糸井重里さんが語る福島のこと 「人の行き来が最大のプレゼントなんです」

    震災6年半をまえに福島のこと。まだまだ<プレゼント>が足りない。

    福島に必要なのは人の行き来

    「いまの福島に必要なのは、支援じゃないんです。最大のプレゼントは人の行き来なんです」

    ほぼ日社長として事業を通じて東北、そして福島に関わってきた糸井重里さんはそっと語った。いま、福島とどう向き合えばいいのか。

    2011年3月11日からのことが、なんとなく気にはなっているけれど、どう関わっていいかわからない。

    福島について、なにか調べようにも「もう福島には住めない」「危ない土地だ」という論が目立って、なんとなく関わりを避けてしまう。

    震災、原発事故からまもなく6年半ーー。

    少なくない人にとって、福島はそんな土地になってしまっている。

    それをどう考えたらいいのか。話は広島のことからはじまった。


    《ネガティブな感情を刺激する言葉は薄く広く、人々の意識のなかに残っていく》

    ——僕は終戦直後(1948年)の群馬の生まれですが、子供のころ、近所の人たちのひそひそ声はふつうに聞こえてきましたよ。

    「広島から嫁をもらっても子供を残せない」。そんなことが当たり前のように言われていたんですよ。

    明確に差別しようと思っているわけではない。でも、特段の根拠もなくそんなことを言ってしまう。

    あの頃は、広島はペンペン草も生えないっていうのがあたかも常識のように語られていて、広島の人に対して「もし、結婚して子供が産まれなかったら、もしなにかあったら…」という気持ちを持って、接している人がとても多かったと思うんですね。

    「もし、なにかあったらどうするんだ」という言葉はとても強くて、すべてを台無しにしてしまうんです。

    ネガティブな感情を刺激する言葉は薄く広く、人々の意識のなかに残っていく。

    僕が子供のころ、原爆でなにが起きたかは図書室の本を広げないとわからなかったんですよ。「ケロイド」って言葉は知っていても、それがやけどの跡だとも知らなかったんです。

    好奇心から広島や長崎の本を誰かが見つけて、開くんです。みんなで「こんなことがあったんだ」と見るじゃないですか。

    そしたら、その好奇心を先生に怒られるんですよ。それは先生にしてみれば当然の判断だったかもしれない。

    なんとなく、原爆のことは口に出してはいけない、このまま消えていくのを待とうという空気があったんでしょうね。

    誤った常識は不勉強の塊

    だから大人になってから、復興した広島に行くとペンペン草も生えない話とかまったく違うじゃないかと思うわけですよ。子供もいるし、生活している人の姿をみるわけです。

    誤った常識は不勉強の塊だなぁと思いました。

    いまでこそ、広島といえば普通の都市ですよね。それが普通になっていくまでに、どれだけのことがあったのか。僕はその時代も生きているからわかるんです。

    広島カープがあって、永ちゃん(矢沢永吉)がいて、吉田拓郎がいて、奥田民生、Perfumeがいて、カキやお好み焼きがあって、MAZDAの車もでてきて、原爆ドームを残そうとした人がいて、ついにオバマ大統領(当時)がやってくる……。

    時間をかけてネガティブな言葉の上に、ポジティブな言葉を乗せていくことで広島のイメージは変わりましたよね。


    糸井さんが、福島で原発事故が起きた後、思い起こしたのは幼少期の記憶だった。広島の人に向けられたひそひそ声、「薄い差別」が福島でも起きるのではないか、と。

    《ネガティブな言葉の上に、ポジティブな言葉を重ねる》


    ——福島で広島の二の舞を起こすのはさすがに何も学んでいないことになる、と思って僕は「ほんとうのこと」を見ていこうと思ったんですね。

    それで危ないなら、危ないっていえばいいし、怖いなら怖いといえばいいと思っていました。今まで、科学者や医師たちが「ほんとうのこと」を積み上げてくれました。

    福島の子供たちが子供を産めるかどうか、心配する必要は一切ないことも、流通している食べ物が危なくないことも、事実としてわかっています。

    そこで、広島のことを思うわけです。広島は時間をかけて復興のなかで、ポジティブな言葉を重ねていって、いまがあるわけでしょう。

    僕はこの先、未来のことを考えたとき、福島のことを「もうダメだ」という人についていけないと思いました。


    脅かす、怖がらせる……。人を「人」とみていない

    ネガティブな言葉のうえに、重ねるポジティブな言葉。それが生まれるために大事なのは人が喜ぶことをやることだ、と糸井さんは考えている。

    「今になっても福島の人を脅かしたり、怖がらせたりしている人はいます。僕は、彼らはそこで生活している人を『人』としてみていないと思うんです」

    「相手は人間なんだから、脅して、無理に従わせようとしても嫌になるだけですよ」

    いま福島に住む人たちに喜んでもらえることとは何か。全国からの「支援」なのだろうか。糸井さんの語りは続く。


    福島に必要なのは、人の行き来であり、モノが流通していくこと

    ——福島に必要なのは、人の行き来であり、モノが流通していくことです。

    ほぼ日では、震災直後から気仙沼を拠点に事業や活動を続けてきました。

    その一つに、全国から人がやってきたくなるような落語会をやろう(詳しい経緯はこちら)ということで、立川志の輔師匠や気仙沼の仲間と一緒にはじめた「気仙沼さんま寄席」というイベントがあります。

    今年はそれを福島県の相馬市で開くんです(9月17日開催する。詳細は「ほぼ日」)。

    場所を変える大きな理由は、気仙沼でさんま寄席を作りあげた仲間たちが、同じ東北の、それも沿岸部に位置する福島の人たちことを、気にかけていたからなんです。

    「気仙沼のさんま」は震災前から知名度も高くて、全国で知られた存在です。

    気仙沼は、もう僕たちの手伝いが大々的に必要なのではなく、自分たちで歩いていく。そんな時期になっていると思っていました。

    そこで、みんなに「今年のさんま寄席は福島の相馬でやれたらと思うんだ」と相談すると、「よくぞ言ってくれた。ほんとうは自分たちも福島のことが気になっていたんだ。相馬でやるなら手伝いたい」と言ってくれたんです。

    人間というのは、すごいものだと思いました。

    「被災者」呼ばれていた人たちが福島を手伝う

    いつまでも「被災者」と呼ばれていた自分たちが手伝える側に回る。彼らは福島も同じ東北、同じように被害にあったところだと思っている。

    原発事故で復興が遅れているというなら、先に歩けるようになった自分たちが、今度は手伝う番だと思って、その機会を待っていたと言うんです。

    あぁ震災から6年半がたつと、こういうことができるんだと思いました。

    僕がやりたいのは、東京や他の地方だけじゃなくて、東北からも、相馬や福島の他の地域に人が行って交流して、つながりができることなんです。

    都市だけではなく、「被災地」と呼ばれているところからも、人が行き来をつくりだす、お互いに手伝いあう。これが大事なんじゃないのって僕は思うんです。

    人が動けば、ネットワークができる

    ちょっとしたきっかけでいいんです。ふらっと立ち寄ってみる。そうやって人が動くことで、ネットワークが生まれるんです。

    うれしいのは人とモノの行き来です。

    人が行き来すると、現実がみえてきますよね。

    行ってみたら、福島にちゃんと暮らしがあるんだ、とか、いま住んでいる人たちは来てもらえることで喜ぶんだ、とか気づきがあるんです。

    うっすらと「福島は危ない《かも》しれない」と思っていた人も、行き来すれば納得すると思うんです。

    広島だって、カープの試合を観戦しにいったり、お好み焼き食べにいったり、平和記念資料館に行ったり……。人の行き来がポジティブな流れを作ったと思うんですよ。

    だから、僕は福島の桃や相馬の野馬追いに可能性を見出しています。

    桃は危ないの? 危なくないでしょ。美味しくないの? 美味しいでしょってコミュニケーションができるじゃないですか。

    桃が福島の名産として流通していくことで、新しい交流が生まれていくんです。

    「野馬追い」なんて、いまから始めようと思ってもできないことをずーっとやってきたんです。積み上げがあるんです。

    あのお祭りを全国から人がやってくるようなものにできないか。交流をもっと深めるようなものにできないか。

    僕はそういうところにアイディアを使いたいんですよね。


    5メートルの距離が意味すること

    福島との向き合い方を語っているとき、しばし、沈黙した糸井さんが突然、こんな話をはじめた。

    「アンリ・カルティエ=ブレッソンって、すごく面白んですよ」

    「『決定的瞬間』の?」と応じながら、私は稀代の名写真家が福島とどう結びつくのかと思った。

    「ブレッソンって撮影の距離はだいたい5メートルで、絞りもシャッタースピードもほとんど固定しながら、写真を撮っていたっていうんです。これ、おもしろいと思いません?」

    何がおもしろいのかわからず「?」が浮かんだ顔の私に、つまりね、と糸井さんは話を続ける。表情はぐっと真剣に。


    ——5メートルって人と人が他者同士なんだけど、声が届くし、お互いがよく見える範囲なんですよ。

    だから、友達になれる距離ということもできますよね。

    10メートルだとちょっとコミュニケーションが難しいじゃない。5メートルは人と人がつながれる距離なんですよ。

    人が行き来するってことは、福島に住む人と行った人が5メートルの距離まで近づくってことなんですよね。

    他者なんだけど、声が届きあう距離まで近づく。つまり、コミュニケーションが取れる距離まで近づくってことです。これって意外と大事なことだと思うんです。

    そうだ。5メートルといえば落語も高座からお客さんが一番近いところが5メートルくらいじゃないですか。


    5メートルの距離からみえてくること

    「あぁ……そうやって、つながるんですね」と伝えると、糸井さんは柔らかい表情に戻る。

    5メートルの距離——。これはとても示唆的だ。

    思えば、メディアやインターネットでは福島をめぐって「5メートル」以上の距離から、なにかにつけ党派に別れて「自分の意見」だけをぶつける人たちがいる。

    リアルな5メートルからは、とても言えないような言葉も多い。

    言葉をぶつけることから距離を置いて、人とモノが行き来しあうことで生まれるコミュニケーションを考えてみたらどうだろう。

    糸井さんの実践が示唆するのは、「福島で生活する」にコミュニケーションできる距離まで近づくことでしか広がらない可能性があるということだ。

    福島との向き合い方、というとなにか大げさになってしまうが、答えはとてもシンプルなものかもしれないと思った。

    なんでもいいから気構えずに行ってみること。

    それは、なんとなく2011年3月11日以降のことが気になっている人が、すぐに踏み出せる最初の一歩だ。その一歩のちょっと先、<5メートル>まで近づいたとき世界は広がっていく。