地味、硬い、文字が多い−−。売れなさそうな新書が売れる
地味、硬い、文字が多い−−。この時代に「売れない」要素そろい踏みの、中公新書の売れ行きが絶好調である。『応仁の乱』の37万5000部(5月25日現在)は出版界最大の話題だ。編集長が語る新書というメディアのあり方とは。
編集長「中公は新書の極北」
「中公新書は数多くある新書のなかで”極北”だと思っています。昔ながらの新書ですね。つまり第一人者が、大きなテーマを、じっくり書く」
中公新書の白戸直人編集長はそう語る。
企画から完成、出版まで平均して2年から3年、長い人だと10年近くかかるときもあるという。
白戸さんは2011年から編集長を務める。
この間、増田寛也さん編『地方消滅』の約23万部、吉川洋さん『人口と日本経済』の約10万部など時代を切り取るようなヒット作がでた。
極めつけが呉座勇一さんの『応仁の乱』だ。
クオリティの高い原稿×メディア効果×話題の広告
幕末や戦国時代ならいざしらず、「売れない」が常識だった日本中世史で、あまりにも地味な応仁の乱を正面から描き、話題をさらった。
2016年10月に出版され、年末までに6万8000部に達した。売り上げがぐっと伸びたのは2017年に入ってからだ。
新聞書評、NHKニュースで取り上げられ、社会現象といっていい部数にまで膨らんだ。
「売れた理由ですか。うーん、それなりの手応えはありましたが、ここまで売れるとは思っていなかったので……。担当もうまく答えられないんですけどねぇ(笑)」
「まず何より第一人者、しかも1980年生まれという若い筆者にクオリティの高い原稿を書いていただいたこと。取り上げてもらったメディアの効果、新聞広告の影響も大きいですね」
「スター不在」「地味すぎる大乱」「知名度はバツグンなだけにかえって残念」。そんな文言を使った新聞広告もインターネット上で話題になった。
「売れない」要素こそ長所
もっとも、広告が良くても中身が伴わないと読者はついてこない。ヒットの背景にはもう一つ、共通する大きな理由がある。
ポイントは冒頭にあげた「売れない」要素はすべて、中公新書の長所になっていることだ。
- 地味なのは、昔ながらの伝統である深緑の表紙が印象的だから。
- 硬いのは、その道の第一人者に執筆を依頼するから。
- 文字が多いのは、大きなテーマをじっくり書いてもらっているから。
ちなみにここでいう第一人者とは、必ずしもベテランだけではない。新しい視点を持っている若手も含まれる。実力がある、と判断すれば20代であっても声をかける。
編集者は原稿を受け取り、「大学1年生が辞書なしで読めるレベル」の文章になっているかチェックを入れる。
やり取りには当然ながら、時間と手間暇がかかる。刊行予定が後ろにズレていくのも、やむなし。
『応仁の乱』ヒットの背景にあるのは、こうしたマジメな本作りという「基礎」だ。
今という時代に読まれて、かつ歴史に残る新書を
2000年代に入ってから、新書は一大ブームになった。
かつて御三家と呼ばれた岩波新書、中公新書、講談社現代新書以外の大手、中堅出版社が次々と新書レーベルを立ち上げ、話題の本が世に送り出された。
世に言う”新書バブル”である。
新書の幅は確実に広がり、より多様な著者がでてくるという良い面はあったが、バブルのあとに残ったのは、時流に乗ったテーマをまとめたような企画が乱発される新書市場だった。
そんな市場のなかで、中公新書は著者が時間をかけて書くという昔ながらのスタイルを守っていた。
一周回って”極北”の価値が見直されつつあるということか。
「新書は不思議なメディアで、今という時代に読まれないといけない。でも、すぐに古くなってしまうようなものではいけない。じっくりと考えるためのメディアだからです」
5万部に迫る水島治郎さん『ポピュリズムとは何か』はその言葉通りの新書である。
アメリカのトランプ大統領当選、イギリスのEU離脱などポピュリズムがかつてなく注目された2016年に出版され、注目を集めた一冊だ。
もとは2015年の出版を目指していたが、ポピュリズムという大きなテーマで、完成度の高い原稿を書いてもらうために刊行が遅れ、結果として「今という時代」に読まれる要素が高まった。
しかし、中身はただの時流解説ではない。一流の政治学者による最先端の理論が詰めこまれた、すぐには古びないものになっている。
企画会議の秘密
クオリティを保つために必要なことは何か。白戸さんは企画会議が特徴的なのだ、と教えてくれた。
企画会議を通すために、編集者はあらかじめ著者からまえがきと目次案をもらわないといけない。それを会議に回した上で、最終的に企画が通るか否かが決まる。
「私は『中央公論』や『婦人公論』という雑誌の編集が長かったので、はじめて新書編集部にきたとき、これにびっくりしました」
「雑誌の企画会議は、簡単なペーパーと口頭で説明すればいいので、なんて無駄なんだろうって思ったんです」
しかし、である。
「これが今となっては大事だと感じています。まえがきと目次を完成させるだけでも著者と何度もやり取りしないといけない。その過程で、こちらの希望などをしっかり伝えていき、どのレベルにあわせて書くかなどコンセンサスができてくる」
中公新書は今では特殊なのだ、と言う。既刊の売り上げがだいたい半分を占めている。
息の長いロングセラーで原資を稼ぎ、新しい著者、新しいテーマに投資するモデルともいえる。投資の中から、次のロングセラーが生まれていく。
ある他社の新書編集者は「いまの中公のやり方は理想的だ」と話していた。
この時代にあっても丁寧に新書が作れるのは、先達が作り上げたブランドであり、実直に書かれた著作の力であると白戸さんは考えている。
「ポスト真実」時代のマジメな新書
もちろん時間をかけて世に送り出しても、すべての本がロングセラーになること、ヒット作になることはありえない。
それでも一時のブームで終わらない、息長く読まれるものを生み出すためには、時間をかけて「しっかり書かれた」本を作るしか方法がないこともまた事実だ。
「フェイクニュースだとか、ポスト真実とか言われますけど、そんな時代だからこそ、第一人者が事実を書くことの価値は高まると思ってます」
お手軽に作り上げられる情報に対抗するのは、じっくり積み上げた思考——。地味ながらマジメな視座は、ますます重要になってくる。