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Updated on 2019年10月18日. Posted on 2019年1月28日

みんな、患者を苦しみから救う鎮静のことを誤解している

「最期は鎮静してほしい。苦しんだままで死にたくない」 鎮静や安楽死について考える連載前編です。

苦痛を緩和するための鎮静の現状

この数年で、テレビ、ラジオ、新聞といったメディアや、インターネット上に、死の直前の苦痛を緩和する方法として、鎮静(緩和的鎮静、終末期鎮静とも言われます)が紹介されるようになりました。

一般の方が鎮静について書かれたものを読んでいると、治療を誤解しているのではないかと感じることがあります。そこで、改めて私から、詳しく皆さんに鎮静のことをお伝えしたいと思います。

実際に、亡くなる間際になると、想像を超える痛み、息苦しさ、また「身のやり場のないつらさ」としか言いようのない苦痛に、特にがん患者は襲われることがあるのです。あらゆるケアと治療の手を尽くしても、苦痛が緩和されないとき、最後の手段として実行されるのが鎮静です

鎮静が始まると、患者は眠気が強くなり、意識が低下し始めます。実際には、主にドルミカムという注射の薬を、3倍から、50倍に薄めて少しずつ点滴します。

Takuya Shinjo

実際に筆者が鎮静を行った時の点滴

一般の方は、誤解しているかも知れませんが、薬を始めると全ての患者が、呼びかけても全く反応がないほど、一瞬で眠ってしまうわけではありません。「一つ、二つ、三つ」と数えているうちに完全に眠ってしまう外科手術の麻酔とは全く違います。

昨年、私を含む専門家が、緩和医療学会の鎮静のガイドラインを書き直しました。作成の段階で何度も話し合い分かってきたことは、医療現場では苦痛の強さや状況によって、鎮静によく使われている一つの薬を、3種類の方法で使い分けているということでした

鎮静のやり方は3種類ある

一つ目は、少しずつ薬を使って、呼びかけると目を覚まし、眠気は浅く、そしてある程度苦痛が緩和する方法です。

鎮静が始まってからしばらくは、話しかけると目を覚まし、答えることができることがほとんどです。その状態で苦痛がないときは、この浅い眠りのまま、死を迎えることもあります。

実際には、鎮静はこのようなやり方がほとんどです。この方法で苦痛が緩和されない時には、少しずつ薬の量を増やします。結果的に完全に眠ってしまうこともあります。

この方法は、患者を眠らせてしまうことではなく、苦痛を緩和することを一番の目的とします。

二つ目は、一度に多量の薬を使って、呼びかけても目を覚まさず、眠気は深く、そして苦痛が完全に緩和する方法です。

患者の苦痛が余りにも強いと、少々の薬を使ってもうまく眠れないときがあります。このような時は、苦痛が緩和するまで、薬の量を増やすと、患者は深く眠ってしまいます。

この方法は、苦痛を緩和することと、同時に深く眠らせることを目的とします。

三つ目は、数時間だけとか、一晩だけとか予め時間を区切って、短い時間のみ鎮静をし、苦痛を緩和する方法です。

突然苦痛が強くなったとき、緊急避難として短い時間だけ薬を使いしばらく眠り、そして薬を止めて目を覚ます方法です。眠っている間に、検査や治療、家族との話し合いをする時間を稼ぎます。

このような方法は、患者が苦痛なく眠ったままで胃や大腸の内視鏡検査受けるとき、広く行われている一般的な方法です。検査が終わると、薬を止め、割と早い時間で効き目はなくなり目は完全に覚めます。検査の苦痛は短時間に終わります。目が覚めれば、もう苦痛はありません。

一見良さそうな方法ですが、がん患者の耐えがたい苦痛は、有効な治療もなかなかできないため、検査と違い短い時間で苦痛がなくなるものではありません。薬を止めて、目が覚めてくると、また同じような苦痛に襲われてしまうことが常です。

このように鎮静には3種類あるのです。特に、皆さんがよく誤解しているのは、「一度鎮静したら、死ぬまで目を覚ますことはない、もう二度と話すことはできない」という方法だけではないということです。

最初の方法であれば、鎮静が始まっても話せる方はいますし、一旦鎮静を始めても「鎮静すると決めたけどやっぱり止めたい」と思えば、きちんと止めることはできます。

ただし、体が相当に弱っている亡くなる数日前から鎮静は始まることが多いため、薬を止めてももう目を覚ます力がなくなっていることもあります。また、苦痛が余りにも強いため、しっかりと眠れるように鎮静をしているときは、やはり亡くなるまで鎮静薬を止めずに続けているときがほとんどです。

眠ってしまった本人に、「眠ったままでこのまま死を迎えたいですか」と尋ねることはできませんので、そばで看病する家族には、毎日「このまま鎮静を続けるかどうか」を必ず話し合います。

医師は、薬を投与した直後に亡くなってしまうことがないように、患者が自分で呼吸がきちんとできるように、薬の量を調節する必要があります。この調節には知識と経験が必要なため、誰でも鎮静の治療を実行できるとは限りません。

医師にとっては、とても神経をすり減らす治療ですが、患者にとって鎮静は大切な緩和ケアの一つです。まず1人でも多くの医療者が理解してほしいと願い、私は以前から、自分自身のブログに書き始めました

やがて私は、医療者だけではなく、治療を受ける患者自身が、鎮静のことを知ってほしいと考えるようになり、さらにネットメディアにも記事書くようになりました。なぜそう考えるようになったのか、私とある患者との出会いと別れを皆さんと共有します。

医師としての自分の無力、そして緩和ケア、鎮静との出会い

その患者と出会うまでも、患者の死の直前の苦痛を、何度も立ち会ってきました。なぜ、自分の診療してきた大切な患者は、これ程の苦痛を味わうのだろうか。なぜ、患者の苦痛を事前に予測し、治療で防げなかったのだろうか。自分の未熟さと知識のなさを責めることもありました。

Takuya Shinjo

自分の患者の苦痛を目の前にするのは、医師にとっても苦痛な経験だ

眠るように穏やかに死にゆく患者と、ひどい苦痛に苛まれる患者との間に、どんな違いがあるのか、全く分かりません。

やがて、苦しんだ末に患者が死を迎えると、やっと取り戻した静寂に、残された家族は、死別の悲しみよりも安堵を感じるのでしょう、落ち着いた表情で医療者に「ありがとうございました」と頭を下げるのです。

患者が不治の病に罹ったとき、家族は「できるだけ長く生きてほしい」と思いながらも、「苦しみが終わるよう、早く楽にしてあげたい、逝かせてあげたい」と、同時に矛盾したことを考えているのだと、経験的に分かってきました。だから、患者の苦しみが終わったとき、医師にこのような言葉を伝えるのだと、やがて気がつきました。

やっと私は、緩和ケアを知りました。患者を苦痛から救う方法が分かり、それでも苦しむ患者には、最後の手段として、薬で鎮静すれば、苦痛を緩和することができると知りました。

これで今まで感じてきた、患者と家族を苦痛から守り切れないという、自分の葛藤を解決できたと思いました。「自分は緩和ケアという正当な治療の一つとして鎮静を実践しているのだ。自分は正しいことをしているのだ」と、ついに信じることができたのです。

そして私は医師としての経験を重ね、やがて緩和ケアの専門家になりました。自分の中で鎮静という治療は、日常的な治療の一つとなりました。ホスピスで働いた10年間で、何千人という患者の死に関わり、そして何度も鎮静をしました。

それほど迷いもなく、鎮静を日常的に行う自分に、ある疑念が生まれたことに気がついたのは、ホスピスを辞めてからしばらく経ってからでした。その疑念の正体は、医師と患者の関係において、根本的な問題であることに、やがて気がつくことになるのです。

最期は苦しみたくない、薬で眠らせてほしい

その患者との出会いは、突然でした。「最期は苦しまないように、薬で眠らせてください。それに最期に苦しむ姿を家族、特に母に見せたくないんです」と、若い男性のがん患者から、最初の診察の時に、診察室で言われました。

私は驚きを隠せないまま、「みんなが最期に苦しむわけではありませんよ」と、安心させようと答えました。その方は、まだ体調もよく、最期の時を考えるには早いのではないかと思いました。

しかし、実際は私の予想を遙かに超えるスピードで、病状は悪化しその日から半月も経たないうちに、その方は家から一歩も出ることができなくなりました。私はその方の自宅に往診するようになりました。呼吸が苦しくなり、すぐに自宅に酸素吸入の機械を設置しました。そして、息苦しさを楽にするための薬を処方しました。

しかし1週間もしないうちに、薬の効果もなくなり、話すことも苦しい状態となりました。すると、「以前お話ししたとおり、そろそろ薬で眠らせて欲しい」と私は言われました。その方は、私に手に持ったスマートフォンを見せました。そこには、以前私が書いた医療者向けの鎮静に関するブログの記事がありました。

そして、小さな声で「最期は鎮静してほしい。苦しんだままで死にたくない。前から苦しみが取れなければそうしようと思っていた」と話し、傍らで看病する母と妹に向かって、「自分の願いを叶えてほしい」と言いました。

苦しむ姿を見続けていた、二人ともしばらく迷っていましたが、「苦しまないようにこの子の言うとおりにして下さい」と答え、その日の夜から、実際に鎮静が始まることになりました。その話し合いから数時間後、約束の夜が来ました。

鎮静薬を投与する前に、この方は、家族に「今まで、ありがとう。先に逝くこと許してほしい」と言いました。そして私にも、「最後に先生に診てもらって良かった。先生もお体を大切にしてください」と言葉を残しました。

Takuya Shinjo

男性は薬を始めると眠りに入った

薬を始めると、その方は徐々に眠りに入りました。その夜は、朝まで、苦しみのない様子で眠り続けていました。次の日の朝、ご家族によると、目を覚まし「まだ俺は死んでないのか」と話し、水を飲み、しばらく話をしていたそうです。もう苦しみはない様子でした。

それからも薬を続け、さらに眠りが深くなり、眠ったまま3日後に自宅で亡くなりました。

この方との出会い、交わした言葉、そして実際に行われた鎮静に至るやり取りを振り返ると、今まで自分が確信していた鎮静のやり方について疑念がわいてきたのです。

「そうか、鎮静は、患者が求めて、そして始めてよいのだ」

ホスピスで働いていた頃は、苦しむ患者を診察し、病室の外で家族に鎮静を始めた方が良いと、いつも自分から助言してきました。いつも鎮静を始めることはは自分から言い出していました。でも、本当は鎮静は医師が決めるものではなく、実際に鎮静を受ける患者が決めることなのではないか。初めてそう思ったのです。

痛みや苦しさの中で、理性的な判断がどのくらいできるのか

この方との出会い以降、これまで出会った患者、家族と鎮静に至るプロセスを振り返り、いくつかの疑問に気がつきました

「鎮静を実際に受ける患者自身は、きちんともうこれ以上苦痛はとれないという自分の状況と、鎮静という眠ることで苦痛を緩和するという治療を理解していたのだろうか」と思ったのです。

さらに、「患者が自分で受ける治療を、自分で考える機会を私は本当に与えていたのだろうか、自分は患者が治療をきちんと理解できるように心を尽くしてきたのだろうか」という、疑問がわいてきたのです。

患者は、痛みや息苦しさといった相当な苦痛な中で、冷静に判断できたのだろうか。患者の多くは、体の調子が悪く、精神状態が正常に保てないせん妄状態で、もはや会話を理解し、理性的に治療を判断する力は残されていなかったのではないだろうか。

私は、情を込めて「もうこんなに苦しいなら、眠りたいと思いますよね」と手を握り、患者の顔をのぞき込み、そして、わずかな声で「はい」と曖昧な返事をする患者の答えを「鎮静の同意」とみなしていなかっただろうか。

多くの家族は、私が「もう死期が迫っています。これだけ苦しむなら、眠らせて苦痛を緩和し楽にしてあげましょう」と言えば、「お願いします」と答えました。ならば鎮静という治療は、本人の思い、真の同意とはかけ離れたところで、家族と医療者の間だけで決めてきたのではないか、そう思ったのです。

昨年のイタリアからの報告でも、鎮静を受けると自分自身で同意できた患者は3割ほどで、ほとんどが医療者と家族が同意し鎮静が始まっていることが明らかになりました。

患者の同意を確認できない理由として、鎮静を始めるにあたり、間もなく死を迎えるという事実を、患者自身に説明できないことが一般的だからと推測されています。この日本でも、患者よりも家族が鎮静を決断しているのが現実です。

この研究は、患者の鎮静をほとんど家族と医師が決めているという事実が明らかになりました。この事実には、患者自身の考えが、ないがしろにされること以上に、重大な家族にとっての問題があるのです。

患者本人の思いを知らないままに、鎮静をすると決めた家族は、患者の死後も自分自身の判断の重責に、ずっと苦しむことがあるのです。死別の悲しみがさらに深くなった家族を、どう慰めたら良いのだろうかと私は悩むようになったのです。

【後編】鎮静は安楽死の代わりの手段なのか? 治療の一つだと信じてきた私の動揺

【新城拓也(しんじょう・たくや)】 しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。