絵本作家のヨシタケシンスケが、初めてのエッセイ集『思わず考えちゃう』(新潮社)を出した。日ごろスケジュール帳に描きためたスケッチから生まれた一冊だ。
「安易な笑顔は描きたくない」
「何より自分を救いたい一心で物をつくっている」
ユーモアあふれる作風で子どもばかりでなく親世代の共感も集め、累計100万部を超える人気作家は、なぜ「笑顔」を描かないのか。
笑顔の絵は半分を傷つける
――ヨシタケさんは絵本のなかであまり笑顔を描きませんね。どうしてですか。
笑顔って人を傷つけることがあって。
笑顔の子どものかわいい絵を見た時に、子育てをすごく楽しんでいる人が見たら「私と一緒だ」と思えるでしょう。
でも、いろんな事情で子育てがつらい人がその絵を見たら傷つくんですよ。「絵のなかの親子はこんなに楽しそうにしているのに、なんで私は楽しくできないんだろう」って。
逆に子育てでボロボロになっている絵であれば、うまくいっている家庭の人は「大変な人もいるのね。ウチはうまくいっていてよかった」となるし。ボロボロの人は「ああ、そうだよね」と共感できる。どっちも楽しめるんです。
だけど笑顔の絵は、半分を傷つけてしまう。自分が親として子育てをした時に、親なんて笑わないんですよ。よっぽどのことでもない限り。
笑顔のインフレは嫌
――笑顔を描かないことが表現上の制約にはなりませんか。
僕の絵本はとにかく笑顔が少ないんですけど、笑顔を描かないと幸せが描けないかっていうと、そんなこともないわけで。
「笑顔じゃないけど楽しそうだな」って絵は描けるはずだし、「つまらなそうな顔してるけど、本当はお前楽しいだろう」と見える絵だって描けるはず。
安易な笑顔はなるべく描きたくない。笑顔の安売りで笑顔のインフレが起こるのは嫌なんです。
自分の絵本のなかで笑顔を出すのであれば、「それは楽しいでしょう」と読む側が納得できる理由をしっかりつくりたいですね。
思っちゃうのは仕方ない
――そういう考えに至ったのは、ご自身の子育て経験も大きいのでしょうか。
子育てがすごくつらい時に「子どもをつくってよかったんだろうか」と、つい思ってしまったことがありました。そんな風に考えてしまった自分に傷ついて。
でも、思っちゃうのは仕方ない。世の中やっちゃいけないことはいっぱいあるけど、思っちゃいけないことってないはずなんです。頭のなかは自由なわけで。
思わず思ってしまったことで、自分を苦しめる必要はないんですよね。
――『思わず考えちゃう』のなかでも、まだお子さんが小さかったころ、仕事部屋に入ってきたことに、つい苛立ってしまったというエピソードがありました。「今しかないのに、もったいないのに、大事にできない、やさしくできない、なぜかしら?」と。
子どもが2、3歳ぐらいのころ、かわいくてしょうがないんだけど、ついイライラしてしまったこともありました。
あんなにかわいかったのに、何を見ていたんだろう。でもそれは距離をとらないと見えてこないものでもあるし、難しいですよね。
虐待は向こうの話じゃない
――その言葉で楽になれる親も多いと思います。
こちらとしてできることって、僕もそうだよって共感することだけなので。
虐待のニュースとか、全然「向こう」の話じゃない。すぐ隣にあるってわかった時のゾッとする感じ。
あの日、余計な仕事の電話があと2本かかかってきていたら、どうなっていたかわからないぞ、とか。あのゾッとする感じは、たぶん子育てしている方、皆さん持っているはずで。
大人になると、「大人はみんな、こんなにヒヤヒヤしながら暮らしてるんだ」っていうことに驚くわけじゃないですか。
大人ってもっと堂々として、安定しているものだと思っていたのに、実際はいろんなことが不安定なまま、普通の顔をして生きていかなきゃいけない。
みなさんがちゃんと乗り越えていけるところを、僕はそこで止まっちゃうんです。一瞬、止まってしまう弱さっていうのをちゃんと形にしたい。
元ネタは手帳のスケッチ
――意外にもエッセイは初めてなのですね。
自分が興味を持ったことの記録としてイラストをスケッチして、手帳に描きとめています。
講演で時間が余った時に「この絵はこういう時に描いた」「こんなことを思っていた」と解説すると、本編よりも面白がってもらえることがあって。
そうやってお客さんの前でしゃべったり、編集者さんにお話しした内容を語りおろしの形で本にしていただきました。だから、エッセイというのもおこがましいんですけど。
ハッピーな時は描かない
――もともとのスケッチはすごく小さいですね。
ちっちゃいんです。手帳がいっぱいになると別のファイルに移して。これが70〜80冊あります。
――スケッチを描くペースは1日1枚とか決まっているのですか。
決まってません。ハッピーな時には描かない。
締め切りの前日だとか、嫁に怒られた時なんかに、自分を慰めるために山ほど描いたりします。試験の前の日に掃除するような感覚ですね。
――なんで奥さんに怒られちゃうんですか。
それがわかれば苦労しないんです。相槌が0.5秒遅れた、とかそういうことですよ。
――0.5秒は大事ですね。
たいへん大事です。
人間はないものねだり
――本のなかで「ご近所の悪口が言える人って、やっぱり世の中で、一番幸せなはずなんです。それ以外が、全部満ち足りているわけで」と書かれていて、なるほど!と膝を打ちました。
人間って基本はないものねだりな生き物なので。
どんなに満足しても、何かしら不満を見つけたがるだろうし。悲しいことや不満だらけになったら、どうにかして楽しいことを探すと思うんです。
人の心の有り様として、基本、反対方向に自然と目が向くんじゃないかなって。
僕の場合はネガティブになりがちだからこそ、どうすれば面白がれるのか、人を信じることができるのかっていうのを一生懸命考えています。
自分用の松葉杖
――性善説なのか、性悪説なのか…。
善でも悪でもないけれども、いかんともしがたい「心のクセ」をみんなが持っている。
スケッチを続けていてわかったのは、人って自分が思っているほど人と違わないし、自分が思っているほど人と同じでもないっていうことです。
解決案でも慰めでもないけど、似たヤツっているよね、結局みんなそうなっちゃうよねっていう。
「だから悲しい」ではなくて、「だから面白い」「だから嬉しい」っていう方向に、微妙に向きを変えられないか――。
そういう選択肢を増やせれば、僕が救われるっていうのがまず第一にあって。自分で自分用の松葉杖をつくっているような感覚なんです。
「いつも楽しいでしょう?」
――ユーモラスな作風から、ヨシタケさん自身も明るい方なのかなと勝手に想像していました。だから「ネガティブ」という自己評価がすごく意外で。
面白いことばっかり描いてるんで、「いつも楽しいでしょう」と言われたりするんですけど。
そういう風に思っていただけるぐらい面白かったんだとしたら、それは成功だし、いいんです。
ただ、実際のところは、そういうことを描いてないとやってられないぐらい、ネガティブで悲観的な男なんですね。
だからこそ、どうすれば面白がれるだろうかっていうことを必死で考えているわけで。ハッピーな人は何もしなくてもハッピーだから、こんなことを考える必要もないんですよ。
プロポーズと歯磨き
――作品づくりのうえでの哲学は。
くだらないと思われていることと、大事だと思われていることを同じ熱量で扱い続けたい、というのがあります。
プロポーズの1分間と、毎朝の歯磨きの1分間を同等に扱いたいんです。
なんでもない時でもその人は生きているわけで、そこを丁寧に見ていくことで、面白がれることもあるんじゃないかなと。
病気や死、障害、差別といった、難しい、重いとされているテーマは、そんなに襟を正して話し合わなきゃいけないものなんだろうか。
逆に、おしっこがちょっと漏れちゃうことを本当に「くだらない」で済ませていいんだろうか。くだらないと考えられているもののなかに、もっと大事なものがあるかもしれない。
その両方を同じ熱量で扱うことで、読んでくれた人が「じゃあ自分にとって大事なことってなんだろう」と、それぞれの価値観に立ち返るきっかけになってくれれば…僕が助かるっていうか。
何より自分を救いたい
――自分自身が?
自分が。何より自分を救いたい一心で物をつくっているので。
くだらないこと、どうでもいいことにときめいていたいし、難しいことを簡単に、不謹慎にならない程度に笑い話にできたらいい。
そういう選択肢を自分のために増やしていきたい。それをたまたま一緒に喜んでくれる人がいたら、なお嬉しいっていう感じですね。
〈ヨシタケシンスケ〉 絵本作家・イラストレーター。2児の父。1973年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。『りんごかもしれない』で、MOE絵本屋さん大賞第1位、産経児童出版文化賞美術賞。『もうぬげない』でボローニャ・ラガッツィ賞優秀賞、『このあと どうしちゃおう』で新風賞に輝くなど受賞歴多数。近著に『あるかしら書店』『おしっこちょっぴりもれたろう』『それしか ないわけ ないでしょう』など。『思わず考えちゃう』は初めてのエッセイ集。