ある日突然「がん」を告知された子どもたちは、何に苦しみ、どんな夢を見るのか

    「“テストやだぁー!”って言いたい」と彼女は言った。

    15歳の女子高生Mさんを取り囲む報道陣。彼女はニコニコしながら、丁寧に受け答えをしていた。その瞬間までは。

    「自分の病気がわかったとき、どう思いましたか?」——こんな質問に、Mさんは、ハキハキと「初発(しょはつ)のときは……」と説明を始めた。

    「再発」と対になる、がんの最初の発生を意味する「初発」。筆者はMさんの話を聞きながら「“初発”なんて、難しい言葉を知っているんだな」と、のん気なことを考えていた。

    そんなことは当たり前だ。ここは国立成育医療研究センター、日本で最大規模の小児医療などの専門病院で、Mさんは白血病の治療中だ。病気が発覚したとき、彼女は13歳だった。それ以来、彼女はこの病気とずっと付き合っているのだから。

    「当時、私は白血病という病気を知らなかったんです。だから、先生(医師)に“あなたは白血病です”と言われても、“そうなんだ”くらいにしか感じませんでした」

    Mさんは中学時代、陸上部だったという。走るのが大好きで、長距離の選手になった。ある時から、タイムがどんどん落ちてきた。その年の夏合宿では、練習前のウォーミングアップでゆっくり走ることすら難しくなった。

    「でも、それまで病気なんてしたことがなかったから、お母さんも“カゼでしょ”と言っていて。そうしたら、急にすごい熱が出て……。それからは、ずっと入院です(苦笑)」

    淡々と説明するMさん。急に、声を詰まらせた。

    「先生に病気の説明を聞いたら。聞いたら……」みるみる顔色が変わり、目が潤む。「薬の副作用で、髪が抜けたり、顔が膨らんだりするって言われて。自分の見た目が変わってしまうのが、すごくショックで」

    嗚咽混じりに伝えられる、がんと共に生きる少女の言葉。インタビューをしていた病室に、重い空気が広がる。堰を切ったように、Mさん自身の言葉が流れ出て、止まらない。

    筆者にできることは、椅子に座る小柄な彼女と目線を合わせるために、じっと床にしゃがみこむことだけだった。

    「中3のときに再発がわかって。1年間あんなにつらい思いをして治療したのに、またショックで。その日は病院でお母さんとずっと電話して」

    「友だちにもまた会えなくなっちゃう。そう伝えたら、みんな励ましてくれて、うれしいんだけど、どうせ励まそうとしているんだろうなって、そんな嫌なことを思ってしまって」

    再発後、Mさんは骨髄移植を受けた。同院の小児がんセンター 移植・細胞治療科医長の加藤元博医師によれば、再発時に一段強い治療として、あるいは、手強いことが予想される小児がんには最初から、彼女のように骨髄移植が行われるそうだ。

    Mさんが少し落ち着くのを待って、筆者は「元気になったら、何がしたいですか?」と質問した。そうすると、彼女は無邪気に笑って、「いっぱいしたいことがある」と言った。

    「“テストやだぁー!”って言いたい。リュックを背負って、電車に乗って、通学したい。普通の女子高生になりたい」

    そんな彼女の夢は「看護師さん」だという。「私たちには、気づいてほしいけど、言えないことがたくさんある。そういうことに気づける看護師さんになりたい」(Mさん)

    同院小児がんセンター長の松本公一医師によれば、今はすべての小児がんの平均値としては、約70〜80%の患者が治癒する時代だ。

    小児がんと聞くと「不治の病」というイメージがある人もいるかもしれない。しかし、医学の進歩により、治癒する患者は全体の70〜80%にまで上るようになった。

    一方で、松本医師は「それでもまだ患者全体の20〜30%が亡くなってしまう」「毎年2000〜2500人の子どもたちが小児がんと診断される」現状があり、それが世間にあまり知られていないことを指摘する。

    「小児がんは5歳以上の子どもの病死原因の第1位であり、依然として子どもの生命を脅かす最大の病気です。治療のためには習熟した専門医による治療、そしてそのための設備が必要不可欠になります」

    しかし、この「設備」が、近年、同センターにとって問題になりつつあるという。

    同センターでは、骨髄移植などの際に感染を防ぐため、特殊なフィルターを使って綺麗な空気の中で過ごせる「無菌室」を設置している。これが必要な子どもの数が、この数年で2倍以上の増加率となった。

    現在2室ある無菌室は常に使用されている状態。ユニットルーム(設備一体型)になっているため、シャワーが壊れ、空調の温度管理も患者から訴えが多いが、修理などの対応ができていないのだという。必要なときには簡易無菌室も併用して、なんとか運用している。

    2013年に小児がん拠点病院に選定され、拠点化を進める同センターでは、入院患者数は今後も増加し続けることが予想されている。このままでは将来の無菌室の需要に応えられない可能性もある。

    そこで同院では7月6日、記者会見を行い、クラウドファンディング(CF)(*)による寄付の募集を開始した

    *インターネットを通じて不特定多数から資金を集める仕組み。

    ネット上に今回のCFの場を提供するREADYFOR株式会社共同代表の樋浦直樹さんによれば「国立の医療機関としては初の試み」だ。しかし、CFのルール上、目標とする金額に届かない場合は不成立となり、寄付は実行されない。

    「小児がん医療の予算はもともと少なく、さらに用途の制限もある。特に設備については予算確保が難しく、当院では成人のがんの設備を転用することもできない分、整備が苦しい事情がある」と松本医師は明かす。

    1つの無菌室を作るには2500万〜5000万円程度の費用がかかるが、今回はその一部となる1500万円を目標金額に設定。不足分は引き続き、企業などに寄付を呼びかけていくという。

    骨髄移植、無菌室での治療を経て、社会復帰を果たす小児がん患者もいる。村上渉(むらかみ しょう)さん(24歳)もその一人だ。

    今回のCFを通じて、小児がんを患う子どもたちの現状を知ってもらうために、村上さんは記者会見に参加した。

    村上さんは14歳のときに、白血病であることがわかった。骨髄移植などの治療を受け、現在は病気も落ち着いているという。BuzzFeed Newsの取材に、村上さんは当時を振り返り、「やっぱり、しんどかったですね」と言う。

    本人の言葉を借りれば、闘病中は「普通なら出るかどうか微妙なラインの副作用のオンパレード」だった。当時、別の病院で村上さんの主治医を担当し、現在は同院の小児がんセンターに勤務する大隅朋生(おおすみ ともお)医師は、「なぜこんなにも前向きになれるのか、不思議なほどだった」と表現する。

    「彼に恨まれても仕方ないと思うくらい、つらい思いのデパートみたいな闘病生活だったと思います。それがこうやって、元気になって病気の話をしに来てくれる。これは、一番僕らにとって、うれしいことです」(大隅医師)

    なぜ、前向きでいられたのか。村上さんに直接、質問してみた。

    「それは、理由があって。(大隅)先生は覚えているかわからないですけど、がんを告知されたときに、はっきり言ってくれたんです。“この病気は治ります”って。それをずっと信じていました。だからです」

    村上さんのような小児がん経験者は、長期フォローアップとして、1年に1回ほどの頻度で、主治医と面談する機会があるそうだ。がんそのものや、成長過程で受けた薬物や放射線治療の影響が、時間の経過に伴って出る「晩期合併症」があるためだ。

    同センターが提供する「小児がん情報サービス」によれば、主な晩期合併症には、身長発育障害や無月経、不妊、肥満、やせ、糖尿病などの成長発達の異常、てんかんや学習障害などの中枢神経系の異常、その他の臓器の異常、続発腫瘍(二次がん)などがあるという。

    しかし、大隅医師は途中で村上さんが入院した病院を離れたため、今は医師 - 患者の関係ではなく、戦友のような感覚で交流を続けているそうだ。

    村上さんは大学院を卒業し、現在は臨床心理士の資格試験のために勉強を続けている。

    「闘病している頃から、人の心に興味があって。例えば、自分がつらいことを周りに話すと、なぜかみんな“ごめんね”って言うんです。でも、誰も悪くないはずじゃないですか。泣いてしまう人もいて。気持ちはありがたいのですが、そうすると患者としては余計話しにくくなってしまう。そこをサポートしたいんです」

    「夢は叶うと信じています。信じていますというか、叶えるためにはなりふり構っていられません」村上さんはそう言って、笑う。

    先述の記者会見に、小児がん経験者として参加した村上さんは、スピーチでこのように述べた。

    「子どもたちは骨髄移植や、その後の無菌室での生活など、大変な治療をして病気と戦っています。その治療が終わっても、晩期合併症という、別のベクトルの戦いもあります。このような戦いを知ってほしい。できれば、一緒に戦ってほしい。お願いします」

    国立成育医療研究センターによる無菌室新設のためのクラウドファンディングの詳細はこちら