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人気ナンバーワン芸妓がインスタを始めた理由

「伝統を守る」ことはきっと、微動だにせずその場にとどまり続けることではない

「マイ・ビジネス・パートナーどす」

日本髪のかつらに手を当てて、茶目っ気たっぷりに笑う。

松原保

芸妓・紗月、24歳。

京都・祇園甲部で指名が多かった芸舞妓を表彰する「売花奨励賞」の1等賞を、7年連続で受賞する売れっ子だ。

ころころとよく笑う丸顔にはあどけなさが残るが、ひとたび舞を踊り始めれば、指先の一本一本にまで凛とした気品が宿る。

夢見る少女は、いかにしてナンバーワン芸妓に上り詰めたのか。成長の軌跡を追った。

きっかけはテレビ番組

松原保

舞を踊る時には、一変してキリリとした表情に

西陣織の帯に一つ綿の着物。料亭の日本庭園で紅葉を見上げてたたずむ様は、まるで絵葉書のようだ。

撮影を始めると、近くにいた外国人観光客らがスマホ片手に寄り集まってきて、あっという間に人だかりができてしまった。

芸舞妓の世界を志したのは、大阪の中学校に通っていた14歳のころ。舞妓を目指して修行する少女のドキュメンタリー番組を見たことがきっかけだった。

本人提供

幼少期の紗月

「もともと舞妓さんというものは知ってたんですけど、テレビを見た時に、ああ私これになるんやと思って」

フラメンコに料理教室、学習塾、英会話…。様々な習いごとをしてきたが、移り気な性格もあって長続きしなかった。けれど、その時ばかりは勝手が違った。

「華やかな世界やけども、裏ではお稽古して、舞台にも出て、宴会も務めて。努力があるからこそ、これだけ綺麗に見えるんやなって。子ども心にすごく影響されました」

父の反対

紗月のインスタグラムより / Via instagram.com

インスタグラムにはオフショットも投稿している

母親は「いいやん。行ってみたら」と応援してくれたが、父親には「せめて高校は出なさい」と反対された。

図書館で芸舞妓に関する本を片っ端から借りて読み漁り、父を説得した。

「履歴書と通知表を持って、両親と一緒に置屋さんで面接を受けて。実際に置屋のお母さん(おかみさん)と話してもらって、父にも『ここやったら』と許してもらいました」

携帯は禁止、厳しいルール

松原保

在学中から少しずつ稽古に通い、卒業とともに置屋に住み込んでの修行生活が始まった。

最初は「~どす」「おおきに」といった、独特の花街言葉を覚えるところから。「関西弁」とひとまとめにされがちだが、大阪と京都ではまるで言葉が違う。

「大阪弁は早口でガーッと言うさかいに、『もうちょっと、やんわりおしゃべりしよし』ってすごく言われました。いまでも怒られる時があります」

芸舞妓は年齢に関係なく、1日でも先に修行を始めた方が「姉さん」。上下関係に厳しい、体育会系の世界だ。

携帯電話は禁止、給料もなし、休みは月に2回だけ。挨拶から礼儀作法、踊りまで徹底的に叩き込まれる。音を上げて、1週間で辞めてしまう人もいる。

「ほかにも『四条大橋を渡ってはいけません』とか。街なかに出るには、四条大橋で鴨川を渡らなあかんのに、1年目のうちは楽しいところへ行ってはいけないからって」

キスシーンに大興奮

松原保

TWICEやPerfumeが大好きでライブに行くことも。「レッスン頑張ったんやろうなあ、と思いながら見てしまいますね」

ひょっとして、恋愛も禁止?

「(ルールは)おへんどす。AKBほど厳しくはない。ぜんぜん恋愛禁止とかではないんですけど、自分のなかで舞妓はんの時はあかんって」

それでも年ごろの乙女たちが集まれば、恋愛の話題に花が咲く。

「みんな恋愛ドラマとか好きやし、舞妓さん同士、置屋さんでひとつのテレビを見るんどすね。おしろいしながら夕方の再放送を見て、キスシーンがあると、みんなキャー!って大興奮(笑)」

外の世界では、同級生たちが自由な青春を謳歌している。なんともささやかな「恋バナ」だ。

感じた重み

松原保

「仕込み」と呼ばれる1年ほどの期間を経て、晴れて「店出し」という舞妓としてのデビューの日を迎える。

店出しの当日は、一番の正装である黒紋付をまとい、「だらり」の帯を結ぶ。かつらも合わせると実に20キロほど。成人男性でも移動に難儀する重さだ。

「最初は重すぎて、立ち上がれへんくて。『よっこいしょ』ってみんなに助けてもらいました。でもその重みで、ほんまに舞妓さんになったんや、この祇園で頑張っていかなあかんなと感じましたね」

デビュー直後に大震災

舞妓になって早々、波乱が待ち受けていた。

紗月の店出しは2011年の2月。一月後の3月11日に東日本大震災が起こり、自粛ムードで宴会は軒並みキャンセルになった。

4月には、祇園甲部の芸舞妓による毎年恒例の舞踊公演「都をどり」がある。

「私はまだ舞台に出てへんかったんですけど、都をどりの1ヶ月間、毎日のように会場で募金箱を持って『おおきに、おおきに』と言っていたのを覚えています。お客さんに『あんた、またいるんか』言われて」

次第に客足は戻り、宴会の予定も埋まり始めた。決して幸先のいいスタートは言えなかったが、非常事態を乗り切ったことで覚悟が決まった。

憧れのお客さん

松原保

企業の重役や大学の学長、医師、著名人まで、客層は幅広い。接客には教養が求められる。録画したニュース番組を倍速で見るなど、時事問題の情報収集も欠かさない。

「普通ではなかなかお話できひん方々が、『舞妓ちゃん』『紗月ちゃん』と気軽にお話してくれはる。そのたびに気が引き締まりますし、こういう方がリラックスできる場をつくるのがウチらの仕事なんやって実感します」

時には、お客さんに淡い思いを抱くこともある。

「憧れのお客さんはいはりましたね。こんな人に『きれいになったね』って言われたいな、『また呼ぶわな』って言ってもらえたらいいなって」

「いまから思うと好きやったんかな? やっぱり、出会いがお客さんしかないさかいに。自分が憧れているお姉さんを呼んだお客さんに、私も認められたいなとか」

もちろん、良いことばかりではない。たとえ自分に落ち度がなくても、頭を下げなければいけない場面もあった。

「理不尽って言葉を、ああこんな言葉があるんやなって思った時がありましたね。十代にして、大人になろう、みたいな。顔には出さず、心のなかでグッと耐えて。でも、寝たら忘れる性格なので(笑)」

舞妓から芸妓へ

舞妓は二十歳前後で「襟替え」をして芸妓へ変わる。これでようやく一人前だ。

「いままで『紗月ちゃん』やったのに、芸妓になった途端に『紗月さん』って呼ばれて。お客さんからも『ちょっとお姉さん』って。昨日まで舞妓やったのにこんな変わるんやなって」

「舞妓ちゃんのうちは子ども扱いで、ニコニコしてたら許されてた部分が、そういうわけにはいかへんようになってくる。教養も必要になってきますし」

芸妓として場数を踏み、2017年5月に置屋から独立。近ごろは、一人暮らしにもだいぶ慣れてきた。

「あんた、宴会楽しいか?」

松原保

お座敷では、自分が楽しむことを第一に考える

舞妓になって3、4年目のころ、売れ始めて忙しくなり「ちょっと鼻が高くなっていた」時期があった。常に時計ばかり気にし、宴会の数をこなすことに躍起になっていた。

そんな時、祖母ほども年の離れた姉さんの一人に「あんた最近、宴会楽しいか?」と聞かれた。「あんたが楽しくないと、お客さんも絶対楽しくないえ」

「最初は何言うてはるんやろな、と思ったんですけど…。その晩、お風呂でずっと考えていたら、そうやわ、姉さんにはバレてる!と思って」

心ここにあらずで仕事と向き合っていれば、必ず態度や行動に表れる。お客さんを楽しませるのは言わずもがな。お座敷ではまず、自分自身が楽しもう。そう心に決めた。

芸舞妓の減少に危機感

紗月のインスタグラムより / Via instagram.com

京都花街組合連合会によると、京都全体の芸舞妓の数は2009年の281人から、2018年は250人まで減少した。祇園甲部でも、同期間に118人から94人に減っている。

舞妓のなり手が少なくなり、若いお客さんが減っていけば、花街の文化は細ってしまう。

そんな現状に危機感を抱き、「皆さんに芸舞妓を知ってもらえたら」という一心で、テレビ番組に出演したり、インスタグラムに写真を投稿したりと積極的に露出を図る。

自身、テレビで見た舞妓の姿に魅せられて、この世界に足を踏み入れた経験があるからだ。

「『妹』の舞妓はんから、『なりたいと思ったきっかけが紗月姉さんなんです』って言ってもらえた時が、一番うれしおしたね」

「インスタを始めたのは、若い女の子に興味を持ってもらいたくて。海外のフォロワーさんもすごく多いんです」

タイで生まれた縁

伊藤ヒロ

タイでの一コマ

昨年6月には、ケーブルテレビ番組の企画で、タイのプーケットでハーフマラソンに挑戦。番組が縁となり、今年1月にタイ国政府観光庁の主催で、古都チェンマイでの撮影会ツアーを行った。

外国人観光客を「おもてなし」するインバウンドではなく、日本人観光客を海外へ連れ出すアウトバウンドの事業に芸舞妓がかかわるのは珍しい。

「母親がタイ好きだったので、小さいころから何度も行っていて。10月にも下見に行ってきました」

「着物姿で象さんと一緒に写真を撮ったり。超違和感やけど、意外と街並みにはしっくりきたかな。古都ということで、京都ともどことなく雰囲気が似ているし。寺院とかの景色が絵になるんどすね」

平成の次の時代に

多彩な活動の根底には、花街の文化を守り、受け継いでいきたいという強い思いがある。

「若いお客さんに、もっと芸舞妓に興味を持っていただきたい。そのためにはまず、知ってもらわなあかんので、しっかり発信していきたいなって思います」

「明治、大正、昭和とずっとお姉さん方が守ってきた文化があるからこそ、いまがある。平成の芸妓として、それをまた次の時代の芸妓さんに伝えていきたいですね」

松原保

「次の時代の芸妓さんに伝えていきたいですね」」

〈編集後記〉

「伝統を守る」ことは必ずしも、微動だにせずその場にとどまり続けることを意味しない。

それはきっと、受け取った「たすき」を次の誰かに渡すために、規則正しい呼吸で走り続けることなのだ。

ハーフマラソン出場やインスタ投稿、タイでの撮影ツアーと、意欲的な活動に取り組む紗月さんを見ていて、そんなことを思った。

YouTubeでこの動画を見る

動画撮影:市原一弥、編集:Red Kikuchi

〈紗月〉 芸妓

1994年7月25日生まれ。大阪出身。京都・祇園「つる居」での修行を経て、2011年に舞妓デビュー。2014年に芸妓になり、2017年5月に独立した。祇園甲部で客からの花代の売り上げが最も多い「売花奨励賞」の1等賞を7年連続で受賞。今年1月には、タイのチェンマイで3泊5日の撮影ツアーを敢行した。


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※この記事は、Yahoo! JAPAN限定先行配信記事を再編集したものです。