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ノーベル文学賞 ボブ・ディランが歌詞の世界に取り込んだ幻の名作 舞台は浅草、主役はヤクザ

それは、幻の名作「浅草博徒一代」が織りなす物語

幻の名作「浅草博徒一代」

ついにノーベル文学賞を受け取ると明言したボブ・ディラン。ロックだけでなく、文学史にまで一石を投じた彼が、その表現を自らの歌詞に取り込んだ作品が日本にある。かつて盗作騒動も巻き起こった、その作品の名は「浅草博徒一代」(新潮文庫)。

関東大震災、そして2度の戦争を生き抜いた、浅草のヤクザ・伊地知栄治の一代記である。日本ですら入手が難しい本のどこに、ディランは惹かれたのだろう。

「浅草博徒一代」を書いたのは、茨城県の医師、佐賀純一さんだ。いまなお、現役の医師にして、地域史をテーマにした作家としても知られる。ボブ・ディランと同じ1941年生まれだ。自身の患者だった伊地知から、亡くなる直前に聞いた話をもとにまとめあげた。

物語は、伊地知のこんな誘いから幕を開ける。

「先生は陽の当たるまっとうな世間を歩いてきたようですが、たまには変わった話を聞くのも面白いかもしれませんよ」。医師は、伊地知が住む家に足を運ぶ。雨の日に、男は待っていた。「あばら屋」でずっと。

みかんが積まれたこたつで向かい合い、やがて告白が始まる。

「そもそも、わたしが悪縁に染まったのは十五のときでした……」。声は低くしわがれ、重い。しかし、聞き取りやすかったという。

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診察を終え、伊地知の家に向かい、その肉声を録音した。あるときは関東大震災、あるときは彼が手を染めた殺人、あるときは賭場......、彼の話に耳を澄ます。

佐賀さんは話に引き込まれ、彼の家にいるのに、彼の後をついて「深川を歩いたり、鴬谷の賭場に座っていたりする」「静かな声がしんと静まった部屋に響き渡り、札束が畳に滑ると、壺の中のサイコロがからからと乾いた音をあげる」。そんな錯覚を覚える。

常に「我が道を行く」その姿は、さながら転がる石のよう。

医師としての日常とまったく異質な、しかし、どこか他人事とは思えない空気を共有していった。戦前から戦後の激動期をヤクザ、アウトローがどのように生きてきたのか。ひとりの男の人生に、濃密に時代が絡まっていく。

英訳版も出版されたが……

著作は1989年2月に出版。話題は海外にも飛び火し、英訳版ペーパーバック「Confessions of Yakuza」(あるヤクザの告白)も出た。

いまの評価としては時にあらわれる、優れた記録文学といったところだろう。日本文学を代表する名作と挙げる人はまずいないだろうし、なにより、絶版となり入手自体が難しくなってしまった。

この作品が、再び注目を集めたのはボブ・ディランが発表したアルバム「Love and Theft」(2001年)に、英訳版と酷似した表現があったからだ。アルバムタイトルを直訳すると「愛と盗み」。

ディランは、佐賀さんの著作から表現を盗んだのか。2003年、ウォールストリートジャーナルが疑惑を報じたことを皮切りに、海外メディアから取材が殺到した。

ディランの自伝を翻訳し、筋金入りのファンを自認する菅野ヘッケルさんは、文庫版のあとがきで検証結果をこうまとめている。

「人物設定や使っていることばもそっくりだ。明らかに、ディランは本書を読み、その一部を借用したのかもしれない」

菅野さんは、アルバムに収録された「Po’ Boy」を例に挙げる。ベスト盤にも収録されている2000年代のディランを代表する曲のひとつだ。

"My mother was a daughter of a wealthy farmer
My father was a traveling salesman, I never met him"(おれの母は裕福な農家の娘、父は旅するセールスマンだ。会ったことは一度もない)

この詩の表現、登場人物は若いときの伊地知が一時、行動をともにしていた健吉の境遇と重なっている。「浅草博徒一代」の中で、健吉は言う。

「おれのおっ母さんって人は、馬鹿な女だった。大百姓の家に生れながら、俺みてえな父無し子を生んで、俺が十一の時に死んじまった。(中略)お父つぁんという人は出入りの小間物問屋だという話だが、会ったことは一度もねえや」

英訳版はこうなる。該当部分を菅野さんの解説より引用しよう。

My Mother was a stupid woman. She was the daughter of a wealthy farmer, but she had an illegitimate kid—that was me—then went and died when I was eleven.

I heard that my father was a traveling salesman who called at the house regularly, but I never met him.

明らかに、ディランの詩と表現が同じであることがわかる。裕福な農家=大百姓であり、出入りの小間物問屋=旅するセールスマンであり、父に会ったことは一度もないというところも同じだ。

もっとも、ディランが詩の中で作り上げた世界と、伊地知が生きたヤクザの世界は違うのだが、当時の報道では、他にも何曲かで、同じようにそっくりな表現があるという指摘があった。これは盗用にあたるのか。論争が巻き起こった。

結論から言えば、ファンの間では盗用にはあたらないというところで決着がついている。

菅野さんいわく、ディランは既存の歌や作品からインスピレーションを受けて、新たな作品を生み出すことがある。佐賀さんの表現を使い、別の作品を生み出すということは、ある意味、ディランの創作活動の真骨頂ともいえるものだ。

そして、佐賀さんの言葉が論争に終止符を打った。

海外メディアから「なぜ訴訟をしないのか」と口々に問われた佐賀さんは、伊地知の話を「かぼちゃ」に例えて問い返す。

ここにかぼちゃがある。誰もが忘れてしまったかぼちゃだ。ある日、女神がやってきて、魔法の杖で触ったら、黄金の馬車になり、シンデレラを乗せて宮殿に急ぐ。果たして、かぼちゃは女神に「かぼちゃである僕を勝手に、魔法の杖で金の馬車に変えた。これは我慢ができない」と抗議をするだろうか?

当然ながら、しないだろう。

かつてディランの歌詞にも登場したことがある「シンデレラ」を例えに使い、佐賀さんの語りは続く。

「わたしにとってこのかぼちゃは特別なものだった。しかし日本ではすっかり忘れられて見向きもされなくなっていた。それがボブ・ディランの魔法の杖で変身して、みんながびっくりするような曲に生れ変わったら、それは奇跡」ではないか、と。

アウトローの悲しみを結節点に、伊地知の語りとディランの思想が出会ったとき、そこに新しい作品が生まれる。ディランが新しい命を吹き入れてくれたことを、佐賀さんは心から感謝している、と書いている。

佐賀さんはディランのノーベル文学賞をどう受け止めたのだろう。

まだ医師として地元で診療活動を続けている佐賀さんを取材しようと、病院に連絡をいれた。しばらくして、スタッフを通じて「先生は、この件については、お話することはないとのことです」と断りの連絡が入った。

さすがに諦めきれず、時間をおいてもう一度、電話をした。病院を手伝いにきているという女性が、電話口に出た。取次をお願いしたら「先生は、いま寝ています」と言う。

ディランのマネージャーが、連絡をとりたがったノーベル文学賞事務局に言い放った「本人は寝ている」と同じ言葉で断られてしまった。私は苦笑しながら、電話を切ることになった。

ちなみに後日、再度お願いしたところ、どうしても取材は受けたくない旨繰り返し、伝えられるだけだった。

月日は流れ、本は品切れ、絶版となり伊地知の話はまた人々の記憶から消えている。ノーベル文学賞受賞で、もう何度目か世界を驚かせたボブ・ディランが、また新しい命を吹き込むことはあるのだろうか。

完全に消し去ってしまうには、あまりにも惜しい歴史がそこに刻まれている。

バズフィード・ジャパン ニュース記者

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