「妊娠中は本当に心配で、この混乱の中で無事に出産できるのかと途方にくれていました」
ミャンマー南東部モン州に住むミャンマー人の女性は、昨年2月1日のクーデターの数ヶ月後に妊娠を知り、11月に出産した。
国軍は、クーデターに対して反対の声をあげる市民を、銃でねじ伏せてきた。女性もデモに参加していた一人だった。
母親となった女性が、今のミャンマーに望むことは。クーデターから1年の思いを聞いた。
トーアイチャンミーさん(仮名)は、モン州の州都モーラミャインに住む元大学教員だ。
クーデターの約半年前に結婚。多くの友人や家族に囲まれて挙式し、愛する人と家族になった。
しかし昨年2月、クーデターが起こり、ミーさんの生活も一変した。
アウンサンスーチー前国家顧問兼外相やウィンミン前大統領らが軍によって拘束され、各地で大規模な反対デモが起きた。
ミーさんも同僚や友人と共に繰り返しデモに参加し、声をあげた。
医師や教員ら公務員も軍事政権に抗議し、ストライキに踏み切った。
大学教員だったミーさんも、ストライキに参加した。
待望の妊娠「嬉しくて幸せだった」でも…
妊娠が分かったのはクーデターの約3ヶ月後。
その頃、軍はデモに集まる市民を銃で射撃し、数百人の犠牲者が出ていた。
ミーさんは軍が市民に銃を使い始めたころから、デモに行くことをやめていた。
「軍は、反対の声を上げる市民を容赦なく殺していました。平和的にデモをしていただけの人たちを軍が銃で撃つなど、はじめは信じられない思いでした」
「デモに参加していた人は、ただただ民主主義と平和を願っていただけの市民です」
「正直、妊娠がわかった時は本当に嬉しかったし幸せでした。でも、この混乱の中で、どうやってお腹の子どもと自分自身を守り、生き抜けばいいのかわからず、とても不安になりました」
Facebookでは、軍に武力で制圧される人々の動画が次々と投稿され、広くシェアされていた。「ショックでどうすればよいか分からなくなった」という。
軍は妊娠中の女性にも銃口を向け、ミーさんが住むモン州でも、妊娠5ヶ月の女性が銃殺された。
「警察がストライキをしている公務員たちを逮捕しているというニュースを見て、自分もいつか逮捕されるのではと心配になりました」
「自分だけでなくお腹には息子がいたので、夜も眠れず不安でたまりませんでした」
ミーさんにとって初めての妊娠と出産。ただでさえ手探りのなか、クーデター後の不安定な情勢に、いっそう不安が募った。
「先が見えない状況で、国や自分たちはこれからどうなってしまうのかと泣いてばかりいました。本当に心配で、出産できるのかと途方に暮れていました」
公務員ストライキに参加してから3ヶ月後、ミーさんは政府から解雇を伝える書面を受け取った。
「軍政下では公務員として働けない」。意志を貫いたことに、後悔はなかったが、生活への負担は大きかった。
公務員ストライキで職員不足の公立病院も少なくなかったため、ミーさんは私立病院での出産を決めた。
夫や家族とも支え合い、昨年11月に元気な男の子を出産した。
クーデター後の混乱の中での妊娠と出産を振り返り、ミーさんはこう思いを語る。
「息子を無事出産できたことを本当に幸せに思っています」
「大変な時期であっても、公務員ストライキを貫き、軍政に反対の姿勢を示した母親のことを、いつか誇りに思ってくれると嬉しいです」
「早く平和が戻ってほしい」
クーデターから1年経った今も、国軍は地方の少数民族への空爆を続けており、国内外への避難民は増えるばかりだ。
都市部では一見、平穏な暮らしが戻っているようでも、人々は不安を抱きながら暮らしている。
「家や村を破壊され、大切な家族を失っている人たちがいます。軍は残虐な行為をずっと続けています」
デモに参加しなくなった今も、ミーさんの軍政反対への思いは強い。
「この闘いには、勝たなければいけないと思っています。軍による独裁を終わらせなければいけません」
「もし今、民主主義を取り戻せなければ、この先ずっと戻ってこなくなってしまいます」
教員として可愛がってきた教え子たちや、これから息子が生きていく社会は、自由で平和なものであってほしい。
ミーさんはこう思いを語る。
「クーデター前、ミャンマーは日々進歩し、国として良い方向へと向かっていました」
「早く国に平和が戻ってほしい。生徒たちや息子が生きる国が、自由と民主主義がある場所であってほしいと願っています」