死亡診断は、その日病院に当直する医師に任せることにしたのです。

患者、家族にしてみれば、初対面の医師が臨終の現場にやってくるのです。医師も家族も、形式的な死亡診断にさぞかし居心地の悪い思いをしていたことでしょう。時には露骨に他の医師から不満を言われることもありましたし、家族からも「先生に最期を見てほしかった」と言われ、心を痛めることもありました。

勤務時間外の呼び出しがかなり減り、私は大いに救われました。しかし、「こんなやり方で本当に良いのだろうか」という自責感から、日本中のホスピスで死別を迎えた遺族を対象とした調査研究を行いました。

その結果、もちろん家族は主治医の死亡確認や臨終の立ち会いを望んでいますが, もし死亡確認や立ち会いができなかったとしても、家族の死別のつらさ以上に、つらさがさらに強まることはなく、臨終までに頻繁に部屋に行くことで十分な対応であると考えていることが分かりました。

亡くなりそうな患者の診察を勤務時間内に丁寧に行い、十分に家族と話し合っていることが大切なのだと分かり、仕事に取り組む姿勢が変わりました。自分の働く時間は限りがあっても、その時間内で最大限心を込めて診療しようと思えるようになりました。

臨終は、患者と家族が向き合う大切な時間

そして、10年働いたホスピスを辞め、開業し患者の自宅へ往診するようになりました。患者も家族もそれぞれ住み慣れた場所で生き、そして最期の日を迎えるのです。

自宅での臨終は、患者と家族が向き合う最期の大切な時間だと考えるに至りました。

ある情の深い熟年の男性は、自宅療養する妻のため、慣れない家事を覚え、傷の手当てを覚えました。子供のいないたった二人の家族でした。臨終の時は、夜中の1時でした。その男性は、翌朝まで連絡してこなかったのです。

翌朝連絡を受け、最後の診察に伺うと、「誰にも邪魔されず、最後の一晩を過ごしました。息が止まってからも、側でずっと体をさすりながら、一晩横にいました。」と話しました。その男性にとっては、一番大切な時間を、医師であっても他人に邪魔されたくなかったのです。人目を憚らず、悲しみ、そして涙が涸れた頃に私に連絡がありました。

私や看護師の指導(コーチ)で介護、看病の技術を身につけた家族にとって、臨終とは特別な時間の集大成なのです。この男性は、一人残されました。今も私の外来に診察に来ては、当時のこと、最近のことを話します。「もう何年も経つのに、あいつの事を忘れることができません」と診察室で涙ぐむのが常です。

私にとって、死亡診断は患者との別れですが、それ以降も、折に触れ家族と再会しています。病院で働いていた頃は、病院から去ってしまえばまず二度と会うことはありませんでしたが、今では時々自宅を訪れ、仏壇に手を合わせて残った家族と話すことも多いのです。後日再会することで、臨終の瞬間に立ち会うことに、必要以上の責任感は感じなくなってきました。

開業医が感じている強い責任感と負担

しかし、私のように人の死、患者の死が日常であればこそそのように思うのですが、多くの開業医はそう考えていません。開業医は強い責任感を感じています。そして、24時間365日いつ起こるか分からない患者の死に対して準備することに強い負担感を感じています。

私は神戸市医師会を通じて、神戸市内の開業医に調査し研究をしました。患者の家に往診する在宅医療を行っている医師が、何に、どの位負担を感じているのかを調査したのです。

その結果、在宅医療を担う半数以上の医師が休日や夜間の往診に負担感を感じており、特に医師が高齢であることが負担感を強める要因となっていました。「自分自身の体も悪く、これ以上在宅医療に力を注げない」、「自分の診療所に長く通っていた患者が、通院できなくなると、診察できなくなるのは申し訳ない」といった声も多く聞かれました。

在宅医療において特に医師が負担と考える死亡診断の規制を緩和することで、より多くの患者が自宅で最期を迎えることができるのではないかと厚労省も考え、ICT(情報通信技術)を利用した死亡診断に関するガイドライン策定に向けた研究が行われました。

死亡確認まで12時間以上かかるような、離島や僻地で死亡する患者を念頭に、一定の経験があり、訓練を受けた看護師(自宅に赴く訪問看護師)から、スマートフォンやタブレットを使って情報が送られてきます。医師は、その情報に基づいて客観的な死亡診断を遠隔で行い、さらに看護師が医師の指示で死亡診断書を代筆する方法が提案されています。

遠隔死亡診断のイメージ

しかし、離島や僻地といった少数の患者を対象にだけに検討されているとは考えにくいと私は思っています。

病院を死亡場所にする患者を減らせないか

日本は人口が高齢化し、2040年には死亡者がピークを迎えると予想されています。死亡する場所が問題で、現在は病院での死亡が80%近くで、このままでは病院で死亡者を収容しきれなくなると政策立案者は考えているのです。

日本人も自宅での死亡を望んでいるにも関わらず、他の先進国と比較しても日本の自宅での死亡は余りにも少なく、(日本 13% vs. アメリカ・オランダ 約30%)このギャップを縮めることも考えられています。

私が週に1回勤務している大規模な救急病院では、入院ベッドが足りないため、多くの救命を必要とする患者の治療ができないという事態が起きています。病院スタッフは、ベッドを空けようとして、一人でも多くの患者が退院できるように、患者や転院先の病院と交渉を続けています。

せめて自宅療養、自宅で最期を迎えたいと考える患者を増やせないか、言いかえれば、病院を死に場所にする患者を減らせないかと、この10年近く様々な政策が実行されてきました。

そこで、私のように在宅医療を主に行う診療所には高額の診療報酬が支払われるようになりました。私も開業し、医療活動を続けるにあたって十分な報酬を受け取っています。

自宅に赴いて一人の患者を診療すれば、外来で10人以上の患者を診療したのと同じくらいの報酬を得ることができます。開業医は、外来だけではなく、積極的に往診することで、安定した病院経営が可能となるようになりました。

しかし、このような医療政策の結果、病院での死亡はわずかに減らせたに過ぎず(5%程度)、自宅と介護保険施設での死亡はわずかにしか増やせていません。そして、最近では在宅療養支援診療所の開業の要件を緩和して、さらに開業医が在宅医療に参入するように誘導しましたが、それ程新規開業は増えていません。

つまり、病院での死亡を減らし、在宅での死亡を増やすという政策は明らかにうまくいっていないのです。私は、このICTを用いた遠隔死亡診断の規制緩和に、厚生労働省の焦りを感じています。

さて、私は神戸市から離れるときはいつも、連携する医師に留守を任せています。そして、患者が24時間365日何かあればいつでも私自身の携帯電話に連絡できるように、連絡先を教えています。

プライベートの休暇中であっても、患者、看護師からの連絡を受け、必要であれば訪問看護師や留守番の医師に指示を出しています。スキー場のゴンドラの中で、iPhoneのメッセージ上に患者の様子が報告され、指示を返信する事もよくあります。

普段診療している私がまず直接連絡を受けて、状況を把握し指示を出すことで、留守番の医師の負担はかなり軽減されます。私と同じような在宅医療を中心に活動している医師5人で連携してそれぞれの出張、休暇を支え合っています。

海外旅行中の医師と留守番している私が、いつも使っているiPhoneで通話し相談しながら、現場の様子と写真を送り診療したこともあります。既にICTは現場ではなくてはならない道具なのです。

私も今後、必要であれば休暇中に遠隔死亡診断を行うかもしれません。もしも遠隔診断で心が届かなければ、後日神戸に戻ってから、患者の家に行き、在りし日を家族と思い出しながら、「一番大事なときに傍にいられなくてごめんね」と心を伝えればよいのではないでしょうか。

共に生活者である医師と患者が支え合う世の中に

医師にも自分の日常生活があります。共に生活者である医師と患者が、支え合い現世を生き、そして別れる。私はそれで良いと思っています。

死亡診断を遠隔でもできるようにして、医師の負担を軽減することはできるのでしょうか。責任感が強く、高齢化した医師にとっての福音となるのでしょうか。それとも心の届かない遠隔診断により、患者の臨終が簡素で貧相なものになっていくのでしょうか。

私は、かつて私の働いていたホスピスと私の意識が変化したように、社会の意識の肯定的な変化を期待しています。


新城拓也(しんじょう・たくや) しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 (日本評論社)「超・開業力」(金原出版)など多数。