タトゥー禁止令「それでどうなの?」警察幹部は鼻で笑った

    医師免許なく客にタトゥーを入れたとして、大阪の彫り師・増田太輝さんが医師法違反の罪に問われた裁判。最高裁は検察側の上告を棄却し、控訴審の逆転無罪判決が確定した。5年に及ぶ法廷闘争を振り返る連載【後編】

    「きちんとやり遂げることが自分の役目だと思って、5年前に石を投げた。今日、こういう場所で会見を開かせていただいて、胸を張って『間違いではなかった』と言えます」

    大阪府の彫り師、増田太輝さん(32)は、医師免許なしに客にタトゥーを入れたとして、2015年に医師法違反の罪で略式起訴された。

    2017年に一審の大阪地裁で有罪判決を受け、翌年、控訴審の大阪高裁で逆転無罪に。

    今年9月16日、最高裁が検察側の上告を棄却したことで、増田さんの無罪が確定することになった。5年に及んだ闘いが、ようやく終わったのだ。

    タトゥーの歴史、認めた最高裁

    最高裁の決定はタトゥーの文化的、歴史的意義を認め、増田さんの訴えを正面から受け止めるものだった。

    《タトゥー施術行為は、装飾的ないし象徴的な要素や美術的な意義がある社会的な風俗として受け止められてきた》

    《歴史的にも、長年にわたり医師免許を有しない彫り師が行ってきた実情があり、医師が独占して行う事態は想定し難い》

    さらに、草野耕一裁判長の補足意見として次のように述べている。

    《タトゥーに美術的価値や一定の信条ないし情念を象徴する意義を認める者もおり、昨今では、海外のスポーツ選手等の中にタトゥーを好む者がいることなどに触発されて新たにタトゥーの施術を求める者も少なくない》

    《公共的空間においてタトゥーを露出することの可否について議論を深めるべき余地はあるとしても、タトゥーの施術に対する需要そのものを否定すべき理由はない》

    職業欄は「彫り師」

    最高裁の決定文の冒頭にある職業欄には、「彫り師」の3文字が記されていた。一審、控訴審と主任弁護人を務めてきた亀石倫子弁護士は言う。

    「高裁判決の時もそうしたが、名前の横に『彫り師』とあります。別に『自由業』でも『自営業』でもいいのに、『彫り師』と書いてくれた。彫り師という職業を守るための闘いだったので、すごく胸が熱くなる思いがしました」

    タトゥーを入れるために超難関の医師資格を課せば、事実上の「タトゥー禁止令」となり、日本中の彫り師が失業することになりかねないのではないか?

    彫り師への取り締まりが相次いでいた2015年、記者が大阪府警の捜査幹部に疑問をぶつけると、逆に、それでどうなの?と質問したいと鼻で笑われた。

    一体なんの問題があるのかと言わんばかりの口ぶりで、「芸術家と言われるけど、不潔だよね。誰でも勝手に彫っていいのかと聞かれれば、私は親としては否定したい」とまで言い放った。

    「当たり前」を取り戻す

    今回の最高裁の決定は、府警や行政による野放図な医師法の拡大解釈を真っ向から否定し、恣意的な運用に歯止めをかけるものだ。

    検察側が主張するような解釈をとれば、《我が国においてタトゥー施術行為を業として行う者は消失する可能性が高い》と一蹴している。

    タトゥー施術は医師の仕事ではなく、彫り師の仕事は医療行為ではない。

    常識的に考えれば当然の判断だが、そんな「当たり前」が認められるまでに、実に5年もの歳月を要した。

    弁護団長の三上岳弁護士は「今回の判決は、普通に考えて当たり前の結論。誰も『タトゥーを彫りに病院に行こう』とは思わない。でも、そんな『当たり前』を勝ち取るのに大変な苦労をした」と述懐する。

    小石と風穴

    5年前に投げつけた小さな石つぶては、ついに法規制に風穴を開けた。

    9月18日に記者会見した増田さんは、支援者らへの感謝の言葉を幾度となく口にした。

    ネットでのバッシングや、「余計なことをするな」という同業者からの批判にさらされながら矢面に立ち続け、一歩一歩あゆみを前に進めてきた。

    「人生を返してほしい」という切実な願いが果たされ、自由を取り戻したいま、何を思うのか。

    「やっと終わったなとホッとしている気持ちも束の間で、これから自分も新たなスタートを切っていきたい」

    残された課題

    無罪確定は大きな節目ではあるが、タトゥーをめぐる問題がすべて解決したわけではない。草野裁判長は補足意見で次のように述べている。

    《タトゥー施術行為に伴う保健衛生上の危険を防止するため合理的な法規制を加えることが相当であるとするならば、新たな立法によってこれを行うべきである》

    《タトゥー施術行為は、被施術者の身体を傷つける行為であるから、施術の内容や方法等によっては傷害罪が成立し得る。本決定の意義に関して誤解が生じることを慮りこの点を付言する次第である》

    タトゥー施術が医師法違反に問われないとしても、場合によっては傷害罪に抵触する可能性があり、まったくの野放しで許されるわけではない。新規の立法措置の必要性を強く示唆する内容だ。

    タトゥーイスト協会の発足

    ボールは司法から彫り師の側に投げ返された。

    昨年には、彫り師たちの業界団体として一般社団法人「日本タトゥーイスト協会」が発足した。

    医師の監修のもと衛生管理ガイドラインを定め、オンライン講習を実施するなどの活動に取り組んでいる。

    彫り師やタトゥースタジオのオーナー、タトゥー機器のサプライヤーら166人が加盟するが、こうした自主規制の動きはまだまだ緒についたばかりだ。

    母からのLINE

    いろんな意見があり、協会に反対している彫り師もいます。無罪判決が入会していただくきっかけにつながれば」

    「立法措置のための環境づくりも、自分たち彫り師がやっていかないといけない。そういう思いの彫り師が、ひとりでも増えていけばいいなと思っています」

    報道陣を見据え、堂々と語る増田さんの横顔に、5年前の「頼りない」「線の細い青年」の面影はない。

    会見終了後に挨拶すると、先ほどまでの強張った表情を崩し、丁寧に頭を下げた。

    聞けば「無罪確定へ」の報道後、駆け出し時代にタトゥーの練習台になってくれた母親からLINEがあったという。

    なんと書かれていたのか尋ねたら、照れくさそうに教えてくれた。

    《長い間、おつかれさま。これからいいことがあると思うよ》

    (完)