「総理はイトウさんの主張は聞くようだ」。イトウさんとは何者なのか?

    安倍首相がそれでもこだわる改憲。背後にいるキーマンが書いていること。

    囁かれる「イトウさん」の存在

    「安倍総理はイトウさんの話は聞くんだよな」

    永田町で、安倍晋三首相が唐突に打ち出した改憲案に”元ネタ”があるという話が広がっている。キーマンと目されるのが「イトウさん」だ。一体、誰のことなのか。

    改憲案の背後に?

    今年5月3日、一本のインタビューが話題になった。読売新聞の単独インタビューに応じた安倍首相が突如、現行の憲法9条を残した上で、そこに自衛隊の存在を書き加えるという改憲案を披露したのだ。

    その日を境に、永田町からはこんな声が聞こえてくるようになった。

    「安倍総理はイトウさんの話はきちんと聞くんだよな」。そう漏らすのは、自民党の国会議員である。

    別の自民党議員も「初めて聞いたとき、イトウさんが言っていることに近いと思った」と話す。

    安倍首相のブレーンと言われる伊藤哲夫氏

    ここで名前の挙がったイトウさんとは、安倍首相のブレーンと目される民間シンクタンク「日本政策研究センター」代表、伊藤哲夫氏のことだ。

    発表されているプロフィールには首相に近いとされる日本最大の保守団体「日本会議」の政策委員という肩書きもある。

    日本政策研究センターのホームページを開くと、伊藤氏の見解や価値観がよくわかる主張がある。憲法改正についてはこう書いてある

    この憲法は占領政策の一環として強要され、その結果この日本を本来の国家たらしめないための制限や欠落をその本質的な要素としてきた。そして、それが今日に至るまで、この日本国家を根本的に縛ってきた、と考えるからだ。

    これ以外にも例えば夫婦別姓に反対する論考、同性婚への批判的な論考が並ぶ。

    伊藤氏の主張

    その伊藤氏は同センターの機関紙「明日への選択」(2016年9月号)に「『三分の二』獲得後の改憲戦略」と題した論文を発表している。

    その中に示されているのが、安倍首相が今年の憲法記念日に唐突に打ち出した、憲法9条に自衛隊を認める規定を入れるという主張だ。

    安倍首相の提案は、伊藤氏の主張が元になっているのではないか?それが冒頭の自民党議員の発言につながる。

    “元ネタ”には一体、何が書かれているのか。

    本題に入る前に、まず大前提を確認しておく。安倍首相の強い支持層でもある保守陣営の長年の主張は、憲法9条改正をするなら戦力の不保持を定めた2項を改正し、自衛隊を認めるというものだ。

    まずは加憲から

    現状の憲法を残したうえで、条文を追加するのは「王道ではない」と批判があってもおかしくないものだが、伊藤氏は「改憲はまず加憲から」だと主張する。

    残念ながら、今日の国民世論の現状は、冒頭でも触れたごとく「戦後レジームからの脱却」といった文脈での改憲を支持していない。

    伊藤氏はこの路線を強引に主張するならば改憲陣営の分裂につながることは「必定」、改憲に賛成してほしい一般国民も護憲陣営に丸ごと追いやることにもなりかねない、と危惧する。

    そこで「一歩退き、現行の憲法の規定は当面認めた上で、その補完に出るのが賢明なのではないか」と続ける。

    そして例示されるのが、憲法9条への「加憲」だ。現行の9条を残した上で、3項に「但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛ための実力保持を否定するものではない」(原文ママ)という条文を加えることだ。

    「苦肉の策」と割り切る理由

    伊藤氏らの理想の改憲はより保守色の強いものにあるのは間違いない。だから加
    憲の前に「まずは」という言葉がついている。

    例えば日本会議が力を入れている憲法改正の草の根運動。その中核にある団体は改憲を7つの項目にまとめている。

    1. 「前文」…美しい日本の文化伝統を明記すること

    2. 「元首」…国の代表は誰かを明記すること

    3. 「9条」…平和条項とともに自衛隊の規定を明記すること

    4. 「環境」…世界的規模の環境問題に対応する規定を明記すること

    5. 「家族」…国家・社会の基礎となる家族保護の規定を

    6. 「緊急事態」…大規模災害などに対応できる緊急事態対処の規定を

    7. 「96条」…憲法改正へ国民参加のための条件緩和(同会ホームページより)

    それでも「苦肉の策」(伊藤氏)とまで書きながら現実主義に舵をきるのは、彼らは自分たちの理想だけでは改憲を実現できないと割り切っているからだろう。

    昨年(2016年)、日本会議の改憲論の理論的支柱と言われる憲法学者の百地章氏にインタビューした際、百地さんは現実的な改憲にこだわる理由をこう語っていた

    「大事なのは、憲法改正の体験、達成感ですよ。憲法だって、基本的には法律と変わらない、と。我々のルールなんだから。なんで国民自身の手で作り変えられないのか、という思いを共有してくれると思うのです。第一歩を踏み出して、成功すれば次だということに当然なる。(改憲に対する)国民の抵抗感も薄れてくると思います」

    朝日新聞によると、伊藤氏の「改憲戦略」論文が発表された前後にこんなことがあったという。

    伊藤氏とかつて全共闘に対抗する学生運動を共にした仲間で、首相側近の衛藤晟一首相補佐官はこのころ、太田(昭宏・元国交大臣、公明党)氏にささやいた。『9条は(自衛隊の)追加ということでお願いします』

    長年、「加憲」を主張してきた公明党とも歩調を合わせられる「戦略」でもあるというわけだ。

    伊藤氏は安倍改憲案を高評価

    伊藤氏はホームページのなかで、安倍首相が打ち出した改憲案を、「想定外」という言葉を使いながら高く評価している

    これこそ単に議論するだけでなく、「政治を動かす」ことを自らの任務と心得た政治家たるものの発言のあるべき姿と筆者は考える。

    あえてリスクをとり、目標を示し、国民に理解を求めるという首相の姿勢は、われわれ国民としても大いに評価してしかるべきものだと思うのだ。

    自民党内でまとまった案を飛ばしてまで、唐突に打ち出された改憲案の背後にどのような思想があるのか。重要な点はそこにある。