【訃報】元小結・時天空逝く 悪性リンパ腫、涙の引退と早すぎる死

    現役時代を写真で振り返る。

    日本相撲協会は1月31日、元小結・時天空(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)の間垣親方が同日午前1時12分に悪性リンパ腫のため死去したと発表した。37歳だった。

    現役時代を写真で振り返る。

    負けなしの21連勝。

    1979年、モンゴルウランバートル市生まれ。

    朝青龍、朝赤龍ら先輩力士の姿を見て憧れを抱き、2000年に時津風部屋に入門。

    2002年の名古屋場所で初土俵。初めて番付に載った秋場所から翌年の初場所まで無傷の21連勝中を達成した。

    この記録は、年6場所制となった1958年以降では、板井(元小結)の26連勝に次ぐ歴代2位タイ(当時)だった。

    笑顔で昇進。

    2004年3月場所に十両昇進。当時、十両を2場所で通過し、7月場所には初土俵から所要12場所の史上最速タイ(当時)で新入幕をはたした。

    2006年9月場所初日に、栃東に勝ち、大関から初の白星を挙げた。

    その日は27歳の誕生日。インタビューで「この日に自分を産んでくれた母に感謝します」と話した。また、母に向けて「バヤルララー」(ありがとう)と答えた。

    朝青龍を下す。

    2007年春場所。横綱と3大関に土が付く波乱の幕開けだった。

    結びの一番では朝青龍が新小結の時天空に敗れ、土俵上に多くの座布団が舞った。

    2011年初場所12日目。立ち合いが合わず、若荒雄とにらみ合う場面があった。

    得意手は、突っ張り・右四つ・投げ・寄り・足癖。幕内成績は431勝494敗20休(63場所)だった。

    闘病、そして引退。

    2016年1月、悪性リンパ腫で闘病中であると発表。師匠の時津風親方(元幕内・時津海)が、明らかにした。

    本人は「同じ病気と闘っている人もいる。頑張って克服したい」と現役続行にも意欲を示していた。

    しかし、同年8月。悪性リンパ腫の治療前にまげを落とし、丸刈り姿で引退会見に臨んだ。

    「先生から治療は半年と言われていて、半年ならすぐ体も戻せるだろうという気持ちがあったが、予定より長引いて1年たち、体力も体もだいぶ弱ってきた」

    「戻すには時間がかかる、ということで少し引退について考え始めました。土俵に戻りたいという気持ちが大きかったし、その気持ちがあったからこの1年間、乗り越えてこれた。最終的に土俵に上がることができず、こういう結果になってしまいましたけど、受け入れるしかないです」

    涙ながらにこう語っていた。

    本当にお疲れさまでした。そして、ありがとうございました。