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あの日逝った大切なペット、ひとへ「今どこにいますか?」 揺れる思いを綴る

東日本大震災の遺族が綴る、あまりにも繊細で優しい言葉。その思いの深さに触れ、思う。「被災者の声を聞いたつもりになっていた……」

「被災者の声を聞いたつもりになっていた」

東日本大震災から6年を迎えるのを前に、被災者が亡き人へ、ペットへの思いを綴った手紙がある。

東北学院大(仙台市)教授の金菱清さん=社会学=が集めたものだ。

読むなかで「被災者の声を『聞いたつもり』」になっていたことを痛感したという。そこには何が書かれていたのか?

あまりにも繊細な心の動き

金菱さんの専門は、当事者に聞き取りをするフィールドワークである。

震災以後、被災者が死者や喪失とどう向き合っているのか、を大きなテーマに研究活動を続けている。

時間の経過とともに、あの震災で失った大切なものについて語る被災者が少しずつ増えてきた。

そう感じた金菱さんは、インタビュー調査だけではわからない思いに触れようと、手紙を書いてもらうことを思いつく。

「ほとんどのインタビューでは、こちらは聞きたいことを聞く、相手は話したいことを話すというところで終わってしまう」

「それだけで、私たちは被災したひとの気持ちを知ったような気になっていないだろうか、と思ったんです」

これまでの調査で知り合った人、紹介してもらった人たちから31編を集め、『悲愛 あの日のあなたへ手紙をつづる』(新曜社)にまとめた。

ある人は亡くした夫に、ある人はまだ小学生だった娘(「あの日、津波で亡くなった娘へ 父が贈るあたたかく、少しふしぎな手紙」)に。

ある人は一緒に生活していたペットに、大切な思いを綴る。土地への思いを綴った人もいた。

喪失への思いは、人それぞれ違う。だからあえて「ひと」への手紙だけに限定しなかった。

「おはよう、パパ」が言えない。だから、朝がいちばんつらい時間

31編のなかで、金菱さんが大きな衝撃を受けた一節がある。

宮城県仙台市に住む、2歳年上の夫(当時50歳)を亡くした女性が綴ったものだ。

女性は、朝が一番つらい時間だ、と書き始める。

「おはよう、パパ」。声には出さずに天井を見る。朝、アラームが鳴る前に目をさますようになったのは、最愛の夫であるあなたを失ってから。

私は、一気に歳をとってしまったような気がするよ。ゆっくりスマホに手をのばしながらあなたを思うと、少しだけ、涙で目がうるむ。

目がさめて、となりにあなたがいない現実を思い知る、朝が一番つらい時間。

女性は「復興」への違和感も綴った。

「物は再生できるけど死んだ人間は帰ってこない。だから、そんなの要らない」

そんな気持ちがずっとあった。震災を乗りこえた人々の笑顔から目をそむけたくなる自分は、きっとまともじゃない、駄目な人間だと苦しむこともあった。

「長年当事者の聴き取りを中心にやってきましたが、どうやってインタビューしたらこんな言葉が聞けるんだろう、と考え込みました」

「些細な日常にほんとうにつらい瞬間がある。あまりに繊細で、第三者にはわからないだろう、と最初から語らずに蓋をしてしまうと思うんです」

津波で流された家、残されたネコへの思い

繊細な心のうごきは、ペットへの手紙にもあらわれている。

石巻市に住む女性は、ネコのルルらペットへの思いを綴った。要約する。


2011年3月11日、石巻市の高台に避難した女性は、ネコが留守番している自宅を見つめていた。

津波が押しよせる様子を目の当たりにしながら、せめて自宅までは届かないでほしい、と願った。

それは叶わなかった。

(津波で)家がゆっくりと傾いていくのがぼんやりと見えたけど、降りしきる雪と涙であとは何も……。ごめんね。助けに行けなかった。本当にごめんね。どんなに怖かったでしょうね……

その後、彼らを探しても見つからない。

避難先でふと夜空を見上げると、そこにはあまりに美しい満天の星空が広がり、しばし見とれた。ルルたちはあの星の仲間になったんだ、と思うことにした。

でも、引っ越した仙台の夜は明るくて、あの日と同じような星空を見ることができない。

また同じ星空をみることができたら、そのときこそ「サヨナラ」を言おうと思っている。


それぞれの喪失経験を「人」だから「ペット」だからとわけて、比較することはできない。

「ある被災者から教えてもらったんです。『災害とは、その人が生きてきた中で最大限の不幸を経験していること』だと」

「だから、ペットへの手紙も同じように入れました」

金菱さんは手紙を集める中で、とても興味深い言葉とであう。

「書いた本人ですら自分がこんなことを書くとは思っていなかったという話を聞きました。『自分がこんなことを思っていたのか』と書きながら、再発見しているんですね」

再発見をうれしそうに語る遺族もいたが、再発見したために筆が止まってしまった遺族もいた。

当時6歳の娘を亡くした母親は、ひらがなで書くか、漢字を交えるか、その時点で詰まった。

メディアにも多く登場し、外に向けて語ることに長けた人だった。

娘は6年が経過すれば、12歳になっているはずだ。

きっとこんな風に成長しているという娘の姿を思い浮かべることもできるし、周囲の同級生も成長している。

しかし、はっきりと記憶に残っているのは、6歳だった2011年当時の姿である。

あの日から止まった時間、そして流れる時間。

この母親は2つの時間を生きていて、年月の経過とともにギャップも感じていることに気づく。

例えば誕生日プレゼントはなにをあげたらいいのか。娘が今何を望んでいるのか。

はたと考え込んでしまうのだ。

インタビューに慣れていても、書けない。

ここにもインタビューで出てこない言葉がある。

手紙にしか宿らない感情

なぜ手紙にしかあらわれない言葉があるのだろうか。

「手紙に書かれた言葉に込められている感情が、ひとつではないからでしょう」

そう語るのは、批評家の若松英輔さんだ。

愛おしい誰かを亡くしたと想像してみよう。ひとがまず直面する感情は悲しみだ。

大きすぎる悲しみを感じたひとは涙すら枯れ、途方にくれることだってある。

亡くなった人に「なんで先に逝くんだ」と怒りにも似た感情を抱くこともあるだろう。

若松さんは、涙が枯れてしまうのは、そのひとが薄情だからではない。怒るのは憎いからではないという。

逆である。人は深い悲しみの先に、同じくらい深い愛情があることに気がつくからだ。

「大切な誰かを亡くすのは、もちろん悲しい経験です。でも、悲しみを感じるとき、その人が、そばにいてくれるような感覚になるときがありますね」

「それを僕は『死者』と呼びます。死者と過ごす時間はとても大切なのに、それが語られてないと思うのです」

亡くなった大切な人を思い出す。そこで、悲しみを忘れる必要も、乗り越える必要もない。

「かなし、という言葉に『愛し』『美し』と漢字をあてることもあるんです」

「つまり、悲しみという感情の裏には、愛しい、美しいとしか思えない何かがあるということだと僕は考えています」

悲しみはその人にしかわからない固有の感情だ。

喪ってみて、はじめて自分がどれだけ大切に思い、どれだけ悲しいのかがわかる。その思いは個々人でまったく違う。

同じ悲しみは一つとしてなく、他人には理解できない。

人の心にとどく言葉、それは「言葉で書けない」思いが詰まった言葉

31編の手紙には、書いた人それぞれが、深い悲しみにむきあった言葉があふれている。

若松さんは続ける。

「逆説的ですけどね、ほんとうに人の心の奥に届く言葉って『言葉で書けない』という個人の思いが詰まった言葉なんです」

「書けない方がいるのも当然のことです。それは書きたいという強い感情の裏返しなんですよ」

「(収録された)手紙を読んだときも感じました。きっと書いた方々は、書き終わって書けない『思い』を見つけたと思う」

「深い悲しみが、僕自身の悲しみ、読んだ人の悲しみと心の奥底で共振しあう。そんな感覚がある」

手紙とは、余白を読むもの

書くことで、あるいは書こうとすることで、ひとは「書けない思い」を発見する。

当事者であっても気づけない思いがある理由、それがわかった気がする。

若松さんは、手紙とは余白を読むものだと教えてくれた。

文字として書けるものがすべてであると、決して思ってはいけない。余白にこそ、ほんとうに伝えたい深い悲しみであり情愛が詰まっているのだ、と。