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「なんで虐殺と認めてくれないの?」ロヒンギャの人たちが日本政府を非難する背景

日本に難民として住むロヒンギャの人々が、外務省前で抗議の声をあげました。

「ミャンマーでの虐殺を認めて。日本政府は、ロヒンギャを助けて」

「日本政府はミャンマー政府に働きかけを」

日本に難民として住むロヒンギャの人々が1月16日、外務省(東京都千代田区)の前に集まり、日本政府に対する抗議集会を開いた。

ロヒンギャとは、ミャンマーで弾圧を受けているイスラム系少数民族だ。

ミャンマー国内では、1962年の軍事クーデター後、ロヒンギャに対する圧力が強まり、1982年に施行された改正国籍法でロヒンギャは「無国籍」とされている。

2017年8月にはミャンマー西部ラカイン州で、ロヒンギャの武装勢力とミャンマー政府の治安部隊が衝突した。家屋は破壊され、約70万人の人々が隣国のバングラデシュに逃れた。現在でも多くの人が難民キャンプなどでの暮らしを余儀なくされている。

この日、外務省前に集まったのは、90年代以降にミャンマーでのロヒンギャへの迫害などから逃れ、日本で難民として暮らすロヒンギャの人々約30人。

ミャンマー現地メディアによると、丸山市郎・駐ミャンマー日本大使は昨年末、現地メディアに対し「私たちはミャンマーで大量虐殺はなかったと信じている」「ミャンマー軍はラカインに住むイスラム教徒全員を殺害しようとは考えていない」と発言。現地で波紋を呼んでいた。

今回の抗議集会は、その発言を受けたもので、集会後には代表が抗議声明を外務省の担当者に手渡した。

参加した人々は、「私たちは迫害された人々と共に」「ロヒンギャをベンガリと呼ばないで」と書かれたプラカードを掲げ、声をあげた。

「ベンガリと呼ばないで」との呼びかけは、丸山大使が、ロヒンギャの人々を「ベンガル人」「ベンガリ」と呼んだことに起因する。

ロヒンギャの人々を「ベンガル人」と呼ぶ際「バングラデシュから来た外国人」と意味し、ミャンマー政府の主張の様に、「ロヒンギャはバングラデシュから不法に移民してきた人々」ということを示唆するからだ。

在日ビルマ ロヒンギャ協会のゾー・ミン・トゥット副代表は「ロヒンギャはベンガリではない。日本の大使として正式に政府からミャンマーに来ている人物がそのような言葉を使うことは、非常に私たちの心を傷つける」と語った。

「ロヒンギャの人々を助けてください」

集会の前日にあたる15日、トゥットさんは日本外国特派員協会で記者会見を開いた。

「ロヒンギャに対する殺害や迫害が起こっています。過去、20年間、私はロヒンギャの問題についてずっと日本政府に対して訴え続けてきました」と話し、日本政府に「虐殺が起きていることを認めてください。ロヒンギャの人々を助けてほしい」と呼びかけた。

ミャンマー政府は、ロヒンギャの虐殺などを認めていない。

現在、同政府はロヒンギャ虐殺をめぐり、西アフリカのガンビアから、国際司法裁判所(ICJ)に提訴されている。2019年12月にはアウン・サン・スー・チー国家顧問が出廷したが、軍によるロヒンギャの人々の迫害や虐殺を否定している。

トゥットさんは、「アウン・サン・スー・チーさんはロヒンギャに何が起きているかについて深く知っているはずだ。しかし、この件についてどうにかしようという意思がないように思える」と話す。

「日本政府、日本の人々に訴えたい。軍やミャンマー政府の『嘘』を信じないでほしい。虐殺は起きています」

トゥットさんは丸山大使の発言に落胆の思いを示す一方で、泉裕泰・元駐バングラデシュ大使には感謝の言葉を述べる。

泉さんは昨年6月、日本ユニセフ協力大使でサッカー選手の長谷部誠さんと共に、バングラデシュに逃れてきたロヒンギャが生活するクトゥパロン難民キャンプを訪れた経験もあり、ロヒンギャに対して献身的な姿勢を見せている。

泉さんは「ロヒンギャ」という言葉を使い、丸山大使が複数回使った「ベンガル人」という言葉は使っていない。

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クトゥパロン難民キャンプを訪れた泉元大使と長谷部選手

トゥットさん自身、難民認定を受けて日本で長年暮らすロヒンギャだ。「日本政府に感謝している」と話しながらも、他の感情も持つ。

「日本に暮らすロヒンギャは日本政府にとても感謝しています。しかし、現在の日本政府は、国連の報告書も信じずに、人権侵害を指摘しようとしない」

トゥットさんと共に会見で話し、ロヒンギャを支援する学習院大学法学部の村主道美教授は、日本政府のこういった姿勢を「ミャンマー政府を満足させるためだ」とし、同政府との経済関係などにおいて良好な関係性を保つためだとの考えを示している。