作家・早乙女勝元さんが死去。空襲の経験通し伝えた、戦争と平和

    東京大空襲を12歳で経験し、作家として戦争と平和について伝え続けた早乙女勝元さんが死去しました。生前、取材に対し、戦争体験を伝える課題について語っていました。

    東京大空襲を12歳の時に生き延びた体験を元に、戦争と平和について伝え続けた作家・早乙女勝元さんが5月10日、死去した。

    共同通信などが報じた。90歳だった。

    東京都出身。1945年3月10日未明、当時の向島区寺島町(現・墨田区)で東京大空襲におそわれた。

    10万人が犠牲になった空襲を生き延びた早乙女さんは、「知っているなら伝えよう。知らないなら学ぼう」と呼びかけ、昭和、平成、令和の三つの時代で、戦争の記憶を語り、本や絵本を通して平和について伝えてきた。

    『東京大空襲』『戦争を語り継ぐー女たちの証言』『平和に生きるー私の原点・東京大空襲』などの著書を上梓。

    1970年に「東京空襲を記録する会」をつくり、『東京大空襲・戦災誌』が菊池寛賞を受賞した。

    2002年に設立された東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂)では、17年間にわたり初代館長を務めた。

    東京大空襲・戦災資料センターでは、3月の東京大空襲の日や8月の終戦記念日などに合わせ、自身が体験した東京大空襲についても語っていた。

    センターでは、2019年の終戦記念日にも小・中学生らを対象に、早乙女さんなど東京大空襲経験者が戦時中の経験を語るイベントを開いた。

    この時、BuzzFeed Newsの取材に「戦争の体験者もどんどんとこの世を去って行き、将来的には体験者もいなくなる。どう語り継ぎ、この大きな山をどう乗り越えるのかが課題です」と話していた。

    終戦記念日のイベントでは、子どもたちに対し、こう語った。

    「終戦を迎えた8月15日の夜、初めて電球に覆いをつけずに過ごすことができた。その時、平和って明るいんだ。眩しいんだ、と思ったんですね。今夜から防空壕に入る心配もなく、朝を迎えることができるんだと思うと、体中が震えるほど感動しました」

    「学校では、戦争に勝つか一億玉砕だと教えられていたから、負けても生き残れるということを初めて知った。それは私にとって衝撃でした」

    「なぜ大人たちはあの戦争に反対できなかったのだろうか。そのことに関心を持ち、本を読んだり学びました。眩しいと思った平和をどのようにして語り継げるか。平和に向かって役に立つ人間になりたいと思いました」

    早乙女さんが館長を務めた東京大空襲・戦災資料センターでは、東京大空襲についての資料、当時の写真、当時使われていた日用品などが展示されている。

    同センターは2015年、早乙女さんが東京大空襲や自身の経験について説明する動画を企画・製作。

    その中で早乙女さんは、センターの存在意義についてこう語っている。

    「東京大空襲を伝える、学ぶ、知る場所というのは、東京で一箇所しかない」

    「もしも資料がなかったら、きっと大空襲もなかったことにされる。単なる戦争だけの継承ではない。人間として生きる基本的なものの形ではないか。ごく当たり前な日常が、毎日毎日、保障されることが平和」

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    東京大空襲・戦災資料センターによる、早乙女さんが東京大空襲やセンターについて語る動画