「目の前があっという間に湖に」 豪雨で街が変わるまで

    「テレビの中の世界を見ているようで、目の前の風景が現実とは思えませんでした」

    死者が100人を超え、平成に入ってもっとも犠牲者の多い風水害となった西日本の豪雨災害。甚大な被害を受けた地域の一つが、愛媛県西予市だ。

    「テレビの世界のよう」

    「もう何もかもがなぎ倒されたり、あったはずの建物やフェンスがなくなっていたり、木の肌がめくれた状態の大木が引っかかっていたり……」

    「本当にテレビの中の世界を見ているようで、目の前の風景が現実とは思えませんでした。あまりの被害の大きさに驚愕しています」

    氾濫した肱川にほど近い西予市野村町野村で暮らす美容師の井上展子さん(40)は、BuzzFeed Newsの電話取材に被害の深刻さをそう語る。

    井上さん提供

    動画左側に写っている茶色の住宅が井上さんの自宅。車庫と倉庫が完全に浸水し、自宅向かいの住宅は屋根まで水に使っている。

    井上さんの自宅へ消防隊員たちが避難を呼びかけに来たのが、7月7日午前6時ごろ。慌てて準備を始めた側から、みるみるうちに川の様子が変わっていった。

    「水しぶきが見えたり、尋常じゃない高さの波が立ち始めて、どんどん水がこっちにのぼってくるのが見えました。それで慌てて車に載せられるものだけ載せて、避難所の小学校に避難しました」

    自宅を出る頃には車庫と物置に浸水し、道路を挟んだ先の田んぼや畑、住宅は屋根だけを残して泥水に浸かった。「目の前があっという間に湖のようになりました」

    住民提供

    「避難所にいた時は、ちょうど雨がすごい時間帯で増水している真っ只中。みんな着の身着のまま慌ててやってきた状態で、変に静まり返ってるような、これからどうなるんだろうと不安でした」

    水は昼過ぎには引いたものの、被害の深刻さが明らかになった。川沿いには瓦礫が並び、建物が丸ごと浸かった保育所の屋根の上にはジャングルジムなどの遊具が乗っかっていた。

    全てのインフラが止まっていたため、生活用水は雨水をバケツリレーで運んで貯めていた。電気や携帯電話の通信、インターネットも途絶えていたため、西予市以外の地域でも深刻な被害が広がっていることは2日してから初めて知った。

    娘がバスケットボールを習っていたコーチは、運転中に車ごと流されて亡くなった。

    「今はみんな疲れ切った様子ではありますが、泥んこになりながら、道端に転がっている瓦礫を車に乗せて運んでいます」

    「いろんな方からの支援物資が届き、電気やガスも復旧しましたが、断水が続いている(7月9日夕)ため、泥を洗い流すことができないのが一番困っています」

    「今回感じたのは、まず危ないと思ったら、とにかく早め早めに動くこと。誰もが『うちのところは大丈夫』と頭にあっただろうし、こんなところまで水が来るとは誰も思っていませんでした」

    「完全に孤立してしまう」

    一方、西予市の山間部に位置する野村町長谷地区では、集落に続く唯一の道路が一部崩落。住民たちが修復に当たっているが、支援は届かず、ほぼ孤立に近い状態が続いている。

    8日午後に長谷地区にある実家の様子を確認しに行った看護師のみおさんは、こうBuzzFeed Newsの電話取材に話す。

    「山奥なので川沿いはガードレールがないところも多数あり、舗装されていない道路もあります。これまでも落石などはあったのですが、豪雨が引き金で崩落してしまったのだと思います」

    長谷地区には災害支援の自動販売機が1つあるが、機能しておらず、物資を調達できるような店舗もないという。

    「また雨が降ったら道路が完全に崩落してしまいそうで、この道が途絶えてしまったら集落の全員が完全に孤立してしまいます」

    「このほかにも、今にも崩れそうな箇所が数多くあります。電気も通らないなか、みんな必死に生きようとしているので、どうか早く支援が届くよう願っています」