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最後の時間 この国でケアは受けられるのか

アドバンス・ケア・プラニングを「人生会議」と読みかえるだけで、最後の時間は豊かになるのでしょうか?

最近、アドバンス・ケア・プラニング(advance care planning; ACP)という言葉が医療の世界で広がっています。

誰でも、いつでも、命に関わる大きな病気やケガをする可能性があります。命の危険が迫った状態になると、約70%の方が医療・ケアなどを自分で決めたり、望みを人に伝えたりすることが出来なくなると言われています。

自らが希望する医療・ケアを受けるために、大切にしていることや望んでいること、どこで、どのような医療・ケアを望むかを自分自身で前もって考え、周囲の信頼する人たちと話し合い、共有することが重要です。

自らが望む人生の最終段階における医療・ケアについて、前もって考え、医療・ケアチーム等と繰り返し話し合い共有する取組をアドバンス・ケア・プラニングと呼ぶのです。

もしもの時はどうする? 延命治療するかしないかを話し合っておく

私自身も診療の中で、「もしもの時はどうする?」と患者に問うことが度々あります。

先日、診察した、3年近く外来通院で治療を続けている方は、「延命治療は止めるように先生から言ってほしい」と答えました。まだまだ、命を脅かすような病気がないのですが、ふとした会話の流れから、こんな話になりました。

またその前に診察した、初めてお目にかかったがん患者の方は、私からまだ何も尋ねないうちから、「私は家族に迷惑をかけるのが一番嫌なことです。そういう状況になったら、必ず病院に入院させて下さい」と話されました。

こういう話を聞き届けたときは、真摯に相手の語ることに耳を傾け、口を挟むことなく、患者の思いをカルテに記録します。「いよいよの時」にどうするかを、医師と患者が話し合うのはとても大切な事です。

最近も、まだ命の危険はない、大丈夫と思っていた5年近く診察している90を過ぎた女性の患者が急に倒れて救急車で病院に運ばれ、私は病室に駆けつけました。

家族だけで、今後の治療を決める重責を少しでも軽減しようと、この方は以前から「延命治療を受けない、死ぬときが訪れたら静かにそれを受け入れる」と話していたことを、意識がなくなったその方の傍らで家族と改めて確認し合いました。

「本人が望むように治療を決めて良いんですよ」と私は家族に話しかけました。そして、家族は迷うことなく、その病院の主治医に「延命治療はしない」と伝えることができました。

家族だけで、大切な誰かの生き死にを決める大きな決断をするのは、とても心の負担になることです。時には迷い、時には苦しみ、本人の代わりに治療を決断したことを、後悔し続けることも度々です。

「あのとき私が、もう治療はしないと決めてしまったために、母は死んだのかもしれない」「あのとき、治療を続けて欲しいと答えていれば、もしかしたら父は助かったのかもしれない」と自分を責め続ける遺族にも多く出会ってきました。

本人が自分の生き死にに関わる大切な事を決めて、その願いが叶うように、家族と医療者が協力する。そうすることで、残される家族また関わった医療者の自責感を軽減することができるならどんなに良いか、私もずっとそう思ってきました。

つまり、アドバンス・ケア・プラニングはとても大切なことなのです。私も日常の診療で実践してきました。

医療の現場だけではなく、家庭のあり方を変革させようと、アドバンス・ケア・プラニングに「人生会議」という愛称を厚生労働省が主導して、考案しました。報道でもアドバンス・ケア・プラニングのことが度々話題となり、この大切な発想が広まっていく様子を眺め、私は心から満足するはずでした。

しかし、実際の医療現場で行われている、アドバンス・ケア・プラニングの実践を目にすると、何か大切なことが欠けているのではないかと、違和感を覚えるようになりました。

医療におけるキュア(治すこと)とケア(癒やすこと)

その違和感の正体は、アドバンス・ケア・プラニングの「ケア」という言葉の本質的な意味について、私達は本当に理解しているのだろうかという疑問です。「ケア」とは何だろう。私は患者を家族をケアしてきたのだろうかと、自問するようになったのです。

私は緩和ケアを専門にし、緩和ケア病棟(ホスピスと同義)で長く働き、今は開業して在宅緩和ケアを中心に診療しています。どのような病気の方にも緩和ケアを実践できると信じて、今まで働いてきました。

緩和ケアにも「ケア」という言葉がついています。緩和ケア病棟は「ケア」をする病棟なのです。緩和ケアとは、麻薬で痛みを緩和する治療だけではないのです。治療には「ケア」を同時に提供しないと、緩和ケアとはいえません。

私は、30代の情熱と時間の全てを注いだ緩和ケア病棟を、10年間働いた末に辞める決断をしました。大切にしていた仕事をやめ、愛着のある職場を去るときは誰でも相当悩みます。

辞める理由を周囲に尋ねられた時、「もっと緩和ケアを広く色んな人たちに提供したい」「独立して自分の可能性をさらに広げてみたい」「東日本大震災のボランティアに参加してから、在宅医療の大切さに気がついた」と自分の本心で答えてきました。

でも、その時には決して誰にも語らなかった、別の理由もあるのです。最近アドバンス・ケア・プラニングに対する違和感の正体は、その別の理由と同じものだと悟りました。

緩和ケア病棟のリストバンドとセンサーマット

その別の理由というのは、緩和ケア病棟から「ケア」がなくなっていく無念でした。私の心を傷つけた3つのことがありました。

一つ目は、リストバンドです。

リストバンドとは、入院すると患者の手首に巻かれるバンドです。バーコードと名前が書いてあります。

病院で点滴の取り違え、手術の間違いといった人為的な事故が続き、対策する必要がありました。

看護師が、このリストバンドのバーコードを読み込み、点滴に貼られたバーコードを読み込み、間違いないと確認してから点滴をセットします。事故を防ぐ大切なものです。退院するときには切断して取り外します。

私が勤務していた頃、ちょうど病院でリストバンドの導入が始まりました。事故を防ぎ、私たち医療者の間違いを減らすためとはいえ、管理的なリストバンドを、まさか緩和ケア病棟でこれから亡くなりゆく患者につけなくても良いだろうと私は思っていました。

しかし、病院全体のルールとしてで決まったこと、緩和ケア病棟に入院している患者も例外とはしない、と決まってしまいました。

「亡くなりゆく人たちにリストバンドがつけられ、つけたままで亡くなっていく、そんな状況には耐えられない」「緩和ケア病棟を他の病棟と同じように考えないで」と反対しましたが、聞き入れられることはありませんでした。

実際に患者に「こんなものを巻かれてしまって、嫌ではないのか?」と尋ねたこともありますが、「別に気にならない」と答える人ばかりでした。自分の中には違和感を感じながらも受け入れることにしました。

二つ目は、センサーマットです。

センサーマットとは、ベッドのそばに置き、患者がベッドから立ち上がりそのマットを踏むと看護師の詰所でブザーが鳴るような仕組みになっているものです。

これは、病気や老いのために足腰が弱くなり、すぐ転んでしまう患者が、一人でベッドから離れて怪我をするのを未然に防ぐために使われます。ブザーが鳴ると看護師が病室に駆けつけ、患者が転ぶ前に介助するのです。看護師は、ブザーが鳴るたびに、仕事の手を止めて駆けつけなくてはなりません。

患者の怪我を未然に防ぐこの道具ですが、やはり頻繁に呼び出されるようになると、医療者もさすがに疲れてきます。ベッドから立ち上がらないように柵を高くしたり、時には、動く衝動を抑えるために薬でうとうとさせてしまう治療にもつながっていきました。

患者の動向や1日の過ごし方を管理する、見張る視線が病棟に蔓延しました。ベッドに縛り付けてしまう身体拘束よりも、ましかもしれません。しかし、こうして緩和ケア病棟でも管理的な考えが強くなってきました。

そして、遺族会や熱帯魚の水槽も廃止

三つ目は、ボランティアの導入や、遺族会の廃止、病棟にある熱帯魚の水槽の廃止でした。

医師も看護師も本来の仕事以外のことで忙殺されることを嫌うようになってきたのです。ボランティアの方々が清掃、お茶を配り、時には雑談することで、患者、家族の助けをしていました。

しかし、ボランティアの教育、日々の仕事の振り分け、時にはトラブルの調停とそれは実に大変な仕事でした。

遺族会は、病棟で亡くなってから1年くらい経過した遺族と、医師、看護師が集まり、当時を振り返って話しそして癒やし合う大切な機会でした。

しかし、遺族会も仕事が休みの日に職場に出てくる機会が増えてしまうために、労務的な観点から廃止になりました。

カラフルな熱帯魚が泳ぐ水槽は患者や家族の心の癒やしになっていましたが、病院の経営方針のスリム化、経費削減の影響で廃止されました。

緩和ケア病棟は仕事が効率化され、無駄を排し、管理的な側面を強めていきました。

それでも「ケア」を続けていると思えていましたが、徐々に「ケア」って何だろうと思うようになりました。

「ケア」が何であるか、まだ自分なりに答えはないけれども、ここで働き続けても「ケア」が実践できないしその本質には近づけないと直感して、職場を辞めることにしました。

終末期医療を考えるとき、人生で何を大切にしてきたのかに思いを馳せる

あれからしばらくが経ち、アドバンス・ケア・プラニングが少しずつ広まりましたが、今でも思うことは「ケア」の観点がないことです。

延命治療を受けるか受けないか、人生の最後はどこで過ごしたいのか、自分が判断できないときは、誰が代わりに自分の事を決めるのか、そういった決め事を話し合っていくことは「ケア」ではありません。

もちろん、そういう治療の話し合いをもち、患者と家族、医療者が対話することが「ケア」かもしれません。きっと大切な話し合いを通じて、色んな語りが交わされることでしょう。

でもそこに「ケア」を現すのであれば、もっと医療者が患者、家族がどう生きてきたのか、何を大切にしてきたのかに関心を持って、好奇心を持って対話することが必要なのです。

医療者は、患者一人一人と向き合うには、忙し過ぎて、時間がないと言われています。

しかし、私が緩和ケア病棟を辞めるときに感じた違和感は、その人を知ろうとする好奇心が失われていることでした。医療者は忙しいことよりも、患者、人間に対する興味を失っているのではないかと思うようになりました。

私の知人が著した本『人生最後のご馳走 淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院のリクエスト食』(青山ゆみこ著、幻冬舎)を最近読み、私もまた「ケア」を忘れかけていたと思い直すきっかけとなりました。

この本では、患者が求める食事をホスピスの調理師、栄養士が再現する取り組みについて書かれています。

患者一人一人は、食事とともに、自分の人生、思い出を鮮やかに語ります。時には楽しそうに病気を忘れて、あくまで自然に自分の人生を、伝えようとする姿が描かれています。

また、その人の人生や家族の事が食事を通じて語られることで、人のプライベートに踏み込む嫌らしさが全くないところが、さらに高度な「ケア」であることが分かります。

私は、病気や病気を通じて抱えるつらい思いに焦点をあて、じっくり話すことを続けていました。しかし、本当にその人を知ろうとしていたのだろうか、自分の知っておきたいことをただ患者に語らせ、緩和ケアを実践していると思い込んでいたのではないかと反省しているのです。

対話を通じて、患者を「ケア」するというのはどういうことなのかをこの本から学びました。

患者の豊かな人生に巻き込まれる喜びを

アドバンス・ケア・プラニングの広がりは、祝福すべきものですが、この国で患者は「ケア」は受けられるのでしょうか。

人工呼吸の装着、心肺蘇生、胃瘻などを単に「する」「しない」と符号化し、死に場所の希望を聞き、治療の組み合わせ表を医療者と本人が手際よく作り上げていくこと、そこには「ケア」はありません。

私を含め、患者を囲む家族も医療者も、もっと患者の人生の語りを自然に促し、そして耳をかたむけ、さらに「ケア」に昇華させていくことができない限り、アドバンス・ケア・プラニングは「人生会議」と読みかえても、本質からはますます遠ざかるばかりでは、とため息が深くなるのです。

緩和ケア医である私が、まずは初心を思い出し、変わっていこうと思います。患者の豊かな人生に巻き込まれる喜びをもう一度思い出さなくては、自分のライフワークである「緩和ケア」は先には進めそうにありません。

【新城拓也(しんじょう・たくや)】 しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。