「自由」を強調することは問題?京大総長の式辞に産経が「多すぎる」

    「学問の自由とは何か。それは、考える自由、語る自由、表現する自由です」

    京大総長、式辞で「学問の自由」を問う

    大学入学式の式辞が話題になる季節。今年は、ちょっと変わった問題が起きている。

    発端になったのは、京都大学の山極寿一総長が、入学式で述べた式辞だ。式辞は、京大における「自由な学風」とは何かを問いかけることから始まる。

    ゴリラ研究の第一人者である山極さんは、これまでの霊長類学から「自由は勝ち取るものではなく、他者との共存を希求するなかで、相互の了解によって作られるもの」という発想が読み取れると指摘。そこから「学問の自由」について、考察を深める。

    日本国憲法のなかに、自由という言葉は11回登場します。前文には、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べ、第14条では、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記しています。学問については、第23条で「学問の自由は、これを保障する」と謳っています。では、「学問の自由」とは何でしょうか。それは、「考える自由、語る自由、表現する自由」だと私は思います。

    18歳選挙権にも言及

    さらに、18歳選挙権にも言及する。引き合いに出すのは、多くの学生が動員された戦前の「学徒出陣」だ。京大から4500人の学生が入隊し、戦死者は246人に上った。

    当時、選挙権は25歳以上の男子と定められており、多くの大学生には政治に参加する資格が与えられていませんでした。20歳以上の男女に選挙権が与えられたのは戦後1946年であり、日本国憲法が公布されたのはその後のことです。学徒出陣に参加した学生たちは自分たちの意思ではなく、上の世代の決定によって戦争に駆り出されていたのです。このことはしっかりと心に留めておかねばなりません。

    こう述べた上で、山極さんは呼びかける。

    日本の政治の方向性について大きな責任も生じるということを忘れないでください。皆さんの意思によって、揺るぎなき未来を築くために確かな一票を投じてください。

    専門の霊長類研究の成果を通じて、学問における自由とは何かを問い、18歳選挙権まで網羅した式辞はインターネットで公開されると同時に、反響を呼んだ。

    「自由、多すぎませんか?」

    この式辞を揶揄したのが、産経新聞だ。ウェブ版の見出しは「自由、多すぎませんか? 京大総長、入学式の式辞で『自由』をなんと34回も」。約20分の挨拶で、「自由」という言葉が何回使われたかを数えている。

    本文中に「多すぎる」という言葉はないが、ウェブ版の見出しはなぜか「自由」が多いことを疑問視する内容になっている。

    ネット上には「見出しと本文があっていない」「(自由は)多い、少ないじゃないし、総長は自由の大切さを問うたのでしょ」という指摘も上がっている。

    本質的に大事なことは……

    大事なことは学問の自由がなぜ、大切なのかという点にある。山極さんはこう述べる。

    京都大学は、「多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」ことを伝統としています。自学自習とは、ただ講義を聞くだけでなく、自分で考えるだけでなく、多くの人々と対話をするなかで自分の考え方を磨くことを意味し、その上で創造性に満ちた新しい発想を世に出すことが求められているのです。まさにこれは、「思考力、判断力、表現力」を自由の名のもとに鍛える学びの場であるということなのです。