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原発漫画「いちえふ」が描いた福島の現実 覆面漫画家に聞く

覆面漫画家が見てきたこと

「無人の警戒区域や津波跡の光景とあまりに対照的な東京の夜景を見るうち何故か俺の心にはやはり描くべきだという思いが湧き上がってきていた」(「いちえふ−福島第一原子力発電所労働記」3巻より)

2016年1月14日、私はBuzzFeed Newsの取材で福島第一原発構内に入った。免震重要棟の一室で、防護服に着替えた。綿の手袋の上に、ゴム手袋を重ねてガムテープをぐるっと巻いて目張り。さらに、ゴム手袋をはめる。同行した取材チームのメンバーからは、注意を促された。

「ICレコーダーの録音はじめたほういいですよ」

「もう、ここで?」

「ボタン押すだけの作業でも、きついです」

確かに、手の感覚が普段と違う。ノートに字を書くと、筆跡が揺れている。半面マスクで呼吸はきつい。集中力を保つのも一苦労だ。「そういえば、この着替えのことも『いちえふ』に細かく書いてあった」と思い返しながら、構内の取材に向かった。

取材後、以前から面識のあった竜田さんに一言だけのメールを送った。

「いちえふに描いてあったこと、本当でした」。

覆面漫画家「竜田一人」の登場はニュースだった。2013年10月、漫画雑誌「モーニング」に福島第一原発の現役作業員が描いた漫画が掲載された。新人賞受賞作だ。

それまで実態がほとんど知られていなかった原発作業員の姿を、圧倒的なリアルさで描いた。そのルポ漫画は反響を呼び、すぐさま連載が始まった。

「初回で描いたのは2012年夏の姿ですね。描いているときには、強く意識していませんでしたが、いま読み返すと、『報道されていることと、いちえふ作業員の間にあるギャップを埋める』という位置づけになっていると思います。私は見たことしか書けないので、見てきたことを漫画に落とし込んでいます」

「連載を続けている間に、実際の現場で起きていることがメディアを通して伝わるようになってきたと思います。『原発で、福島でとんでもないことが起きている』といった報道は減っていますし、あったとしても読者も決まってきていますよね」

「それに、現実はどんどん進んでいます。2〜3巻にかけて描いた2014年夏になると、廃炉作業が進展し、現場が急変する可能性も少なくってきました。雰囲気もだいぶ落ち着いてきましたね。作業員からすると、これはとても嬉しい。喜ぶべきことです」

竜田さんは新人賞受賞時、すでに40代後半だった。

都内の大学を卒業した竜田さんは、職を転々としながらコンビニ廉価本、アダルト漫画などで生計を立てていた。大きなヒット作には恵まれなかったが、売れないながらも漫画家としての活動は続けてきた。

転機は、3・11だ。

「好奇心と、被災地の役に立ちたいというほんの少しの義侠心」。どうせ行くなら、最も人手が必要な場所だろうと、福島第一原発に向かう。

そこで竜田さんが見たものは、世間の報道とは懸け離れた、作業員の日常だった。

「『フクシマの事故は収束していません!』ああその通りだよ。だから俺たちは今日もこうしてここにいる」(「いちえふ」1巻より)

原発の中で見てきたこと、メディアで報じられる「福島の真実」への違和感。漫画を描くために行ったわけではないが、現場で見たことを記録しようと思った。

「いちえふ」は2015年秋、3巻を出版し、「いったん」終わった。竜田さんが働いた2012年、2014年の経験を描き終えたためだ。売り上げは累計35万部に達した。

「いろんなメディアで何回も言っていますが、いちえふは福島の隠された真実を暴く漫画ではなく、私が作業現場、福島で観察したことを描いているだけです。上からは絶対に語らない。『下から目線』で固定しています。いまでも、自分は漫画家と作業員が半々という感覚です」。また原発で働きたい、という理由で顔出しはNGにしている。

目線の低さは一貫している。例えば、「いちえふ」1巻のタバコ部屋で、ギャンブルや下ネタで談笑する作業員の姿が描かれる。オジさん達が好きな話は、どこでもそう変わらない。作業員もまた人間。

地元出身の作業員は、事故を起こした東京電力に対し、怒りをあらわにしながらも作業に取り組む。それでも、どこかで息抜きの時間もある。

竜田さんが描きたかったのは、「いちえふ」の中の様子というより、人そのものだったのかもしれない。

「そこは『いちえふ』を通じて描いてきたポイントでもあります。作業員も普通の人です。みんながいろんな思いで廃炉作業に携わっています」

「被曝への不安が強い者の方が小さい問題まで真剣に考えて対策やアイデアを出してくれたりするものだ」(「いちえふ」3巻より)

「放射線の影響一つとっても、『かなり心配』という人から、『健康影響は放射線の線量次第』という立場まで。いろんな人がいます」

3巻に登場する「川治さん」は象徴的な登場人物だ。放射線を強く心配し、不安を口にする。それでも「いちえふ」で働いている。

「いちえふ」の中には一つの不文律があるという。それは放射線についての話題は、互いに深追いしないということだ。

「放射線についての話題は面倒なんです。他の人と下手に話をして、立場が違ったりするともめる原因になります。そこについては科学的知識の有無の問題ではなく、価値観の違いというほうがしっくりきます」

インターネット上でも激しい対立が起きている。お互いを非難しあうか、無視するかで終わらせることもできるが、「いちえふ」の現場では、一緒に作業しないといけない。

「現場では怖いと思う人、量次第と思う人のどちらにも役割があるといえるでしょうね。川治さんが無駄な被曝を避けるために出した小さなアイデアが現場で採用され、作業効率が上がったことがありました。高線量の場所では、不必要な被曝を避けることがポイントですので、川治さんのような人がいることが大事なのです」

大事なのは、ゴールを共有すること。現場には対立を乗り越えるヒントがある。

竜田さんは続ける。

大事なのは放射線に対する価値観が違おうが、現場で一緒にやったら仲間だということですよ。ちょっとした違いにこだわる必要はないし、放射線について個々の考え方が統一されていたらそっちのほうが怖い」

「川治さんがいざ何かあったときに『怖いから行きたくない』と言う人なら、現場でけんかしたと思いますよ。でも、彼だってトラブルが起きれば真っ先に駆けつける。そういう人は信頼できます」

「ツイッターとかウェブにだって、川治さんと同じような考えの人はいます。そこで、考え方が違うからという理由だけでぶつかっても仕方ないと思うのです。現場からすれば、被曝に対する考えの違いは些細なこと。価値観が違っていても、目指すのは『いちえふ』の廃炉を完全に終えること。そこが共有されていれば、価値観が違っていても一緒に働くことができます」

「皆が笑えるようになるにはまだ少し時間が必要なのかも知れないがこの道(国道6号線)はきっと未来へつながっている」(「いちえふ」2巻より)


世間では福島について、2つの感情ばかりが取り上げられがちだ。一つは「国、東電、原発を許せない」という怒り。もう一つは「福島は終わっている、もう住めない」という人たちに対する怒り。

しかし、福島の取材を続けていると、それらとは違う感情も存在していると気づく。

震災や原発事故が描かれている作品や記事をいまだに読めないという人は少なくない。あるいは、読んだときに消化できない複雑な思いに捉われるという人も。

不用意に傷つける言い方は避けないといけない。竜田さんも悩んだという。

「直接、震災の被害に遭われた被災者の方、原発事故で避難した方が読まれるということにはプレッシャーを感じました。無用に人の神経を逆なでしてもいけない。だからこそ、自分が見た以上のことを偉そうに描いてはいけないと心がけました。今は読めないという方にも、いつか『あのときはこうだったんだ』と伝わればいいと思っています」

間もなくやってくる、震災5年。

「福島以外では(関心の低下を)感じますが、よく首都圏で聞く『絶対に風化させてはいけない』という言い方にはどこか反発してしまう。実際に忘れたいという人もいるでしょうし、忘れたいなら忘れてもいいと思うのです。ずっと関心を持ち続けるのも不可能だろう、と」

「問題は情報が更新されないまま、関心が低下することだと思っています。現場に限らず、状況は変化しています」

「防護装備の変化だけでもどれだけ世間に伝わっているのだろうか」(「いちえふ」3巻より)

「いちえふ」の中では、福島県沿岸部を通る国道6号線、常磐線の運行状況など細かい情報がフォローされている。ちなみに、ペンネームの「竜田」、登場人物の「大野」「泉」。いずれも福島県沿岸部を通る常磐線の駅名から取っている。

「連載中は体験を描くだけで精一杯だったけど、更新された情報は入れるようには気を配りました。いちえふの中の描写だけでなく、今まで通れなかった6号線の規制が解除されて、誰でも通れるようになったとか、常磐線が竜田駅まで復旧したとか。地域の人は知っているけど、全国の人たちに知られていない情報についてなるべく更新するような描き方をしています」

なかには事故当時のまま情報が固定化してしまっている人も少なくないでしょうし、そういう方にも届けばいいなと思っています

福島に限らず、センセーショナルな情報は派手で、たとえ間違いであっても拡散しやすい。一方で、大事だけど地味な情報は埋もれがちだ。

「福島についていろんな情報が出回る中に、明らかな間違いが含まれるものはいまもあります。その都度、『それはデマだよ』と否定しておくのは大事だけど、デマを叩くことばかりになるのも生産的ではないと思います」

「許せないという気持ちもわかりますが、受け取るほうも、さすがに学んだ人も多くなってきた印象があります。間違った情報を流す人を0にすることはできないので、それ以上に、真っ当な情報が流れる仕組みをどう作るかのほうが大事ではないでしょうか」

CORRECTION

初出時、「被曝」と記すべきところを、「被爆」と記述している箇所がありました。訂正いたします。

バズフィード・ジャパン ニュース記者

Satoru Ishidoに連絡する メールアドレス:Satoru.Ishido@buzzfeed.com.

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