「黒い雨を再び降らせてはならない」広島を訪れたアメリカ政府高官らの言葉

    オバマ大統領はどんな感想を持つのだろう。

    オバマ大統領は5月27日、現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪問する。これまで広島を訪れたアメリカ人たちは何を感じたのか。

    ケリー国務長官「戦争は最後の手段であるべきだ」

    ジョン・ケリー国務長官は4月11日、G7外相会合後に平和記念資料館を訪問し、慰霊碑に献花した。予定に含まれていなかった原爆ドームにもG7外相たちを誘って向かった。

    現職閣僚として初めての訪問。資料館には、強烈なメッセージを書き残した。

    Honored to be 1st Sec State to visit Hiroshima Peace Memorial Museum & Park. Here is what I wrote in the guestbook.

    世界中の全ての人がこの記念館を見て、その力を感じるべきだ。はっきりと、厳しく、説得力をもって考えさせてくれることがある。われわれには、核兵器の脅威を終わらせるだけでなく、戦争そのものを避けるために全精力を注ぐべき義務がある。

    戦争は最後の手段であるべきだ。決して最初の選択ではない。この資料館は、私たち全員に対して、世界を変え、平和を希求し、各地の市民が切望する未来を築く一層の努力をするように強く動かすものだ。

    カーター大統領「平和の実現のために一生をささげる」

    これまで広島を訪れた大統領経験者は2人いる。ジミー・カーター大統領は退任後の1984年5月に訪れた。毎日新聞などによると、慰霊碑に花をささげた後、市民らを前に話した。

    私は軍縮と平和の実現のために一生をささげる。

    人類史上例を見ない広島の壊滅的な惨禍を思うとき、極めて厳粛な気持ちになります。核戦争が勃発する危険を防止するため、私たちが平和維持に努力し、平和を不断に要求していかなければなりません。

    ニクソン大統領「平和を求めることを約束させる場所」

    その20年前、就任前にリチャード・ニクソン元大統領も広島を訪れている。1964年4月、米系企業の飲料工場視察と合わせて広島を訪れた。UPI通信社によると、高校生ら60人ほどが見守る中、花輪を手向け、2分ほど黙祷を捧げた。

    広島は、世界が平和を求めることを約束させる場所だ。

    ケネディー上院議員「黒い雨を再び降らせてはならない」

    1978年1月、テッド・ケネディー上院議員は広島大学でも講演した。井伏鱒二の「黒い雨」に言及。

    この都市は核軍縮を進める必要性を訴える生きた証として存在します。核兵器の拡散を防ぎ、今日保有する数カ国にあるその数を着実に減らす必要性を。

    黒い雨を再び降らせてはならない。

    ペロシ下院議長「広島訪問は戦争の破壊力を強く思い出させる」

    2008年9月、ナンシー・ペロシ下院議長はG8下院議長会議に出席するために広島を訪れた。現職ではそれまでで最高位の米国人政治家となった。

    広島訪問は戦争の破壊力を強く思い出させるものです。すべての国が平和を推進し、より良い世界を築くことが喫緊の課題であると明確に示しています。

    原子爆弾の開発を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領の妻エレノアさん「感情を揺さぶられた」

    1953年6月に平和記念資料館を訪れた。原爆で親を亡くした子どもたちが暮らす戦災児育成所も訪れ、新聞のコラムにこうつづった。

    広島に着き、感情を揺さぶられました。

    親を亡くした子どもたちを世話している孤児院を訪れ、心から願わずにはいられませんでした。人類がここから学ぶこと。どうやって破壊するかはもうわかった、代わりに破壊を防ぐにはどうしたらいいかを学ばなければいけないと思う日が来ることを。

    原爆投下を決めたトルーマン大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエルさん「米国に帰って核兵器をなくす活動を続け、広島で会った被爆者の心に応えたい」

    被爆して白血病を患い、回復を願って鶴を折りながら12歳で亡くなった佐々木禎子さんの兄雅弘さんから招かれ、2012年8月、広島と長崎の平和式典に出席した。

    毎日新聞によると、記者会見で話した。

    私が広島にいることを許さない人もいるかもしれないが、米国に帰って核兵器をなくす活動を続け、広島で会った被爆者の心に応えたい

    オバマ大統領は?

    2009年4月に外遊先のチェコ・プラハの演説で「核のない世界」を訴え、同年、ノーベル平和賞受賞を受けたオバマ大統領。どんなメッセージを発信してくれるのだろうか。