いつだって新しい デヴィッド・ボウイが遺した時代を超えるスタイル

    稀代のロックスター、デヴィッド・ボウイがこの世を去って1年。再び、話題になっている理由はどこにあるのか?

    デヴィッド・ボウイは終わらない

    新しいアルバム「★(ブラックスター)」を発表したわずか2日後、2016年1月10日、稀代のロックスター、デヴィッド・ボウイは逝った。一報はインターネットから広がり、新聞は書きたてた。

    あるときはドレスを身にまとい、あるときは性を超えた妖艶なキャラクターをつくりあげ、最後は近づきつつある自らの死と向き合うような作品を世になげかけた。

    没後1年。東京では回顧展「DAVID BOWIE is」が始まり、ベスト盤にインタビュー集の発売とちょっとしたブームが起きている。常に自分を変化させる勇気をもった、ボウイの魅力を探っていこう。

    We can be Heroes, for ever and ever @Helengreeen has created this beautiful animation referencing all 28 Bowie stud… https://t.co/D5c566Zkau

    「あくまで自分の芸術哲学に正直な表現者となるか?それとも大衆芸能のエンターテイナーとしてせいぜい大金を稼いでおくか?で、僕はためらいなく前者を選んだ」(ロッキング・オン2017年2月号より)

    1995年のインタビュー「デヴィッド・ボウイ、アートを語る」からの抜粋。そこで語っているように、メジャーかつメインストリームを歩くことより、常に新鮮で、刺激を与えてくれるものに惹かれるのがボウイの性だ。

    だから、前言撤回もしょっちゅうある。90年代には昔のヒット曲はやらないと宣言したのに、あっさりと撤回している。

    上の写真をみてほしい。ロックの歴史に残る大名盤「ジギー・スターダスト」を発表した後のライブだ。歌舞伎への関心を公言し、山本寛斎さんの衣装を身にまとう。

    異星からやってきたジギー。自身が造形したキャラクターが、実在しているかのような圧巻のパフォーマンス。奇抜な化粧と衣装で一世を風靡したのに、これもわずかな期間でやめた。

    「今になっても、自分がジギーを演じていたのか、ジギーが僕自身の個性を増幅したものだったのか、自分でもよくわからないんだ」(『デヴィッド・ボウイ インタヴューズ』収録「ステイション・トゥ・ステイション」より)

    本人は「今日的」であることへのこだわりはもっているようだが、言ってることもやっていることもころころ変わる。音楽雑誌「クロスビート」(2003年11月号)のインタビューから本人の言葉を引くと……。

    「僕はいつも何の拘りもなくそれ(※前言撤回)をやっちゃうんだ。時にはそれが正しい時もあれば間違った方向に向かってしまうこともあるけど、どうあれそれが僕っていう人間だからね」。まさに「Changes」。

    「自分がとてもありがちな方向に行っている気がして、そのこと自体に嫌気が差してきていた」(「デヴィッド・ボウイ インタヴューズ」より)

    2016年末に翻訳が刊行されたインタビュー集「デヴィッド・ボウイ インタヴューズ」。彼の名言もたくさん散りばめられている、貴重な記録だ。全部で32本の記事が、すべてノーカットで収録されている。できれば全編を読み通したい一冊。

    ボウイは「あなたはこういう人ですね」と決められることから、するすると逃げていくし、常に変化を保とうとしているのがわかる。相互に矛盾しているような、あいまいな言葉もある。

    収録「エリート主義者の告白」(メロディ・メイカー紙、1978年)よりいくつか言葉を拾う。「自分がとてもありがちな方向に行っている気がして、そのこと自体に嫌気が差してきていた」

    ありがちな方向にいくのを拒む。これもボウイらしい。曰く、穏健派の人気者扱いされることがどうにも我慢できなくなったとか。ありがちで、そこそこ成功したらいいのでは、という疑問に対して彼は明確にノーと言う。

    「僕が求め、必要としているのはアーティスティックな成功だっていうのにね。僕は数字を求める人間にはなりたくないし、そんな必要性も感じないし、そのために躍起になるのも御免だ。僕が追求したいのはクオリティであって、ロックン・ロールのキャリアじゃないんだよ」

    「この時」のボウイは、売れないことは不安ではないか?という素朴な疑問にはこう返している。

    「その時こそ、僕は滑稽なくらいカッコつけて言うだろうね、『いやあ、皆さんが僕のレコードを買うのを止めてくれて本当にありがたい。これで僕はここを去って、全然違うことをやれますよ』って」

    「シルエットや影が革命を見ている。もう天国の自由の階段はない」(アルバム「スケアリー・モンスターズ」より)

    ボウイは日本やアフリカに並々ならぬ関心を持っていた。日本への関心は歌舞伎にはじまり京都への興味など尽きぬものがあったようだ。

    山本寛斎さんだけでなく、スタイリストの高橋靖子さん、ボウイを代表する名盤「ヒーローズ」のジャケット撮影で知られるカメラマンの鋤田正義さん……。彼の周囲には、ボウイに魅了された日本人がいた。

    忘れてはいけないのが、大島渚監督「戦場のメリークリスマス」への出演だ。俳優としても活躍したボウイは存在感たっぷりの演技をみせる。

    ツアー来日時にはオフで歌舞伎を鑑賞する機会もあったとか。1980年には宝焼酎「純」のCM撮影のために来日している。

    この年、来日後に発表されたアルバム「スケアリー・モンスターズ」。最初の曲「It's No Game (Part1)」は、日本人女優、ミチ・ヒロタの声による日本語のナレーションで始まる。「シルエットや影が革命を見ている。もう天国の自由の階段はない」。やたら仰々しく力強い。

    来日といえば1973年、ジギー時代の来日記者会見も面白い。

    記者:あなたのような人を見て世も末だと嘆いている人もいますが……(場内は爆笑)

    「ああ!(笑)。もしかしたら本当に終わりかもしれません。そういう人が正しいのかもしれません」(「ミュージック・ライフ」73年5月号より)

    I can't give everything, I can't give everything Away

    ボウイが自らの死の直前にリリースした最後のフルアルバム「★」。ジャズミュージシャンを多く起用し、最後まで「新しい音楽」を追求した遺作になった。

    アルバム最後の曲「I can't give everything Away」。繰り返されるフレーズにどんな思いが込められたのか。

    「私はすべてを与えることはできない/手放すことはできない/明かすことはできない。『できない』という否定形ではあるが、それは常に悪いことを意味するとは限らない」(野中モモ「デヴィッド・ボウイ」)。

    45年前に異星からやってきて「君は一人じゃない」と叫んだスターが最後に地球に残したのは、ファンに解釈が委ねられた多面体のような言葉。それは、いかにもボウイらしい最後のメッセージだった。