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「1年間に42人」この数字が意味する現実を知っていますか?

2018年に母国での迫害や紛争を逃れて、日本で難民認定申請をした人は約1万人。しかし、この年、難民として認定されたのはたったの42人でした。日本へ逃れてきた難民はどのような状況に置かれているのでしょうか。

1年間に42人。これは2018年に、日本で難民として認定された人の人数です。

一方、同じ年には、およそ1万人もの人々が母国での迫害や紛争から逃れて、日本で難民申請をしました。

UNHCRによると、世界では7080万人もの人々が故郷を追われ、難民の数は第二次世界大戦後で、最多を更新し続けています。トルコでは2018年に約370万人、ドイツでは約110万人が難民として受け入れられました。

日本の難民受け入れは、なぜごく少数に留まっているのか。日本へ逃れてきた難民はどのような状況に置かれているのか。

認定NPO法人「難民支援協会」広報部の野津美由紀さんに聞きました。

世界では第二次大戦以降、過去最多

2018年に日本で難民認定の申請をした人は約1万人。一方この年、実際に難民と認定されたのはわずか42人でした。 「日本は単一民族国家だから」という言葉がしばしば持ち出される中、難民支援協会の野津さんは、日本で社会の一員として暮らす移民や難民一人ひとりの生活に目を向けてほしいと語ります。

日本では2018年におよそ1万人の方々が難民申請をしました。一方、この年に認定されたのはわずか0.3%。人数でいうと42人でした。

難民の数が第二次世界大戦以降、過去最多に膨れ上がり、世界各国が自分たちの国でどれだけ難民を受け入れられるかを議論している中で、日本ほどの経済大国が42人しか受け入れていないというのは、他国と比較にならないほど少ないと思っています。

難民を「保護」ではなく「管理」

まず、日本の難民認定が極端に少ない背景には、難民認定の実務を担当しているのが、法務省の出入国在留管理庁であるという、構造的な問題があると考えています。

出入国在留管理庁のメインの業務は、「日本に悪い人を入れない」「日本に悪い人がいたらつまみ出す」というもので、管理・取り締まりに重きが置かれています。

これは日本の治安を守る上で、とても重要な仕事ですが、「この人は悪い人かどうか」「この人を日本に入れても大丈夫かどうか」ということを判断するのと、「この人を母国へ送り返したらどれくらいの危険があるのか」「この人を今保護しなければ、迫害を受ける恐れがあるだろうか」ということを判断することは、本来全く異なる専門性です。

つまり、日本の難民認定は「難民を保護する(助ける)」というよりも、「管理する(取り締まる)」側面が強くなってしまっている状況にあると言えます。

そのため、難民支援協会では1999年の団体設立時からずっと、国際法や各地域の文化や社会情勢に詳しい識者を配備した、独立の専門組織を設けて、難民認定の業務を担当させるべきだと主張してきましたが、いまだに実現していません。

日本の「書類文化」の常識で

「管理する・取り締まる」ことに重きが置かれた結果、難民認定までのハードルが非常に高く、審査が過度に厳しく設定されています。

具体的に何が厳しいかというと、まず申請の際に、申請者自身が自分は難民であり、国に帰ったら迫害などの危険に晒される可能性があるという「客観的な証拠」を書類で示さなければいけないという点があります。

日本は基本的に書類文化なので、身分や所属を証明するものなど、証拠として使える様々な書類を公の機関に発行してもらうことができますよね。

その常識で、難民申請をする人たちにも同じように書類の提出を求めるという傾向があります。

まず、証拠として使えるような書類を公的機関が発行しているかという問題もありますが、国や当局から迫害を受けていた証拠を入手して、国外へ持ち出すことは、すごく危険を伴います。

中には、国に残る家族に迷惑をかけないために、書類を処分してから国を脱出する人もいます。それは難民の人の置かれた立場を考えると、すごく合理的なことですよね。

国際的にはそうした状況を理解した上で、申請者の供述が一貫していたり、恐怖を覚えて逃げてきたという状況が理解できたりしたら、難民として保護するようにというルールがありますが、日本では厳密に「客観的な証拠で証明できなければ、認定しない」という対応を取っています。

「日本に来たい」ではなく「他に選択肢がない」

中には「それなら日本じゃなくて、他所へ行けばいいじゃないか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

でも実際は、日本へ逃れてきた難民の多くは「日本へ来たかったから来た」というわけではなく、「他に選択肢がなかった」という方が大半です。

一刻も早く危険から逃れる先を探す中で、例えばアメリカやカナダに行きたいとか、言葉が通じて、自分と同じルーツの人のコミュニティがある国がいいとか、様々な方法を模索するわけですよね。

そうやって様々な国のビザを申請してみたところ、たまたま日本の観光ビザが最初に出たとか、ブローカーに出国の手配を依頼したら、たまたま日本の観光ビザとチケットを渡されたとか、そんな事情で日本を選ぶ人が多いです。

なので、日本に来てから日本の難民認定の状況、厳しさを説明すると、「こんなに受け入れてくれないんですか」と呆然として、泣き崩れてしまう人も毎日いるような状況です。

そこで、「じゃあ日本はやめてアメリカに行きましょう」ってできたらいいんですけど、日本にいる外国籍の人がアメリカの在日大使館に行っても、ビザが手に入るわけはないんですね。

やろうと思ったら一度国に帰って、一からビザを取り直すところからやらないといけません。国に帰るか、日本で何とかするかという状況の中で、過酷な状況から逃れてきた人ほど、選択肢がないというのが現実です。

「年間42人」が意味するもの

難民認定のプロセスには、結果が出るまで平均で2年半ほどかかります。

申請後8カ月で就労資格がもらえますが、不認定になると、いつでも収容できるけど、今は外で暮らしていてもいいよという「仮放免」の状態になります。

「仮放免」になると、就労資格は剥奪され、公的支援も一切受けることができなくなります。

年間42人しか難民認定を受けていないということは、それ以外のほとんどの人が、働くこともできない、公的な支援も受けられない、でも国に帰ることはできない、という非常に追い詰められた状況に置かれることを意味しています。

申請から結果が出るまでの2年半は、皆さんわずかだけど希望を持って生活している人が多いです。42人しか認定されなかったと聞いて愕然としても、「自分はこれまでこんなに大変な思いをしてきたのだから、きっとその42人に入れるはずだ」と思う方が多いんですね。

なので、不認定になってからは本当にどうすることもできず、私たちのような民間の団体や支援してくれる方々の善意で、何とか命綱をつないでいくというような状況です。

「日本は単一民族国家」を変える

よく講演などをすると、「日本は島国で単一民族国家だから、難民受け入れが少なくても仕方がない」「日本は単一民族国家だから、難民の人が来ても幸せになれない」などのコメントをいただくことがよくあります。

でも、私たちが支援してきただけでも6000人以上、国でいうと100カ国以上という本当に多様なルーツを持つ方がいます。

難民に限らず、日本で暮らす移民は288万人にのぼるとされ、様々なルーツ、バックグラウンドを持つ人たちがともに生活することで、私たちの社会は成り立っているわけですよね。

難民の方にしても、日本の認定状況の理不尽さや生活の厳しさなど、これだけ日本で大変な目にあったら、日本のことを恨むかな?と思うわけです。

でも、彼らからよく聞くのは「大変は大変だけど、自分は自分を生かしてくれた日本に感謝している」という言葉なんです。

東日本大震災の時には、いち早くボランティアに駆けつけて「自分たちは社会の一員だから、誰かが大変な時に助けるのは当然だ」と話している人もいました。

そうやって社会の一員として懸命に行きている姿と、「日本は単一民族国家だから」という言葉が普通に出てきてしまうその認識との間に、すごくギャップを感じてしまいます。

どうしたらその認識を変えることができるのか。どうしたらその溝を埋めることができるのか。

そのためには「移民」「難民」という集団ではなく、一人ひとりがなぜ日本に来て、今ここでどのような暮らしをしているのかというストーリー、そして日本がこれまでもずっと移民を必要としてきた歴史を伝えていくことが重要だと考えています。

それが、ともに生きているという自覚、ともに生きる社会に繋がると考えているためです。

第三国定住の拡充も…

政府は来年度から、他国に逃れた難民を日本で保護する「第三国定住」の拡大すると発表しています。これまではタイやマレーシアに逃れた難民の人だけが対象で、人数も年30人程度だったのを、5年後をめどに年間100人以上に増やすとしています。

世界中で難民の数がどんどん増えている中で、日本で助かる難民の人が増えるのはいいことですが、「第三国定住」はこれまで説明してきた「自力で日本へ逃れてきた難民を受け入れる」という制度とは全く別物です。

「第三国定住」は、例えば他国の難民キャンプなどで暮らしている人の中から、日本側が何らかの基準で選別して、決まった人数だけ連れて帰ってきて受け入れるというもので、非常に日本側の管理、コントロールが効くものだと言えます。

この「第三国定住」で受け入れる人数を増やすから、日本へ逃れてきた人の難民認定は減らす、あるいはこれ以上増やさないとならないか、注視していく必要があると思います。