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巨大災害のデマ・うわさ拡散 93年前の教訓に、今こそ学ぶ

「不安」「怒り」「善意」に踊ってしまう人たち

1度は「過去のもの」となった関東大震災

関東大震災の教訓は過去のものか。

「朝鮮人が井戸の水に毒を入れたらしい」——。出回ったうわさがもとになり、震災犠牲者の1〜数%とも言われる朝鮮人が民衆、軍や警察の手によって殺害された(中央防災会議)。

災害時に出回る根拠不確かなうわさ話の研究は進んだ。しかし、1980年代にもなると、関東大震災の事例は「現代では起きそうもない話だけど、歴史から学ぶことはある」といったトーンで語られるようになっていた。

しかし……。

「私は東日本大震災を経験してから、関東大震災の教訓は現代でこそ、重要だと考えるようになりました」

そう語るのは、東京大大学院で、災害研究を進めている関谷直也・特任准教授(社会心理学)だ。災害時に出回るうわさやデマについて、インターネットの特性も踏まえた研究に定評がある。

関谷さんは、東日本大震災と福島第一原発事故の以前と以後で、災害研究にとっての関東大震災の意味合いが、決定的に違ってきたとみる。

東日本大震災で流れた人種差別的なうわさ、その背景とは……?

「関東大震災の流言は、大正期に起きた特殊な事例だとする見解が、特に1980年代には強かった。災害とうわさーー私は、正しいか間違っているかわからないまま広がっていく話を『うわさ』と定義していますーーの研究で大事だったのはこういうことでした」

「うわさは人々の間に情報が不足し、不安になっているときほど広まる。だから、マスメディアが正しい情報を流すことが何より大事だ、と考えられたんですね。そうすれば不安は収まり、関東大震災のような事態は防げるだろうと。しかし、現実はどうでしょうか?」

東日本大震災を思い返せば……

東日本大震災を思い返してみよう。

「例えば石巻市では、中国人の窃盗団が略奪をしている、暴動が起きているという、うわさがかなり広がりました。実際には、そのような事例はありません。私が調べたところ、この背景にあったのは、石巻市にいた中国人の技能実習生の多さへの違和感なんですね」

「震災前から、彼らが街の中で働くようになっていった。街の中で、自分たちとは違う、異質な集団がいる……。そんな感情が震災前から住民にあったのではないか。それが、震災後という特殊な環境下のなかで、人種差別的な感情と結びつき、中国人窃盗団という話が信じられていく素地となった」

「自分自身は差別的な感情を持っていなかったとしても、周囲にそのような意識を持っている人がいるという事実は知っている。だから、積極的に否定しづらく、うわさが残存して、伝えられていくのです」

「外国人が多く住んでいる東京で、首都直下型地震が起きたとき、同じようなこと、それ以上のことが起きる可能性は十分にある」

「うわさが人種差別と結びつき、非常時に力を持っていくことは過去、繰り返されてきたことです。それが21世紀でも起こる。決して過去のことではないと思いました。災害時において、人種差別と結びついたうわさは、差別される側の人たちの命の問題になる。これを忘れてはいけない」

「そして、SNSを使う人も増え、うわさの広がるスピードも、範囲も格段に広がった。うわさが広がりやすい状況になったのは間違いないのです」

災害時、うわさをゼロにできるのか?

では、どうすればいいのだろうか。

そもそも、災害時に出回る「うわさ」をゼロにすることはできるのか。「不可能です」と関谷さんは断言する。

「うわさというのは、インフルエンザのようなもので、どこからともなく広がり、いつの間にか収束していくところに特徴があります。そして、災害後に出回るうわさは、すでにパターン化されています」

「例えば、先ほど事例にあげた窃盗団がでるといったもの、何月何日にまた地震がやってくるといったもの、マスメディアが報じていないけど物資が足りていない、有害物質を含んだ雨が降る……」

「うわさの特徴は否定できないことにある」

「パターン化できるのに、なぜ防げないのか。うわさの特徴は完全に否定できないことにあるからです。あやふやなものでも、もしかしたら……、万が一……、と思わせる」

「例えば、窃盗にしても、被災地でもゼロにはならない。平時にだって一定の頻度で発生するからです。問題は窃盗団なるものが本当にできて、本当に街中で活動しているのか、という点です。阪神・淡路大震災でも、東日本大震災でも、窃盗団が跋扈して、窃盗が増えたというデータはありません」

国や行政が正確な情報を流して否定すればいい?

「関東大震災でも、警察が社会統制のため、朝鮮人に関するうわさを消そうとして、ビラなどを巻きました。東日本大震災でも、法務省は2011年4月21日、福島県からの避難者がホテル宿泊を拒否されたといった『風評被害』に対するメッセージをだしました」

「ところが、こうしたメッセージは、うわさを沈静化させる方向には向かわず、むしろ沈静化させたい事例を実際に引き起こしてしまう効果を持つことがあります」

「東日本大震災のケースで考えてみましょう。法務省がメッセージを出した4月21日以前は、福島県から避難した宿泊者を公式・非公式に全国で広く受け入れはじめた時期にあたります」

「国や公的機関に正しい情報発信を期待して、うわさを収めてもらおうというのは間違った見方です」

「確かに受け入れを拒否したという事例はゼロではないでしょう。だけど、それは常識的に考えれば許されないし、報道でも目立って取り上げられてはいなかった。しかし、このメッセージを出してからというもの、かえって拒否された、いじめにあったという報道が目立つようになってしまいました」

「メッセージをだすことで、正しいかどうかもよく分からない言説が既成事実化された。さらに『国がわざわざ否定するのだから、かえっておかしいのではないか』『本当にそのようなことが起きているのではないか』と印象を持つ人もでてくる」

「否定の仕方も一歩間違えると、逆効果になります。国や公的機関に正しい情報発信を期待して、うわさを収めてもらおうというのは間違った見方です」

『うわさ』の裏側にある心理を学ぶ

メディアが打ち消していくのはどうか。

「何もやらないよりいい。基本はいたちごっこですが。繰り返し、情報を発信して潰していくしかない」

でも、と言葉を区切り、関谷さんは続ける。

「本当に有効なのは、過去の事例を分析して、『うわさ』の裏側にある人間の心理を学んでおくことです」

うわさを広げる「不安」「怒り」「善意」

うわさを広げてしまう人の心理。それを、関谷さんは3つの感情から読み解く。「不安」「怒り」「善意」だ。

うわさは「感情」の共有

「災害時のうわさは、不安が広がっているところに、情報が不足していると流れやすいとされてきました。しかし、情報不足ってマスコミが報道するとか、国が正確な情報を流せば解消するようなものではありません。その人にとって、欲しい情報があるかどうかが大事で、しかも、それが正確か不正確かは関係ないのです」

正確性よりも優先されてしまうものは、何なのか。

「うわさを広げる人は、そこに書かれた情報を信じてほしいというわけではなく、不安などの様々な感情を共有してほしいのです。さらに強く共有してほしいと思うようになるのが『怒り』です」

「怒り」の意味

「福島を調査中、『原発事故の影響で実は……』『東電と国は××という真実を隠している』という話を何度も聞かされました。およそありえそうもないので、本当に起きたのか、誰から聞いたのか。その度に、事実を確認すると、『××(例えば友人)が××(役所の人など)から聞いた。お前はこの話を信じないのか』と反問されることがありました」

「そこで思ったんです。この方は怒りを共有してほしいのではないか。原発事故という、とんでもないことが起きて、日常を失ったというやりきれない怒りを持っている。東電や国に対する怒りが、うわさの根底にあるんです」

関東大震災の「怒り」はどこに向かったのか?

関東大震災はどうだったか。

「井戸水の事例を見ていきましょう。震災直後、井戸水は濁って飲み水になりません。水道が普及しておらず、ペットボトルの水もない当時の人たちにとって、震災後に井戸水が濁るというのは、死活問題だったと思います」

「9月1日という、暑いさなかに飲み水のめどが立たない。家を失い、家族の安否も分からず、食料もなく、着るものもない。そんなときに水がない。なぜ、こんな目にあわないといけないのか、なぜ問題は解決しないのかという、怒りがあった」

「怒りの矛先は、人種差別的な感情とも結びつき、朝鮮人に向かい、彼らが井戸水に毒をいれたという『うわさ』になったのではないか。震災後に社会に蔓延するであろう、怒りという感情が何と結びつき、その矛先がどこに向かうのか。注意をはらう必要があります」

良かれと思ってやってしまう、「善意」の落とし穴

「怒り」と正反対にあるような、「善意」にも落とし穴がある。

「元々、インターネットというメディアの特徴として、善意と相性がいいということがあげられます。良かれと思って、シェアをする。人に伝えるということがやりやすいんですね」

「でも、本当にいいのか。東日本大震災でも、熊本の地震でも、『メディアは報じていない……』という枕詞をつけて、避難所に食料が行き届いていないという話が出回りましたよね。しかし、それを読んだ民間人が善意で駆けつけたところで、かえって混乱の原因になるというケースが続いています」

「事実かどうかわからない、結果的に間違っていても、万が一を考えて、ネットで出回った情報をシェアする。あまりにも多くの事例を見てきませんでしたか?災害時に浮き足立っていると、良かれと思って、シェアをしやすい、と自覚しておくこともまた大事だとおもうのです」

「不安」「怒り」「善意」はうわさの根底

もし、次の大災害で、怒りと人種差別が結びついたら……。

もし、人種差別が混ざったうわさが出回ったら。それを良かれと思って、インターネットで広めてしまったら……。

「不安」「怒り」「善意」……。私たちは感情に踊らされやすい。それは93年前の歴史からも、5年前の経験からも学べる教訓だ。