「この世界の片隅に」は疑似体験。ある大学教授がたどり着いた、"物語"の受け継ぎ方

    「だから、新しいかたちでの伝承を追求していかなきゃいけない」

    「戦争体験をどうやって伝えていくか。最近の例で言うと『この世界の片隅に』ですよね。あれは疑似体験。ああいう生活をした若い人はいないわけだけど、でも、あれを見たら共感してのめりこむわけだよね」

    そう話すのは、千葉大学でアイヌ語を研究する中川裕教授。アイヌの「語り」を聞いて録音し、資料化する活動を続けている。

    戦争体験などに限らず、これまで「語り」で紡がれてきた物語をどう受け継いでいけば良いのか? BuzzFeed Japanは研究室を訪ねた。

    6月に観客動員数200万人を突破した映画、「この世界の片隅に」。昨年11月の上映開始当初はわずか63館という小規模展開だったが、口コミで評判が広がり異例のヒットを記録した。

    戦争体験者らが制作に協力し、戦時下に生きる人々の姿を描いた同作品は、老若男女の心を捉えた。若い人は戦争を知っているわけではない。みんなが語り部の話を聞いたわけでもない。だけど、映画に共感し、当時何があったのかもっと知りたいと引き込まれる。

    終戦から70年余りが経ち、戦争を今に伝える「この世界の片隅に」。戦争の記憶をどう受け継ぐか模索が続く中、現代ならではの「伝え方」を示した。

    同様の模索が続けられる文化がある。それがアイヌだ。

    「語り」で受け継がれてきた物語

    アイヌ民族は明治時代まで文字を持たず、主に口頭によって文学を語り継がれてきた。いわゆる「昔話」である散文説話や英雄叙事詩など、あらゆる物語が口承で伝えられてきた。

    2013年に発表されたアイヌ生活実態調査によると、アイヌ民族の人数は16,786人(道内在住者のみ、アンケート調査)。アイヌ語で喋ろうと思っている若い人は、今は大勢いるが、一時は担い手がいなくなることも危惧されたという。

    「アイヌ語弁論大会が始まった1998年。初回の参加者は9組12名で、年配の方ばかり。それが昨年の大会では49組55名に。人数が増えてきたので、子どもの部まで分けざるを得なくなってきた」と、中川さんはアイヌ語話者についての現状を語る。

    中川さんはアイヌではないが、アイヌ語を教える活動にも携わってきた。本来はアイヌの人たちがアイヌ語を教えるべきだと思っていた。だが、当時は親の世代で話せる人がいなかった。

    「だったら、私がお母さんたちに教えましょうと。そこで関東ウタリ会と始めたのが『母と子のアイヌ語教室』。お母さんたちが子どもたちに教えることを目的としています」

    アイヌ語を話すことができる人たちを増やす。そして、アイヌの文化を伝える。

    しかし、そのようにして語り継がれていくアイヌ文化も、「語り」だけによる伝承は簡単ではない。語り手や聞き手がアイヌの世界観を知らずに育ってきた、というケースもありうる。

    そういった状況で、どう受け継いでいけばいいのだろう? そう聞くと、中川さんは「この世界の片隅に」を引き合いにこう答えた。


    (映画を見て)その世界に入っていく。昔の話に対してもっと知りたいっていう人が出てきつつある。質的な体験は一緒だよね。

    私のかみさんはロシアのフォークロアを専門にしているんだけど、筑波大学で集中講義をしたとき、学生に「子どもの頃にお母さんから昔話を聞いたことがある人」と聞いたら、30人いて1人か2人くらいしか手を挙げない。

    寝るときに本を読んでもらった人と聞くと、手を挙げたのはほんの数名。子守唄については皆無。これが、日本の伝承の現実なわけだ。

    この日本の伝承の在り方と、アイヌとの違いはどこにあるかというと、アイヌ語自体を聞いても分からなくなってきているということ。あとは同じ。

    つまり片一方は日本語は分かるのだけど、語られてきた物語は知らない。片一方はアイヌ語が分かんないわけだから、アイヌ語で聞いてもわからない。

    そこが根本的な違いではあるが、なくなりつつあることはどこだって同じ。その点において特殊なわけではない。

    だから、新しいかたちでの伝承を追求していかなきゃいけない。ゴールデンカムイのヒットに、そのヒントが見つかるかもしれない。


    ゴールデンカムイとは明治時代の北海道を舞台にした、アイヌの少女・アシㇼパと元陸軍兵・杉元佐一がメインキャラクターのサバイバル漫画だ。

    ゴールドラッシュに湧いた北海道。アイヌは大量の金塊を秘蔵していたが、ある男がそれを奪って隠してしまった。その後、男は死刑囚として網走監獄へ。隠し場所は収監されていた囚人たちの背中に入れ墨として記され、見つけるには彼らを全て捕らえるしかない。アシㇼパは父の仇を討つため、そして杉元佐一は親友の願いを叶えるために金塊を求め、囚人たちの後を追うーー。

    作中ではアイヌの食生活や死生観などにもふれられ、アイヌ世界の一端を垣間見ることができる。マンガ大賞2016の大賞を受賞するなどし、話題を呼んだ。

    中川さんは千葉大漫研の顧問を十数年務め、同作のアイヌ語を監修。「物語として、(掲載誌の中で)一番よくできている」と話す。

    「昔ながらの方法で伝わらなくなってきたっていうのは、世界中のあらゆるところである」。アイヌ文学は口承で伝えられてきた文化。だけど、かたちを変えて受け継いでいけばいい。現代には現代の伝承の仕方がある。


    (かたちを変えて受け継がれる中で、残してもらいたいものは?)それは、「人間以外のあらゆるものに対する共感」。

    つまり、人間だけじゃなく、人間以外のあらゆるものが同じ立場で、社会を作っているという考え方。それは自然だけじゃなくて、スマホでも。昔の考え方で言うと、これはカムイ(アイヌ語で神様の意)。

    子どものゲーム機を割るとか、そういう行為はカムイを殺しているわけで。アイヌの考え方からすると、報いを受けるべき行為になる。

    日本で言えば「もったいない」になるのかもしれないけど、別の人格を持った存在であるという考え方をしていた人たちからすると、それは他人に対して不敬行為を働いたということになる。

    人間以外のあらゆるものにそういう見方を拡大するというのが、アイヌの基本的な考え方。ものを大切にしましょうではなくて、まわりのひとたちと付き合っていきましょう、人格を尊重にしましょうという。

    あらゆるものがカムイという観念によって秩序立てられているので、カムイが理解できないと、アイヌのことは何もわからないと言っていい。

    カムイとは何かを理解して、それが常に意識されている。(伝えられる中で)それが、一番の核なんじゃないですかね。


    「ユカㇻ(日本語で叙事詩の意)はそもそもが少年漫画と同じ、冒険活劇ロマンの物語。ドラゴンボールと話が一緒。アニメ化できるはず」

    「中国に京劇ってあるでしょ? 中国のカラオケに行ったら京劇の曲が入っていて、それを歌う人がいたんだよね。日本で言えば歌舞伎がカラオケにある、といった感じ。使える人はわずかかもしれないけど、ありなんじゃないか」

    中川さんは、学生時代からアイヌの「物語」を聞いてきた。まだまだ資料化できていない語りがたくさんある。それをどう受け継いでいくか。

    伝統という枠組みを外せば、他の伝え方が思いつくはずだ。「語り」にこだわらず、伝えていけるものもあるのではと、あらゆる伝え方に言及する。

    そうやって、これまで受け継がれてきたものが伝わっていくといいですねと言うと、中川さんはこう答えた。

    「現代においてかっこいいと言うかたちにアレンジできるのであれば、それをどんどん使っていい。(核となる部分を残して)新しい文化っていうものを作ること。それが受け継ぐっていうことなんじゃないかな」