日々、Twitterで発生する「炎上」や不毛な議論。そんななか、ある一つのツイートが注目を集めています。
「これは欲しい」「天才的な視点」
ツイートする前に「主語の大きさ」が数値化される機能があると面白いと思った 「男性っていつも…」 「該当者が30億人を超えています。ツイートしますか?」 「世のオタクは…」 「該当者が1000万人を超えています。ツイートしますか?」 「昨日マックにいた女子高生が…」 「該当者がいません」
《ツイートする前に「主語の大きさ」が数値化される機能があると面白いと思った
「男性っていつも…」
「該当者が30億人を超えています。ツイートしますか?」
「世のオタクは…」
「該当者が1000万人を超えています。ツイートしますか?」
「昨日マックにいた女子高生が…」
「該当者がいません」》
投稿したのは、漫画家の桜去ほとりさん。1万4千回以上リツイートされ、3万を超える「いいね」がつきました。「これは欲しい」「天才的な視点」といった反響が寄せられています。
ごく例外的な事象を、あたかも集団全体のものとして十把一絡げに批判したり、単なる個人の感想を一般化して「世間」や「みんな」の意見にすり替えてみたり…。
「主語の大きさ」がズレていると、議論はかみ合わないものになりがち。ツイートする前にこんな警告メッセージが出てくれれば、Twitterの世界も少しは平和になるかもしれません。

太宰も絶望先生も
「主語の大きさ」問題は、いまに始まったものではありません。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
太宰治は『人間失格』(1948年)でこう喝破しました。2008年に発売された久米田康治の漫画『さよなら絶望先生』(第15集)にも、こんなセリフが登場します。
《一人しかいないのに「私たち住民は断固反対するー」とか!
全員に聞いたわけでもないのに「我々都民は我慢の限界」とか!
自分の意見をみんなの意見のように言う主語のデカい人!》

Twitterは議論に向かない?
桜去さんは、ツイートを思いついた理由を次のように語ります。
「僕もこの『主語が大きい』という表現は昔から好きなのですが、『大きい』 というのがいかんせん主観的なので、もっと客観的に、リアルな人数(規模)がそのままバン!と提示されれば、動かしがたい強力な説得力が出るのでは…とふと思ったのがきっかけです」
炎上していない「普通のツイート」に対しても、「主語が大きいな」と感じることが多いといい、こう指摘しました。
「そもそもTwitterは、議論を深めるという目的には向いていないと思うので、皆がみんな立派な論客である必要はないのですが、それでも『主張するなら、もう少し論理的思考法を身につけたほうが…』と思うことはわりとあります。『主語が大きい』というのは、あくまでその問題点のひとつかな、という印象です」

続々と寄せられる共感のツイートに、「おお、やっぱり 『主語の見える化』 ってニーズがあるんだな」と実感したという桜去さん。
「僕自身Webサービスの企画もやっているので、『こうすれば近いことは実現できるかな』と妄想していますが、実際に利用に耐えるものにするのはかなり大変だな…と思います」