「国民の敵、習近平は辞めろ!」「独裁反対!」東京でも中国人の若者が抗議。公然と中国大使館に向けて声を上げた理由とは

    中国各地で今、「ゼロコロナ」政策に抗議の声があがっています。新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きた火災では、ロックダウンにより住民が逃げ遅れた可能性が浮上。東京の中国大使館付近では、日本に住む中国人の若者たちが抗議しました。

    新疆ウイグル自治区ウルムチ市で11月24日に起きた火災をきっかけに、中国各地で共産党や習近平国家主席を批判する動きが広がっている。

    習政権が「ゼロコロナ」政策でロックダウンを続けることで、住民が逃げ遅れた可能性が浮上しているからだ。

    東京でも11月28日夜、中国人の若者ら30人以上が、駐日中国大使館近くに集まり、ウルムチでの犠牲者を追悼し、政権を公然と批判する声を上げた。

    「習近平は辞めろ」「独裁反対」の声。白い紙でも抗議も

    「共産党、反対!習近平、反対!独裁反対!ロックダウンをやめろ!」

    東京都港区の中国大使館付近。中国人の若者らが中国語で叫んだ。

    手にしていたのは、ウルムチ市での火災の犠牲者に手向ける花束と、抗議のプラカードだ。

    参加者らが掲げた紙には手書きで「上海の人々を解放せよ」「国民の敵!習近平は辞めろ」と書かれていた。

    上海では今年4月から、2ヶ月以上にわたりロックダウンが行われていた。

    ゼロコロナ政策では、感染者数が増えるたびに、数ヶ月単位のロックダウンが急に実施されたり、毎日のPCRテストが義務付けられたりという状況が続いている。

    若者たちは声を揃えて、「習近平は辞めろ!」「ロックダウンを終わらせろ!NO PCRテスト!」と叫んだ。

    この日の集まりはもともと、ウルムチでの火災の犠牲者を悼む「追悼集会」だったが、若者らは、母国での厳しいゼロコロナ政策や、習政権への不満を、東京の夜空で爆発させた。

    中国各地で起こっている抗議では、言論統制の中、摘発の対象となることを避けるために、多くの人が「白い紙」を掲げて抵抗の意を表している。

    東京でも、多くの若者が白い紙を掲げて抗議をした。

    集会に集まったのは、日本で勉強したり、働いたりしている、20代を中心とする若者たちだ。

    「私は怖くない。恐れず抗議する。習近平は独裁を終わらせろ」

    主宰の男性は、犠牲者への花を片手に持ち、こう叫んだ。

    「今、上海、南京、武漢など中国各地の路上で人々は声を上げ始めている。中国にいる私の友人たちも抗議の声をあげている」

    「ニューヨークなど海外の各地にも抗議は広がっている。そして今日、私たちは東京でも声をあげる」

    「人は私に、声を上げるのは怖くないかと聞く。しかし、私は怖くない。恐れず抗議する。習近平は独裁を終わらせろ」

    火災で爆発した人々の怒り。「絶対に許せない」

    中国ではこのところ、各地で政府に対する抗議の声が上がっている。

    一つのきっかけは、ウルムチで11月24日に起きた火災とみられる。この火災では、ロックダウンが原因で、住民が逃げ遅れたり、消防による救助に遅れが出たことが懸念されている。

    中国最大の都市・上海では中心部の「ウルムチ中路」で、市民らが抗議の声を上げた。

    中国は国際的には異例の厳しい「ゼロコロナ」政策を維持している。

    2ヶ月にわたってロックダウンされていた上海では、買い物すら行くことができずに住民が食料不足に陥るなどの惨状が相次いだ。

    そのような状況に、ウルムチでの火事追悼をきっかけに、人々が抗議で怒りを爆発させているのだ。

    このほか、江南省では米アップルのサプライヤーとしてiPhoneを製造している台湾・鴻海精密工業の工場で、厳しい行動制限などに対する労働者による激しい抗議活動も起きた。

    中国各地でのこうした抗議活動が、日本で暮らす中国人の間にも広がったかたちだ。

    東京の抗議を主宰した男性は、ウルムチ市の火災についてBuzzFeedの取材に「(犠牲者の逃げ遅れは)ロックダウンの影響があったと思います。とても残念です」と語った。

    また、ロックダウンなどの厳しいゼロコロナ政策については、こう話した。

    「厳しいゼロコロナ政策は、コロナ対策のためではなく、社会をコントロールするため、そして習近平の独裁のためにやっていることです」

    「中国政府は社会をコントロールするためにロックダウンをしました。そのために、犠牲者が出た。それは絶対に許せないことです。とても残念だと思います」

    東京では、今回の大使館付近での抗議の前日、新宿駅でも約100人の中国人が集まり、追悼と抗議を行っていた。