「バカになって、自分なりの答えを見つけていきたい」
俳優、松山ケンイチはそう語る。
「敗者」になることで見えたもの。
「視聴率」批判への思い。
「父親」という役づくりをやめた理由――。
アニメ映画『プロメア』で主役のガロ・ティモスの声を演じる松山が、挫折と葛藤の末にたどり着いた独自の人生哲学を明かした。
声を枯らした熱血演技
――松山さん演じるガロは、「バーニッシュ」と呼ばれる炎を操る突然変異の人々があふれた世界で、バーニッシュのテロリストと対峙するレスキュー隊員という役どころです。
常にフルスロットルな燃えている役なので、そのエネルギーを表現するための自分の体力もギリギリでした。やっている最中は声が枯れましたね。
クラウザーさん姿でアフレコ
――映画『デトロイト・メタル・シティ』では、クラウザーさんの格好でアフレコをしたそうですが、今回は?
ないです(笑) 当時はやっぱり不器用だったので、自分なりに納得した形でやりたかったんですよ。
『デトロイト・メタル・シティ』の時、あの格好でアフレコをした効果はありました。実際にやってみることの効果は確実にある。
ただ、当時に比べるともうちょっと視野が広くなってきたので。こんなことやってたら迷惑掛けちゃうなと。
逆にできるだけフラットな状態で、どんなものが出せるかっていうのを考えるようになったんですよね。
――ガロは「火消しバカ」の熱い男ですが、松山さん自身と重なり合うところはありますか。
そうですね。僕もいろんな情報にとらわれてしまうよりは、バカになって自分なりの答えを一つひとつ見つけていきたいと思っています。
やっぱり、先の答えを教えてもらうのってつまらないし、全員に対して平等な答えっていうものはないですから。
「視聴率悪かったね」と言われて
――映画では、何度負けても立ち上がるガロの姿が印象的です。松山さんもご著書のタイトルを『敗者』としていますね。
これ、あんまり伝わらないんですけど…。東日本大震災が起きた2011年に、大河ドラマ『平清盛』の撮影が始まったんですよ。
『平清盛』っていうのは、自分のなかで一番大事な作品なんですね。ひとりの人物の若いころから死ぬまでやれるって、役者としてなかなかない機会だし、宝物だと思っていて。
取材で岩手に行った時、酔っ払ったおじさんに「『平清盛』視聴率悪かったね」って言われたんですよ。
第一声、それなんだ。岩手でも撮影してたのに…って思った時に、でも、これでよかったのかもしれないと思い直したんです。
――よかった?
そういう風に何かの「はけ口」としての役割をもらったんじゃないかなと。勝者がいるってことは敗者がいて、敗者がいなければ勝者はいないわけですよね。
もしかしたら敗者にならなきゃいけない、そんな役割も担っていたんじゃないかって。
武士が政権を握るっていう、いままであり得なかったことを清盛はやって、結果的に源頼朝に「バトンを渡した」わけです。そこから鎌倉幕府、本格的な武士政権ができあがった。
清盛という敗者がいなければ、武士の世の中は来なかった。だから「滅んだ」というよりは、「バトンを渡した」という感じなんじゃないかなと。
そうやってつながっていくという意味で、本のタイトルにすごくいいなと思ったんですよ。
笑って許して
――『平清盛』はいまだに根強いファンが多くて、先日も全然別のテレビ番組で『平家物語』が取り上げられた時に、Twitterで盛り上がっていました。
僕も好きな作品です。
自分が勝ったとか負けたとかをずっと判定していくと、やっぱりどこかで苦しくなる。周りになんと言われても、自分が判断しなければ、大して苦にならないような気はするんですよね。
――最近も大河ドラマの『いだてん』が低視聴率だと叩かれていて…。でも作品の良さって必ずしも視聴率だけでは測れない。どれだけ深く刺さるかとか、熱さだとかもあるわけじゃないですか。
そこに対して、何かを吐き出したい人たちがいるわけですよね。
世の中の出来事に、何かちょっと言わないと気が済まない。それで叩く、攻撃するっていうのは、ちょっとおかしいんじゃないかなと僕は思います。
みんながみんな「視聴率が…」って言うんじゃなくて、笑って許してあげられたら一番いい。みんながガロみたいだったら、バカばっかりで楽しい世界になると思うんですけどね。
何もしない大切さ
――『プロメア』は何を守るべきかをめぐって、ガロをはじめとする登場人物たちが葛藤し、揺れ動く映画でもあります。松山さんが「守りたいもの」は?
できるだけ「何もしない」っていうことを守っていきたいですね。
――何もしない、ですか。
心配事だとか不安を解消するために、いろんなことをやってきましたけど、やればやるほど、また何かをやらなきゃいけなくなる。
だから、自分を放っておくことが、いまは大事なんじゃないかなと。
不安だから、幸せになりたいから、平穏に暮らしたいから…って文明ができあがったわけですけど、じゃあみんな平穏に心豊かに暮らせているかっていったら、そういうわけでもないので。
この仕事うまくいかなかったな、とかウジウジしたりすることもありますよ。でもその一つひとつに対処していたら、どんどん多忙になってしまう。
だから、「何も考えない」「何もしない」っていうことを守れたらいいな、と思いますね。
家族はあえて「傍観」したい
――ご家族に関してはいかがですか。
もちろん、守りたいという気持ちはありますけど、できるだけそれは無視したいなと思ってるんですよね。ちょっと傍観しないとなって。
自分が守りたくて、子どもに「あれやるな、これやるな」って言うことは、子どもの自由を奪うことにもなる。
子どもが「やりたい」と言ってケガをしたとしても、どこかで目をつぶらないといけないと思うんですよ。それは自分が出した答えだから。
――傍観という言葉が面白いですが、広い意味で「見守る」というか。
自分の答えと子どもの答えは違いますからね。違うところが面白いのに、「世のため人のためなんだ」とか「これがうまくいく方法なんだ」って押さえつけるのはよくない。
やっぱり子どもだって、自分で答えを出したいんですよ。
――親はどうしても、ひとこと言いたくなっちゃいますよね。
すごく難しいです。言うことで自分の「やった感」みたいなものも満たされるわけですから。
「父親」という役作りはもうやめた
――過去のインタビューでは「父親であることも、ある意味、一生をかけて役作りをしていくようなもの」とおっしゃっていましたね。
前はそう思っていたんですけど、いまはどうでもよくなってきたというか。
「父親」とか「夫」っていう服を着ているみたいな感じがするから、それも脱いで、ただの生き物なんだってところまでいけたら楽なのかなって。
もっと力を抜いて子どもに接したい。0点とってきたとか、学校サボったっていうことが起きた時に、「父親」の服を着てたらやっぱり何か言いたくなっちゃいますよね。
自分なりの理想の父親像が、子どもにとっての理想像かどうかってわからないな、と思ったんですよ。
判断しない人間に
――最後に、今後の展望を伺えますか。
「判断しない」人間になりたいですね。いい悪いも含めて、そのものとして捉えられたらいいなと思うんです。
そのためにどうしたらいいか、考えなきゃいけない。でも、そんなに急がなくていいのかな、という気もしますけどね。
〈松山ケンイチ〉 1985年3月5日、青森県生まれ。2003年『アカルイミライ』で映画デビュー。『デスノート』『男たちの大和/YAMATO』『マイ・バック・ページ』など話題作に多く出演。『聖の青春』で日本アカデミー賞優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞を受けるなど、受賞歴多数。著書に『敗者』など。主人公の声を演じたアニメ映画『プロメア』の応援上映が、6月20日に全国6劇場で開催される。9月27日には、映画『宮本から君へ』が公開予定。