文科省批判から政策推進へ 「ヤンキー先生」の教育観はここで変わった

    かつての文科省批判はどこに……

    「ヤンキー先生」としてテレビで有名になり、政界に出た自民党の義家弘介・文部科学相副大臣の発言が、以前と全く変わっている。かつては道徳教育や規律を重んじる指導を批判していたはずが、積極推進する立場に。ヤンキー先生は、いつ変わったのか。

    家庭を守って、日本を守る?

    文科省は3月31日、主権者教育の推進策を発表した。18歳選挙権に向けて、高校などで「国家・社会の形成者としての意識を醸成」するための教育方針だ。

    具体的な方策として「模擬選挙や模擬議会など現実の政治を素材とした実践的な教育活動を積極的に行うこと」や「総務省や選挙管理委員会と連携した普及啓発」などとともに、次のような文言が掲げられた。

    「子供達が構成員としてお手伝いなどの役割を担い家族の一員として主体的に家庭生活に参画する取組を進める」

    検討チームのトップ義家副大臣はこの項目の意図について、こう発言した。

    「家庭を守らずに地域を守れるか。地域を守れずに日本を守れるか。教育の第一義的責任は家庭にあり、応援していく」「国がこんなお手伝いをしなさいという話ではないが、学校が評価することは必要」(朝日新聞

    有権者として政治参加を高める施策のはずが、なぜか家庭でのお手伝い。しかも、それが国防につながると説く発言に「手伝いを持ち出すのは唐突」「なんで家庭の教育を学校が評価できると思うのかさっぱり意味がわからん」などと、疑問の声が相次いだ。

    過去には道徳教育を批判

    元々、義家氏はどういう人物か。『ヤンキー文化論序説』などで義家氏の発言を分析した、評論家の後藤和智さんはこう語る。

    「義家さんが社会的に注目されるようになったのは2002年ごろからです。当初は岩波書店のリベラル系雑誌『世界』の座談会にも出ていて、国旗・国歌の押しつけに反対していました」

    ドキュメンタリー番組が話題になり、「ヤンキー先生」として世間に知られていくようになる時期と重なる。

    2004年、義家氏は文科省の教育方針について、明確に異議を唱えていた。

    「私が学校という教育現場から問いたいのは、出口の見えない暗闇で子どもたちが悲痛な叫びをあげている現実の中で、教育現場に『日の丸・君が代』を持ち込めば、道徳教育を徹底すれば、日本人としての自覚や、国際協調の精神が培われると、文部科学省は本気で思っているのか、ということである」(岩波書店『世界』2004年4月号)

    その後、横浜市教委などを経て、2006年10月、第1次安倍政権で教育再生会議担当室長に就任。発言は変節していく。

    「過去の発言について、『教職員組合に言わされた』と主張を180度変えています。そのころから保守系の政治団体や政治家と接近し、根拠のない青少年の闇を語りはじめました。安倍政権の主張に歩調を合わせるように『道徳』を訴えるようになっていきました」

    「例えば、ゼロ・トレランス(寛容さのない生徒規律指導)に関する発言も、2006年8月には『それは教育じゃなくて、強制ですよね』と反対意見を表明しています。ところが、2007年には『アメリカでは90年代から暴力やいじめ、麻薬、アルコール、教師への反抗に対して、ルールを厳格に適用する厳罰主義を実施しています』と好意的に紹介する。続けて、体罰禁止の通達のため、こうした教育が日本ではできないと嘆くのです」

    義家氏は、2007年に第1次安倍政権の目玉候補として自民党から、参院選に出馬。当選を果たす。2012年には第2次安倍政権の文科政務官、2015年10月に、文科副大臣に就任する。一貫して、安倍政権の教育政策の核となるポジションについている。

    後藤さんはこう指摘する。

    「周囲の相手に合わせて、期待された役割を果たすのが義家さんの特徴といえます。過去の発言をどうして撤回するのか。説明が果たされているとは思えません」