仏壇の上に置かれた、初老の男性の遺影。かたわらには、まるでお供えのように、2本の古いファミコンカセットが飾られている。カセットをよく見ると、つたない文字で「ひろき」とある。
「ひろき」のカセットは、どんな旅路を経て仏壇に置かれるに至ったのか? そこには、一風変わった父と子の物語があったーー。
名前入りカセット博物館
フリーランスでネット広告のデザインを手がける林弘樹さん(47)は、テレビ番組で見かけたある「博物館」の存在に興味を惹かれた。
その名も「名前入りカセット博物館」。名前の書かれたゲームソフトを元の持ち主に返す活動をしているという。博物館とは言っても、ゲーム会社「ハッピーミール」の社長、関純治さん(49)が趣味で収集・保存したソフトをネットで公開している、完全に手弁当の取り組みだ。
名前入りカセット博物館のサイトでは、ゲームタイトルや書かれた名前からコレクションを検索することができる。林さんが試しに「ひろき」と入力してみたところ、ファミコンソフトの『麻雀』がヒットした。
「これは……」
「ひろき」という名の男性は日本中に山ほどいるだろう。が、この麻雀のカセットには、どこか見覚えがある。見た瞬間、父・建樹さんとの思い出がいっぺんにあふれ出してきた。
林さんは関さんにコンタクトをとり、4月の上旬に実物を見て確かめさせてもらうことになった。
ささやかな抵抗
「自分は元々、カセットに名前は書かない方で、書いたのは3本くらいだったんです。それで、ちょっと驚いたというか」
経緯を説明する林さんに、関さんが問いかける。「その3本って覚えてますか?」
「はい。まず『ナッツ&ミルク』。当時、友達の間で人気でなかなか返ってこなかったので、フルネームで『林弘樹』と書いたんです。あとの2本が『麻雀』と『ゴルフ』で、こっちは下の名前を書いて」
いずれも初期ファミコンの人気作だ。でもなんだって、2本だけ下の名前を?
「『麻雀』と『ゴルフ』は父親が買ってきたんですけど、当の父がハマってずっとやってた。僕は当時、小学4年生くらいだったから、麻雀やゴルフを知るはずもなく……。毎晩のように僕の部屋に来て、寝てる横でずっとやってるんですよ。それがすごく嫌で」
「それで『ひろき』って書いたんですよ。嫌がらせっていうか」(林さん)
「ファミコンは俺のだぞ、みたいな?」(関さん)
「そうです、そうです。勝手にやるなよ、みたいな。ちょっとした反抗ですよね」(林さん)
父親が買ってきたとはいえ、あくまでも体裁上は子どもへのプレゼントだったはず。それなのに……。『ひろき』の3文字には、林少年のささやかな抗議の意志が込められていた。
反対されたファミコン購入
少年の怒りには伏線があった。林家にファミコンがやってきたのは、「麻雀・ゴルフ事件」からさかのぼること1年ほど前。
「家が東京の駒沢なのですが、周りに結構お金持ちの子が多かったんです。ファミコンを買ってもらってる子たちもいて、一緒に遊んでいたら、もう楽しくて楽しくて。ほしくておねだりしたけど、買ってくれなかったんですよ」
視力が落ち始めていたこともあり、両親は「目も悪くなるし、勉強もしなくなるでしょ」と強硬に反対した。そこで林さんは、一計をめぐらせる。
「親にプレゼンしたんです。1週間これだけゲームするけど、これだけ勉強するからってスケジュールを出した。定規を使って、3〜4枚の紙にスケジュールを書いて。それで、ようやく両親が納得してくれました。買ってくれたのは、おばあちゃんだったんですけどね」と述懐する林さん。
関さんは「最近、子どもがゲームを買ってもらうためにスライドをつくってプレゼンしたというニュースがありましたけど、その先駆けかもしれないですね」と話す。
いつの時代も、ゲームにかける子どもの一念は岩をも通す……のかもしれない。
ともあれ、あんなにも反対していた父自身が、自分を差し置いてファミコンに夢中になっているのだ。「僕のだ!」とばかりにカセットに名前を書きたくなる気持ちも、わからないではない。
出産時も徹マン
父・建樹さんは2011年、享年64歳でこの世を去った。林さんによれば、かなり変わった父親だったようだ。在りし日の記憶を喚起するため、実際に『麻雀』『ゴルフ』をプレイしてもらった。
まずは『麻雀』。配牌時の効果音を聞いた林さんが、思わず叫んだ。
「この音、この音! これ一晩中聞かされるんですから、気が狂いそうになりますよ。リーチの音も散々聞いた。もうちょっと小さくしてって文句言ったこともあります。……ああ、負けた」
関さんが「普通、ピコピコ音を怒るの親ですからね」と笑う。建樹さんは、初級・中級・上級のどのランクでプレイしていたのだろうか。
「父は多分、上級ですね。麻雀うまかったので。オタク気質というか凝り性で、将棋にもハマっていた。学生時代に出た将棋の大会の賞状とかトロフィーがいっぱいありました」
「僕が生まれる時もずっと徹マン(徹夜麻雀)してたらしいです。2日後くらいに帰ってきて、母親がキレてたって話を聞きました」
取っ組み合いの親子ゲンカも
お次は『ゴルフ』だ。
「懐かしい! いま考えるとこれ、音楽もないんですね。ボールを打つ音だけ。父親がやってるのを横目で見てました」
眠い目をこする林さんに、建樹さんは「うまくなったから、ちょっと見てみろ」「このホールは、かなりの確率でホールインワンできるから」などと、誇らしげにアピールしてきたそうだ。
「やっぱり、ちょっと変わり者でしたね。普通のサラリーマンですが、パッケージのデザインとかの仕事をしていました。本当は将棋のプロになろうとしていたけど、おばあちゃんに反対されて安定した職業にいったらしいです」
「キャッチボールをすると、僕をキャッチャーに仕立てるんです。『お前、座れ』とか言って。普通、逆ですよね(笑) もう、自分大好き。そういう父親なんです、本当に」
一事が万事、マイペース。そのぶん子どもの教育に過度に干渉することはなく、自由放任主義だった。だが、一度だけ取っ組み合いの親子ゲンカになったことがあるという。
「中2の時に取っ組み合いになって、これ殴られるなと思った時に、僕が父親にヘッドロックしたんですよ。殴られるのが嫌だったからヘッドロックをかけたんだけど、父親がほどけなくて」
「ああ、自分の方が力が上なんだって。そこから一切ケンカとかしなくなったし、父親もあんまり言ってこなくなってきた気がしますね」
天下統一、繰り返す父
いつごろ『麻雀』『ゴルフ』の2本を手放したのか、記憶は定かではない。中学生になって部活に熱中するうち、ファミコンへの関心が薄れた。友達に貸したりしているうちに、どこかへ行ってしまったらしい。
あれだけ夢中でやりこんでいた父親なら、「絶対に貸したり、売ったりするなよ」ぐらい言いそうなものだが、意外や意外。そんな素振りもなかったという。
「父親はその時もう、MSXにハマってました。小学校5、6年のころだったかな。MSXの『信長の野望』をどうしてもやりたくて、中古で買いまして。そうしたら父親の方がハマって、本体ごと居間に持って行っちゃった」
「僕も高学年だったので、父の熱さに引いてしまって『もう、やってていいよ』って。そこからがすごくて、僕が二十歳になるくらいまで、『信長の野望』をずーーーっとやってたんですよ(笑)」
お父さん。いったい何度、天下統一すれば気が済むんですか。
思い出の買取額は?
父・建樹さんさんの武勇伝、もとい思い出話もいよいよ佳境だ。
実は名前入りカセット博物館には、ソフトの返還にあたって3つのルールがある。
1.カセットは手渡しでお戻しさせてください。
2.カセットはあなたの思いの額で買い取ってください。
3.カセットにまつわるお話をサイトに公開させてください。
郵送でなく手渡しにこだわるのは、一緒にゲームで遊びながら、思い出話を聞いてみたいから。金銭目的の活動ではないので、「思いの額」は1円からで構わない。
林さんは父親とのちょっとほろ苦い思い出に、いくらの値をつけるのか? スケッチブックに金額を書き込んでもらった。その結果は……
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「3000円」
「おお、すごい!やったあ」
関さんがはしゃぐのにはワケがある。カセットの評価額は人によって千差万別だが、これまでの返還劇では0円〜数百円ほどがザラ。高くても2000円だった。3000円は過去最高額だ。
「実際、手にしてみて違うなと思ったらお断りしようと思っていたんですが、見て確信しました。中古価格も見たんですけど、自分の気持ちも入れてこれぐらいかなと。『麻雀』のあの音は本当にトラウマ。体が反応しましたもん」(林さん)
「金額というよりも、戻るべきところに戻ったことが本当に嬉しいです」(関さん)
今回の返却対象カセットは『麻雀』1本だけだが、関さんのコレクションのなかから無記名の『ゴルフ』を引っ張り出してきて、オマケとしてつけることにした。林さんには当時を偲びつつ、『ゴルフ』の方にも名前を書き入れてもらった。
「父の仏壇に飾ろうと思います」
その言葉通り、翌日、林さんから1枚の写真が送られてきた。
《家に帰ってから仏壇の上にある、父の遺影写真にファミカセを飾らせてもらいました。遺影写真がゴルフ姿なのでちょうど良かったかもです》
ゴルフウェアに身を包み、愛用のクラブを手にした建樹さんの表情が、心なしかほんの少しだけ柔らいで見えた。