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「人間のやることじゃない」こみ上げる怒りと悔しさ。灰になった家。一人の青年が望むこと

ミャンマーのクーデターからまもなく1年。ミャンマーの実家を爆撃で破壊されたチン族の青年は、東京で母国の平和を祈りながら夢を追いかけます。

「言葉もありません。人間のやることじゃない、残虐行為です」

ミャンマー軍の爆撃で、家族が住む実家を破壊されたミャンマー人の青年はそう話す。

ミャンマーはまもなく、軍事クーデターから1年を迎える。

東京に住むリアンジェウさん(26)は、母国に平和と民主主義が戻る日を切に願う。

リアンさんは、ホテルマンを目指して都内の専門学校に通う学生だ。

ミャンマー西部にあるチン州の州都ハッカの出身で、来日して3年半になる。

両親と弟が住むハッカの実家が軍の攻撃を受けたのは、昨年の9月のことだった。

ちょうど夕飯の時間帯、前触れもなく軍の爆撃機がリアンさんの実家を襲った。

台所に火の手があがり、リアンさんの父親は急いで家族を連れて逃げた。

「家族は政治的な活動もしていないし、なぜ空爆されたのかはわかりません。国軍は教会や学校など大きな建物を狙って爆弾を落としているようです」

「他の少数民族の街では、街全体がなくなるほど、1週間空爆が続いたところもあります」

「いつまた空爆されるか」募る不安

「いつまた空爆されるかと心配」。リアンさんは遠く離れた家族を思い、不安な表情を浮かべる。

家族は命からがら逃げたものの、家は全焼。両親と弟は親族を頼って避難生活を送っており、母国にはリアンさんが帰れる家はない。

「お金持ちではない親が教員として長年働き、弟の学費もあったのに、少しずつ貯めたお金で建てた家です。本当に悲しい」

無差別に空爆など市民への攻撃を続ける国軍には、怒りがこみ上げる。

「普通の人間には、こんなことはできない。ひどすぎます」

軍の少数民族への攻撃は長年続いてきたが、クーデター後に激化。多くの犠牲者や避難民を生んでいる。

軍部に抵抗する民主派「国民統一政府(NUG)」は自衛のための「国民防衛隊(PDF)」を組織しており、地方を中心に軍との戦闘が発生している。

リアンさんによれば、少数民族が多く住む地方では、若い男性らが軍から「PDFか」などと言いがかりをつけて連行。殺されることもあるという。

「まだ14歳の弟も連れていかれてしまうのではないか」と心配している。

「家族には会いたいけど…」

リアンさんの兄は、韓国で働きながらミャンマーの家族に仕送りをしている。

リアンさんはホテルマンになるという夢を追って来日。日本語学校を卒業し、専門学校への進学を果たした。

昨年2月1日のクーデターの日は、突然のことに驚いたが「短期間で終わるだろう」と心配していなかったという。

しかし、アウンサンスーチー氏は1年が経とうとする今も拘束され続けたままで、人々は軍政下で怯えながら生きる。

リアンさんの故郷のような空爆が各地で続き、死者や避難民が増えるばかりだ。

「日本でできることを」と、リアンさんは東京で街頭募金や軍政に反対するデモ活動などに参加している。

来日してから3年半、一度も帰国はできておらず、家族にも会っていない。

帰国すれば身の危険もある。現在の軍政が続く限り、母国に帰ることもままならないという。

「家族には会いたいけど、空爆された家や町の景色は見たくない」

3月に専門学校を卒業したら、ミャンマーには帰らず、日本での就職を目指すつもりだ。

「ミャンマーが平和になる日まで」

チン族出身のリアンさんは、「チン族である」というアイデンティティーに強い思いを抱く。

日本には現在、約300人ほどのチン族の人々が暮らしているという。

リアンさんは勉強やバイトの合間を縫って、関東に住むチン族の若者とサッカーをしたり、ミャンマーのための街頭募金に立ったりしている。

次に家族に会える日はいつになるか、見通しは立たない。

病気を経験した両親も、長引く避難生活と混乱の中、必要な治療を受けられずにいる。

不安は絶えない。それでもリアンさんは、しっかりとした口調で語る。

「ミャンマーが平和になる日まで。あきらめません。日本でできることをがんばり続けたい」