「もちろん売名だよ」超大物俳優の痛快すぎる福祉論

    被災地支援や福祉活動に精力を傾けてきた、歌手・俳優の杉良太郎。「売名」「偽善」といった批判をものともしない、杉流の痛快ボランティア論。

    歌手・俳優の杉良太郎は、長年にわたって被災地支援や福祉活動に精力的に取り組んできた。

    「売名」「偽善」批判への思い。被爆者との交流で抱いた「罪悪感」。原点となった養老院の思い出――。

    「福祉は一方通行」を持論とする杉に、ボランティア哲学を聞いた。

    「売名ですか?」

    ――東日本大震災の後、トラック20台分の支援物資を集め、被災地で炊き出しをされました。メディアから「売名ですか?」と聞かれた時のエピソードは、いまだに語り草になっています。

    カレーを温めてる時に、「杉さん、杉さん」と聞こえて。ふっと顔を上げたら、テレビカメラがあって、リポーターに言われた。「それってやっぱり売名ですか?」って。

    「もちろん売名だよ。売名に決まってるじゃないか」ってすぐに返した。これまでずっとついて回った言葉だし、私自身もう慣れっ子になっていたので。

    本当は相手にしない方がいいんだけど、売り言葉に買い言葉で。まあ、修行が足りないね。

    ――最高の啖呵ですね。

    いや、私にとっては普通なんです。外務省の高官にも言われたことあるし。「売名ですか」って。

    その時も同じことを言った。「もちろん売名です。でも、ひとつ付け加えていいですか」と。

    「私はいままで、これだけのことをやってきました。あなた、私がやってきたこと全部やってから、もういっぺん同じ質問をしてくれますか」。そう言ったら黙っちゃった。

    福島第一原発で職員を激励

    ――原発事故の直後には、南相馬市や飯館村などにラーメン5千食を届けました。

    うちの伍代(夏子)と、立ち入り禁止ギリギリのところまで行きました。

    警察官に「何をしてるんですか」と声をかけられて、「深呼吸してる」と言ったら「そんなことしちゃダメですよ」と言われた。

    2015年には、芸能人で初めて福島第一原発に入った。ずっと行きたかったんだけど「絶対無理です」と断られて、我慢して何年も待ちました。

    職員のみなさんが出迎えてくれたので、「日本の運命、ひいては世界の運命があなたたちの肩にかかっている。死に物狂いで頑張ってください」と挨拶させてもらいました。

    「ありがとう」すら面倒

    ――「福祉は一方通行」が持論です。

    難しい。福祉は難しいよ。やっぱり相手がどう思うかだから。

    災害でも何でも、苦しいのは当事者。経験していない人間が理解したつもりになっても、実際のところはわからないですから。

    被災者の人たちと一緒に過ごす。ハンセン病の人たちと直接触れ合い、抱き合う。そういうことを何日も重ねていくうちに、段々と理解が深まっていった気がしますね。

    この人、この地域のために貢献できたらいいな、少しでも役に立てばいいなと一方的に思うだけ。そこから何かをもらうとかじゃない。

    「ちょっともうけさせてくださいよ」「何かおみやげないですか」なんていうのは論外だけど、私はもう「ありがとうございました」すら面倒くさいと思うね。

    この人「ありがとうございました」って言うかな、とか面倒くさい。そんなこと考えてられないよ。

    忘れられないスーツのシミ

    ――様々な施設を慰問されてきたなかで、特に印象に残っているのは。

    最近になって思い出すのは、50年前に広島・長崎の病院を慰問した時のこと。戦争や原爆に対しては思いがあったから、被爆者の人たちに会った時は声も出なかった。

    歌い終わった後に握手してほしいと手を差し出されて、その手が水ぶくれだった。握手したら、プチッと音がして中から汁が吹き出ました。

    真っ白なスーツを着ていたんだけど、握手して抱き合っているうちに、うっすら黄色いシミがついた。まるで地図みたいにね。それを覚えてる。

    背負った罪悪感

    ――忘れがたいですね。

    問題はその後。私はトイレに行って手を洗って、服についたシミをハンカチで落としたんです。

    誰かに見られたら何て言い訳をしよう。表面では善人ぶった顔で握手して抱き合って、陰では一生懸命、手も服も洗ってるじゃないか。

    これは人には言えないなと思った。墓場まで持って行かないといけない。ものすごい罪悪感を背負っちゃったわけですね。

    最初にこのことを打ち明けたのは、一緒に慰問に行った作家の川内康範先生。慰問から15年くらい経って、ふいに当時の話になりました。

    川内先生から「良(りょう)には真実を話すけど、実はトイレで手を洗った。いまでも、ものすごく後悔してる」と言われた。

    「初めて言うけど、自分もあの時手を洗ったんだ」と答えました。いまなら一生の宝としてこのスーツをとっておこうと思うけど、25歳の若造にはそこまで知恵が回らなかったね。

    でも、50年前に行っておいてよかったな。行っているから、この話ができるんで。

    手を合わせるお年寄り

    ――福祉活動の原点は15歳の時、養老院(現在の老人ホーム)に白黒テレビを寄付したことだったとか。

    一番安いのを買っていきました。そのころテレビってめちゃくちゃ高かったから。

    あの時代の養老院には、家族に捨てられて、つらい思いをしている人も多かった。楽しみも少ないだろうと思って、テレビを贈ったんだけど。

    そうしたら、おじいちゃん、おばあちゃんがベッドの上に正座して、15歳の子どもに向かって手を合わせていた。

    手を合わせるっていうのは、普通は神や仏だけでしょ。人間に手を合わせるところなんて、見たことがなかったわけです。

    自分なんかに対して、お年寄りが手を合わせてくれている…。感動しました。強烈な印象として残ってます。

    胃袋はひとつだけ

    ――自伝『媚びない力』では《本当の金持ちというのは、生きている間にいくら使ったかで決まる。それも、誰のために使ったかが重要です》と綴っています。

    ベッドはひとつ、胃袋はひとつ。

    広いベッドは好きやけど、部屋一面の大きなベッドがあったとしても、寝るのに使うのは1人分のスペースだけ。

    なんぼおいしいステーキあっても、牛まるごと焼いたって、胃袋ひとつじゃ食えんよ。カネの亡者にはなりたくないね。

    杉良太郎(すぎ・りょうたろう) 1944年、神戸市生まれ。1965年に歌手デビュー。ヒット曲に『すきま風』など。1967年、NHK『文五捕物絵図』の主演で脚光を浴び、以降『遠山の金さん』『右門捕物帖』など数多くの時代劇に出演。舞台の代表作に『清水次郎長』『拝領妻始末』など。デビュー前の15歳から福祉活動に尽力し、ユネスコ親善大使兼識字特使、外務省の日・ASEAN特別大使、日本・ベトナム両国の特別大使などを歴任。現在は法務省の特別矯正監、警察庁の特別防犯対策監、厚生労働省の肝炎総合対策推進国民運動の特別参与を務める。緑綬褒章、紫綬褒章を受章。2016年度文化功労者。