なぜ純文学をヤフーに流すのか? 『新潮』編集長が語る文学、新たな挑戦

    老舗中の老舗『新潮』がスマホに流す新しい文学の形とはなにか?

    老舗文芸誌『新潮』が、「Yahoo! Japan」とタッグを組んで小説の同時掲載を始めた。新潮10月号で、連載が始まった上田岳弘さんの新作小説『キュー』を、ヤフーのスマホ版ブラウザで同時に配信する取り組みだ。

    「文芸誌」の枠を飛び越えてスマホへ。なぜ、新潮は同時掲載に踏み切ったのか?

    新しい時代がはじまる

    『新潮』編集長・矢野優さん(52歳)。純文学の世界で、その名前を知らない人はいない名物編集者である。

    2003年に30代半ば過ぎという異例の若さで、この老舗文芸誌の編集長に抜擢された。そこから作家たちの代表作をいくつも手がけ、次の文学を担う新しい才能の発掘もしてきた。

    その矢野さんをして「新しい時代がここから生まれるんじゃないかと思って、わくわくしている」と語らせたのが、ヤフーとの共同プロジェクトである。

    フィクションの大変化が迫っている?

    BuzzFeed Newsのインタビューに語った。

    《インターネットの登場によって、世界中で小説だけでなく、フィクションの大変化というものが間近にあるような気がしてならないんですよ。

    上田さんを追いかけて、このプロジェクトを進めていくことで、文学の未知の未来に近づく気がするんです。》

    上田さんは1979年生まれ。新潮新人賞でデビューし、2015年に三島由紀夫賞を受賞した気鋭の作家だ。

    連載がはじまった新作『キュー』は原稿用紙600枚前後の長編になる予定である。あらすじはこうだ。

    高校時代に出会った前世の記憶を持つ少女。彼女と同じ名の女性が目の前に現れた時から、平凡な心療内科医は、人類の進化を巡る闘争に巻き込まれた。長年寝たきりの祖父がその鍵を握るというのだが――。シンギュラリティへのカウントダウンが始まった人類のその先を予言する、想像力の冒険が始まる。(プレスリリースより)

    矢野さん自身の作品紹介も引用しておこう。

    「キュー」の主題は知的生命体の進歩。その誕生から最終地点までに18の段階があり、まず〈言語の発生〉により知性を手に入れた人類は、この百年間に〈世界大戦〉〈原子力の解放〉〈インターネットの発生〉を通過した。だが、それは進化の全段階のうちの半分に過ぎない――作品はそう語る(「編集長から」より)

    《上田さんが書こうとしているのは、人間の進化をめぐる物語です。とてつもない未来まで、想像力をつかって描こうとしています。》

    上田さんらしい壮大なスケールで話が展開されていく。作品は、新潮に連載するのと同時に、ヤフーのスマホ版にも掲載される。

    スマホ版は、縦書きなのは新潮版と同じ。しかし、紙では表現できない「動く挿絵」を取り入れ、分割して週2回の更新にするなど仕様は変更されている。

    紙離れを加速させるだけ?

    《これだけのスケールの大きい話を紙で出すだけでなく、日本中に偏在しているスマートフォンに向かって発信できるというのは、上田さんという作家の特性、作品ともぴったりです》

    インターネット配信は紙離れを進めるだけではないのか、という意見も当然あるだろう。

    《新しい作品が、新しい方法で、新しい読者に届いてほしいということにつきます。ヤフーさんは巨大な街のようなものです。

    そういう街に文学作品を放つことはこれまで一回もやったことがなかったし、何が起きるのかということにとても強い関心がありました。

    新潮だけの読者数よりただ多いんじゃない。ものすごく多いんです。量が質に転化する瞬間が間違いなくありますよ。》

    一見するとリスクがある、二見すると……

    9月7日にあった記者会見で、矢野さんはこう話していた。

    《一見すると(紙離れの)リスクがある。二見すると、リスクを乗り越えた可能性があると思っています。

    いま、雑誌の新潮に触れていない人の人口のほうが、(触れている人口の)だいたい1万倍、そんなスケールでいます。ヤフーさんに配信することで、ものすごい数の人に届きうる。》

    クリエイティブな誤配の可能性

    そこで何が起きるのか。

    《「創造的な誤配」が起こると思っています。つまり、文芸誌を読みたいという人ではなく、おもしろいことを体験をしたいと思う人たちにうっかり届くことで、何かが起きる可能性がある。》

    文芸誌を買う読者のような「強い文芸ファン」だけに届けるのではない。

    文芸誌なんて知らないけれど、面白いテキストを読みたいという層に「何かの間違いでうっかり届く—誤配!—」が起きることで、文学そのものの可能性が広がる。

    矢野さんはそこに賭けている。

    なにが文学の強さなのか?

    多くの読者に届ける、その先に何があるのか。インタビューで、文学の<強さ>をこう語っていた。

    《小説は長期戦ができるんです。大岡昇平さんの『野火』(1951年に発表。作者のフィリピンでの体験をもとにした戦争小説)が60年以上たってからも映画化されるわけですよね。

    それだけの時間を超えて、いまの時代に強いメッセージを放つわけです。文学にはそういう力があるんですよ。

    本が売れなくなっているのは事実です。

    しかし、だからといって作家の文学的想像力が衰えているわけではない。むしろ、いまの時代こそ文学的想像力に期待ができると思っています。》

    想像力の力は数字だけでは語れない

    時間を超えてもたらされる効果、想像力の力ーー。それは決して数字だけでは語れないものだ。

    スマホにたまたま流れてきたテキストを読んだことで、その人の心に決定的な影響を与える。それこそが文学の力だ。

    インタビューの最後に、矢野さんは編集者人生で印象に残っているシーンがあるという話をしてくれた。

    ある書店での出来事である。男女の若いカップルが会話を交わしている。一冊の本の前に2人が立つ。男性のほうが口を開く。

    「この本を読んだ友達が、アメリカ行ったまま帰ってこないんだよね」。

    タイトルは『町で一番の美女』。チャールズ・ブコウスキーが残した短編で、矢野さんが担当した本だった。

    男性の話を聞いて、矢野さんは心の中でガッツポーズをしたという。

    一冊の本が、人の心に影響をあたえていく。部数を伝えられるだけではわからなかった手応えを確かに感じた瞬間だったからだ。

    スマホの先には人間がいる

    スマホを経由して、どれだけ文学の力を人の心に届けることができるのか。本もスマホもその先にいるのは人間だ。

    数字だけに還元されない価値が文学にはある。

    なにかにつけ、数字や方法論ばかりが議論される、いまのインターネット業界にはない価値観そのものを創り出すことができるのか。

    上田さん、そして作品とともにーー『新潮』創刊113年目の新しい挑戦である。


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