【あの日から7年】津波で逝った妻と最後のキスは夢だった…被災者がみた夢の意味とは?

    被災者がみた夢を集めた書籍が出版された。彼らの語りはなにを意味するのか?気鋭の社会学者、ゼミ生が挑んだ。

    遺族がみたリアルな夢は何を意味するのか?

    2011年4月、東松島市のトマト農家、阿部聡さんは不思議な夢をみる。妻と3人の子供、母親……。大切な家族を3月11日の津波で亡くした。

    死のう、死のうと思っていた日に、妻の妙恵さんが一人で夢にでてきた。

    白い空間に立って、怒り、怒鳴っていた。何を言っているかはわからない。

    夢が途切れそうになったとき、妻は唇にキスをした。柔らかく、温かい生前に何度も体験した妻の唇の感触だった。

    別れのキス、としか考えられなかった。夢から目が覚めても感触が残っていた。涙がこぼれ、怒りもわいてきた。この日を境に、彼は怒りをぶつけるかのごとく、もういちど農業に取り組むことを決める。

    そして、阿部さんは農業法人「イグナルファーム」の経営に関わっていく……。

    東北学院大で、震災のフィールドワークに取り組む金菱清教授のゼミ生が取り組む「震災の記憶プロジェクト」が集めた被災者のみた夢の経験である。

    震災から7年を前に夢をテーマにした1冊の本が刊行された。『私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから』(朝日新聞出版) 

    なぜ夢なのか。金菱教授は語る

    《あの日、なんの前触れもなく多くの人が大切な人を失いました。遺族の経験を集めていると、多く人が夢に言及していることに気がつきました。

    普段、私たちは夢をみたとしても大体はすぐに忘れてしまいます。ところが突然の喪失を経験した遺族にとって、夢はとても大事な思い出として語られる。

    しかも、感触を伴っていたり、音とともにみたりと、とても具体的なんです。そして、夢をみたいと願ってもみられるものではない。感覚としては、受け身なんですよね。

    夢にでてきた、とか、夢をみさせられているという感覚になる。学生たちと一緒に夢を軸に体験を聞いてみようと集めてみたのです。》

    学生たちは過去の新聞記事、SNS、個人的なつながり—仙台市内の大学で、県内出身者が多い。当然、震災経験者も多くいる—から夢の経験を集めた。

    最初からうまくいったわけではないが、学生たちは粘り強く聞き取り調査を続けた。原動力になった、ある遺族の言葉が紹介されている。

    「夢の話は家族以外にはしないはず。取材だってよっぽど仲がいい記者じゃないと話さないはずだから、表にはでてこない。

    でも、夢の話は絶対に誰かのためになる。被災地で声を出せない人に届いたら、心の復興を助ける一つになる」

    夢は「あの日」を忘れようとする社会と真逆にある

    《自分はなんで生かされたのか、と考える遺族はとても多いんです。生き残ったことを責めてしまい、過去を苦悩し、未来を生きる力がなくなるんです。

    夢は亡き人との思い出、つまり死者と過ごした過去の記憶をたどりながら、現在に起きていることとして記憶される。

    死者との新しい交信をする時間なんですね。それは希望に転換されることがあるんです。夢が未来を生きる希望を与えているということです。

    これは「死者」を存在しない者として扱っている社会、死者や喪失を忘却しようとする社会とは逆の方向で働く力なんですね。

    過去は過去で終わるのではなく、過去との交信こそが未来であるとも言える。》

    学生が友人や年齢が近い遺族に聞いている体験談は他ではでてこないようものばかりだ。

    津波で弟が亡くなった男性は、震災前の何気ない日常の夢をみる。それはとても気持ちがいいものだという。

    弟が本当は亡くなっていることも夢のなかの男性は知っている。それでも、家族全員で一緒につかの間の時間を楽しむのである。

    彼は「頑張れ」と応援されているように感じている、と証言した。社会の忘却とは全く異なる「忘れられない」時間を生きている。

    《新聞やテレビで何度も取り上げられてきた体験談であっても、夢の話を聞いてみると、これまでと違って聞こえてくるのだと思いました。

    社会的には震災から7年が過ぎた「過去」でしょう。しかし、遺族にとっての時間軸は違う。夢の経験談を読むことで、それを感じてもらえると思います。》