「社会の中にいる『小さな植松』と、どう向き合っていくか」相模原事件の死刑判決を受けての「これから」

    相模原事件の植松聖被告に死刑判決が言い渡された。判決を受け、日本障害者協議会の藤井克徳代表が会見を開いた。

    知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」で元職員の植松聖被告(30)が入所者19人を刺殺し、26人に重軽傷を負わせた相模原事件の裁判員裁判で、横浜地裁は3月16日、植松聖被告に死刑判決を言い渡した。

    判決を受け同日午後、横浜市内で日本障害者協議会の藤井克徳代表が会見を開いた。

    藤井さんは植松被告の死刑判決に関しては「予測の範囲内」とした上で、この事件の真相や社会全体には、「優生思想や障害を持つ人に対する差別意識がある」とし、それに今後、社会がどう取り組んでいくかが問題だと話した。

    植松被告はこれまで、自身の障害者に対する考え方への同調者がいると話してきた。藤井さんは、被告の同調者や障害者に差別的意識を持つ人々を「小さな植松」とし、個人の中にある「差別意識の萌芽」の存在を指摘する。

    その上で、「ネットや社会の中で飛び交っている『小さな植松』とどう向き合っていくか」が課題だとした。

    裁判での「3つの不在」

    藤井さんは、これまでに植松被告とも面会をし、裁判の傍聴に通う中で、この裁判には「3つの不在」があったとする。

    1つ目は「裁判における固有名詞の不在」、2つ目は「本当の争点の不在」、3つ目は「弁護の不在」だ。

    日本障害者協議会の代表として、障害者運動に関わってきた自身の「率直な思い」としながら、今回の裁判に関する悔しさや憤りを言葉にした。

    「固有名詞を言えないという状況も差別」

    藤井さんが1つ目に挙げた裁判での「不在」は、「固有名詞の不在」だ。今回の裁判では、被害者特定事項秘匿制度に基づき、死傷者45人のうち、44人が匿名で審理された。

    死者は「甲」、重軽傷者は「乙」と呼ばれた。差別や偏見を恐れ、匿名を望む遺族が多いことを理由に匿名で審理がされる裁判となったが、藤井さんは「障害団体側からすると、とても辛い」と話す。

    「せめてもの亡くなった方のために」という思いで裁判に通い、抽選で当選した3回の傍聴の際に、亡くなった人が「甲」とアルファベットを組み合わせた匿名で呼ばれているのを聞き、「その響きがとても辛かった」と話す。

    「そもそもが差別を扱っている問題です。しかし、固有名詞がなかなか言えずに匿名という状況も『差別』でないかなと思います」

    「遺族が匿名を希望しているので、ご家族の影響を考えたときに単純に差別とは言えませんが、社会がそうさせています。だから遺族のことは責められない。でも裁判に入った段階では、名乗って欲しかったです」(藤井さん)

    裁判の中で唯一、遺族の意向で名前を出して審理された犠牲者は、当時19歳だった「美帆さん」だ。

    2月17日に横浜地裁で開かれた公判で、美帆さんの母親が「ひまわりのような子だった。美帆は私の人生の全てだった」と実名を出して思いを語った際、藤井さんは「涙なしには聞けなかった」と話す。

    藤井さんはその上で、「いつの日にかは『もう安心よ。今日から名前言うからね』という日を迎えて欲しい」と話した。

    優生思想や差別意識。被告が影響を受けた「社会」

    2つ目に藤井さんが語った「不在」は、「本当の争点の不在」だ。

    今回の事件の「個別要因」の他に、植松被告が生き、殺害事件を起こすまでに影響を受けた社会や勤務した施設などの「背景要因」があるとし、それを追及できなかったと感じたことから「争点が不在で、浅い裁判だった」と指摘する。

    この事件や裁判は「ある意味では非常に、日本という国が、障害を持った人の人権や、国の政策について考える機会だった」とする。「日本の社会が、とても障害者にとって住みづらい」ということが明るみになり、それを社会全体で考えていくことも「裁判の使命だと思っていました」と話す。

    植松被告は「意思疎通ができない障害者は殺してもいい」との主張を繰り返し、自身に同調者がいるということも話していた。

    「ネットの中で飛び交っている『小さな植松』とどう向き合っていくのか。そしてネットの社会だけでなく、彼が生き、影響を受けた『社会』や、彼が働いていた施設の制度を作った政府について考えていくべきだったが、それがなかった」

    藤井さんは、この事件が起きてからの3年8カ月の間に、植松被告の考え方と関連する障害者をめぐる問題が相次いだと話す。

    2018年には、中央省庁の8割にあたる行政機関で障害者雇用が水増しされている問題が発覚した。

    また、旧優生保護法のもとで行われていた障害者の強制不妊手術の被害者の提訴など、そこには「優生思想、差別意識、隔離思想が共通している」と話す。

    「被告の言動を形成した背景に迫るのも、弁護人の役割だった」

    3つ目の不在を藤井さんは「弁護の不在」とする。その理由をこう話す。

    「弁護人は国選でいらっしゃいました。弁護人はいたけど『弁護』はなかった。『彼の刑事能力があるかないか』という主張はありましたが、弁護として、この事件の『本当の背景』に迫るべきであったのではないかなと思います」

    藤井さんは「未曾有の事件があって、刑事責任があるかないかという点だけが弁護団の仕事だったんだろうか」と疑問を投げかける。

    「彼の言動を形成していった背景に迫るのも、弁護人の役割だったんじゃないかと思います」

    「重い蓋に封印」されないために

    植松被告はこれまでに「死刑判決が下されて弁護側が控訴しても、取り下げる」というように発言してきた。

    藤井さんは「判決出されても決着ならず、というのが私たちに残る思いです」と話す。

    今回の事件や裁判は、日本での障害者をめぐる問題について「大きな問題を社会に投げかけた」と藤井さんは話す。

    その中で、藤井さんが第二の「不在」で挙げたように本質が話し合われなかったために、判決が出て控訴を取り下げた時点で「ものすごい重い蓋が閉められて、封印されてしまう」とする。

    「優生思想に満ちた現象と本質的に向き合っていく」

    藤井さんは、この事件や裁判で社会に問題提起がなされた上で、「事件を忘れないこと」が重要と話す。

    「凶悪事件で残るのは犯人の名前だけで、事件の意味合いなどが残っていかない。なのでこの事件を忘れないことが大切です」

    また「優生思想に満ちた現象が後を絶ちません」とし、それらと「本質的に向き合っていくこと」が必要とされているとした。

    藤井さんは語る。

    「今できることは、この国の障害を持った人の状態を好転させることです。障害者の置かれている状況を変えていき、また障害を持った人たちへの認識を変えていくことが、19人の亡くなった方々に誠実に向き合い、私たちにできることではないかと思います」