もしも、世界にピカチュウがいなかったら。藤田ニコルの場合

    だって、本当に大好きだから。

    藤田ニコル、20歳。今では世代を代表するモデル・タレントの彼女が、ポケモンと出会ったのは、4歳の時だった。

    「なんかお母さんが急に、ポケモンのゲームを買ってきてくれたのが始まりで。今思うと、まだ字もそんな読めなかったのに、意味わかんないですよね(笑)でもすっごいハマって。ずーっとやってました」

    藤田は、10月7日(日)から放送開始時刻が日曜午後6時に変わる「ポケットモンスター サン&ムーン」の第一回放送で、初めて声優に挑戦する。

    それも、4歳の頃から愛してやまない、ピカチュウの役で。

    「ポケモンがなきゃ生きていけない。生きていけないっていうか、仕事できないと思います」と、彼女は言う。

    「本当に心の支え。だって、ポケモンは絶対に裏切らないじゃないですか(笑)」

    ちゃぶ台のある狭いアパートで

    藤田は1998年2月、日本人の母とニュージーランドに暮らす父との間に生まれた。

    ニュージーランドに構えた父の家は、豪邸だった。部屋の中にブランコがあって。車も一体何台あるんだって感じで。

    だが、3歳のときに両親が別れることに。日本へ帰国し、ちゃぶ台のある狭いアパートで、母との2人暮らしが始まった。

    母は朝からパートに出かけ、夜はスナックで働いた。小学生の頃は、家に帰ってくるとレンジでチンできる食事が置いてあって、お母さんの顔を見るのは、朝学校へ行く前に寝ている姿を見るくらい。

    「ほとんど、親の顔を見てないことの方が多かったです。でも子供だから、何が普通とかわかんないじゃないですか」

    恵まれてはいなかったけど、楽しい生活だった。お母さんがいない時間は、ポケモンが埋めてくれた。

    アニメの放送時間には、テレビにかじりついた。特に、シリーズ2作目の主人公ハルカが大好きで、アチャモやエネコと繰り広げる冒険が羨ましかった。

    空飛ぶポケモンがいたら、絶対学校に遅刻しないのに。電気が停電になったとしても、ピカチュウがいてくれたら大丈夫なのに。

    「いつも小さい頃から、いいなあ、いいなあ、なんでこっちの現実にはポケモンがいないんだろう~って言ってましたね。本当はどっかにいんのかなあ~って。今でも思うもん、どうにかできないかなって」

    ポケモン新作発売を勝手に記念して 実家でのポケモン部屋を懐かしく 載せるね😂きたない笑笑 これでも部屋にあるの一部で ポケモンで溢れかえってます😂 今は一人暮らししてて趣味部屋も ないから全然もってこれなかった けど次引越す時は絶対ポケモン部屋また作るのが今の夢です笑笑 https://t.co/8mtUi9BmIa

    以来、ポケモンのゲームや映画は全て制覇している。実家の部屋にはぬいぐるみが折り重なるように待機し、仕事に疲れたら、一人でポケモンセンターに休みに行く。

    「部屋にいると、何匹のピカチュウと目が合ってんだってくらい。多分、誰よりもピカチュウと向き合ってんじゃないかなってくらい、向き合ってますね(笑)」

    「何も大したことできないんだろうな…って」

    藤田がいまのキャリアを選択したのは、小学5年生の時だ。

    学校の勉強についていけなくなったことで、不登校気味になると、「頭良くなって、いい学校行って、いい会社で働いて」という未来を早々に捨てた。

    「勉強できなかったんで、なんか、何も大したことできないんだろうな…って思ってたんですよね。割と内気、じゃないけど、夢とかもその頃は特になくて」

    ちょうどその頃、母がニコルの名前に似ているからという理由で、ティーン誌『nicola』を買ってきた。

    モデルの世界って楽しそう、と思った。「芸能界だったら、自分でも」という気持ちがあったのかもしれない。

    一方では、ずっと働いている母の背中を見て、「なんか、親だけ頑張ってんのもあれだな」という思いも頭をもたげていた。

    「ある程度、その歳になると自立してくるじゃないですか、気持ち的に。小学生だけど、気持ちはちょっと大人な部分もあるから。それで、お母さんになんかしてあげたいなって思って」

    1年目は、書類審査で落選。それでも諦めきれず、リベンジした翌年にチャンスをつかんだ。だが、当初は人気が出ず、「むしろ金銭的にはマイナスでした」。

    ピカチュウのキーホルダーをつけた鞄を抱え、早朝5時台の六本木を、一人で、ホストの間をすり抜けスタジオに通う。最初は、東京が怖かった。

    中学に入り、ギャル路線で自分をプロデュースする術を見つける。それが、ようやくブレイクスルーになった。

    『PopTeen』の専属モデルになると、個性の強いライバルたちに揉まれながら、さらに自分らしさを尖らせ、愛された。

    仕事は、モデル業からテレビのバラエティ、ファッションプロデュースへと広がった。昨年末には『ViVi』へ移籍し、ツインテールで「にこるんビーム」を出していた頃とは、まったく違う表情を見せている。

    ブレイク後に挫折した経験は、「ない」と藤田は言う。

    「若いモデルたちに負けたくない」「必要とされなくなったら終わり」。そう言い切るストイックさが、めざましいスピードで駆け上がる彼女の速度を鈍らせない。

    「多分、テレビ出るくらいになった時期くらいですからね。学校に行きながら、モデルもやって、テレビも出てって、これが一瞬で必要とされなくなったらどうしようって思うと、すごい怖くなって」

    「だから、年に4回はビッグニュースを伝えられるように仕事をしようと思っています。じゃないと飽きられちゃうんで(笑)」

    自分が働くことで、母を支えたいという目標も形になってきた。「今お母さんには自由に楽しんでほしいなあって。次は自分の番だから」

    もしも、ピカチュウがいなかったら

    10月7日放送の「大量発生チュウ!ピカチュウのたに!!」は、20年ぶりの放送枠変更後の記念すべき初回放送。

    藤田が演じるピカチュウの「クリン」ちゃんは、クルンとした前髪が特徴の、藤田のために生まれたアイドル的存在だ。

    これまでも、ポケモン好きの芸能人が集まる番組に出演したり、コラボグッズをプロデュースしたりしたことはあったけど。まさか声優、しかもピカチュウを演じることになるとは。

    「台詞がピカしかないし、正解がないじゃないですか。本気で難しかったです。だって本当に、本当に、ピカチュウが大好きだから」

    今度は藤田がピカチュウに命を吹き込む。収録前日は、緊張で眠れなかった。

    あの頃、テレビの前でポケモンにかじりついていた女の子が、またひとつ夢を叶えた。ピカチュウと共に駆け抜けてきた世界で。

    【UPDATE】一部表現を修正しました。